2017年6月22日 (木)

梅酒作りと菜園収穫

妻の実家から梅の実を頂いた。青梅と少し黄色くなった梅が混じっている。
青梅は梅酒にすることに。1キロ強の青梅に500gkの氷砂糖、1.8リットルのホワイトリカーで、大きな容器がなく3つに分けた。

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黄色の梅は老妻が明日ジャムにする予定。

菜園で丸ナス2個、ナガナス1個、ピーマンは小ぶりだか沢山実をつけているので樹勢を弱らせないために早めの収穫2種2こづつ。トマトはミニ3個アイコ2個イエローアイコ3個、バジルと青紫蘇も。

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2017年6月19日 (月)

神戸帰省

義母を送り届けるため、先月に引き続き神戸へ帰省した。

厚木の手前から富士山が見えて義母も喜んでいた。

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大井松田7㌔の手前では更にきれい

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小田原の手前

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足柄手前

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今回も御殿場から新東名へ、そして伊勢湾岸道へ

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長島

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新名神、名神、西宮から阪神。阪神からは懐かしい六甲の山並みが見れて感激。犬の散歩に行っていた摩耶山も望めた。義母の家は更に西。

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神戸港のシンボル「ポートタワー」

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2017年6月18日 (日)

菜園便り

無為庵菜園を久しぶりにアップします。昨秋種を蒔いて育てた大根は初めての割にはよくできた。

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ブロッコリーも初めてだが、春先に鳥に葉っぱをかなり食べられたが、途中から防虫ネットをはりなんとか収穫できた。今年も大根同様挑戦するつもりだ。

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さて夏野菜のシーズンであるが、すでにナスとピーマンの四株は初果はお約束通り早めに収穫済であるが明日から旅行に出かけるので、収穫可能なナスとミニトマトをもぐのでその前に菜園を撮影した。
まずは今年食べきれないほどのできであったレタス。時差をつけて蒔くとよさそうだ。

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毎年蒔いているオクラは今年は元気がない。

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実生の青紫蘇を鉢に移植。葉っぱが大きく育ちました。ゴーヤ、ニラ、バジルも元気だ。バジルはトマトのコンパニープランツで余分な水分を吸収してくれるというので、トマトの株のそばに植えている。

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茗荷は今年か去年開墾した菜園に一部移植したがいずれも生命力の強さを発揮している。

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八丈島旅行の際、道に生えていた小さな苗を持ち帰って今や無為庵の庭どころか隣の家の庭にも勢力を伸ばしている「明日葉」青物の少ない冬場にも枯れず、今年古希を迎える無為庵清風の精力剤だ。

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王様の野菜「モロヘイア」

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ネギコーナー 別途九条ネギの種を蒔いており、プランターで大きくなっている。

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今年頂いた里芋も元気に育っている。

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ナスとピーマン

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大玉トマト

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中玉トマト

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ミニトマト

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イエローアイコ

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トマト 昨年駐車場拡張の為菜園が狭くなったので、通路だったところをギンモクセイ、アジサイ、ローズマリーなどを伐根し開墾して菜園化

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さて本日収穫したのはミニトマト赤3、アイコ赤1、イエローアイコ2.ナス1、バジル2、明日葉2本

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一週間前に収穫した丸ナスの一番果

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2017年6月 9日 (金)

浄土宗湯島山常光院浄心寺

南北線「東大前」2番出口を出て本郷通りを駒込方面に進み向丘一丁目交差点の先に目標が右手に見えてきた。

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湯島山常光院と號す、浄土宗芝増上寺末なり、元和七年創立、開基は畔柳助九郎、開山は僧到譽(元和七年寂)とす。本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作と稱す、又運慶作といへる地蔵尊安置しあり。(東京名所図会より)

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本堂前の大提灯を見ると今年大屋根葺替えをしたばかりのようだ。

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寺務所入口右手に葺き替えで使用しなくなった鬼瓦が展示されている。

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御朱印は右手の寺務所にて頂ける。

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帰路近くを散策した。まずは根津神社。透かし塀から拝殿の屋根

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外国人観光客に人気の千本鳥居

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神門

Dscf1121_2 森鴎外居住跡「水月ホテル鴎外温泉」

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2017年5月30日 (火)

内藤新宿総鎮守 トウガラシ栽培している花園神社

参道につながっているのではと勘違いして入り込んだ繁華街には珍しい遊歩道

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心和ませてくれるこんな像もある

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神社参道は見えず、飲み屋街があらわれた。これがゴールデン街なのかな。たまたま撮影クルーと遭遇した。

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株主である日清食品のビルが見えるところに出た。初めての土地ではよくあることだが遠回りしている。

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やっと神社の入口を見つけた。やれやれ。

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狛犬

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千本鳥居

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神輿庫

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「花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。」(花園神社ホームページより)

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江戸時代このあたりの農家でトウガラシの栽培が盛んで一帯がトウガラシで真っ赤になっていたそうだ。

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社務所と拝殿の間には立派なコンクリート製プランターで内藤トウガラシが栽培されていて、神職姿で水遣りもされていた。

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御朱印

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宝物殿

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2017年5月24日 (水)

帰省 東名-新東名-伊勢湾岸-新名神-名神-阪神

大正生まれの義母をピックアップする為に妻の実家へ、前回は婿の車だったので愛車プリウスでは久しぶり。婿殿はナビの言う通りのコースとりで新東名を通らなかった。

関西出身なので、富士山が見えると無条件に嬉しくなりラッキーと思う。

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愛車のナビは新東名へと導いてくれた。

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以前はナビの地図上では海の中を進んでいた「伊勢湾岸通り」であるが、外の風景は海上だ。

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翌日 鶴林寺を再訪。

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御朱印は前回「医王殿」を頂き、全部で四種あることを後でご住職に伺っていた。残りの三種。
「刀山の太子」

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「聖観音」

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「御詠歌」 いにしえの鶴の林に散る花の 匂いをよする高砂の風

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2017年5月12日 (金)

乗蓮寺東京大仏

東京メトロ副都心線神宮前から乗り地下鉄赤塚駅で下車。副都心線は初体験であったが途中駅を見て知ってると便利な線だと気が付いた。

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20分近く知らない土地を歩くとこの道で目的地に着くのか不安になる。途中で尋ねたら真っすぐ歩くと見えてくると回答され安心した。

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目的地ではないが立派な寺院があり解説板を読むと曹洞宗松月院とのことだ。植栽の手入れも行き届いており参拝させてもらった。

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当寺院は、房総に勢力を持っていた武将・千葉自胤が康正2年(1456年)に現:千葉県の市川から赤塚城に移り、その後1492年に当地にあった古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、松月院と名を改めさせたのが始まりであるといわれている。

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江戸時代には、当寺院は徳川家康に認められ、40石の朱印地が与えられた。他歴代の将軍からも保護を受け発展した。幕末には、砲術家として名高い高島秋帆が1841年に近隣の徳丸ケ原(現在の高島平付近。高島平の名は高島秋帆にちなんでいる)で西洋式の砲術訓練を行った際に本陣がこの松月院に置かれた。この訓練は当時の大名などを驚かせ、高島秋帆に大きな名声を与えたものであった。またこの松月院の名を有名なものにもした。

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本堂の右手にある寺務所のインターフォンを押して御朱印をお願いした。

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御朱印

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松月院の坂を下りていくと左手に目的の乗蓮寺が見えてくる。門前には観光バスの駐車場もあり人気スポットなのだと知れる。実際に平日だが、複数のグループの他小学生が教師に引率されて行儀よく階段を上っている。

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門の右手に「焔魔堂」

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堂内には閻魔様と奪衣婆

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山門

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山門表には金剛力士像が寺をお守りしている。 阿形像

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吽形像

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山門裏には「広目天」

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多聞天

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本堂

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境内庭園

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応永年間(1394年 - 1427年)に了賢無的が山中村にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている。当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していた。後に慶学山乗蓮寺になった。その後首都高速道路の建設と国道17号の拡幅により、昭和48年に現在の赤塚城二の丸跡に移転した。山号も赤塚山と称した。そして昭和52年、かつて東京を襲った関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め当寺院の代名詞にもなっている東京大仏が建立された。国民栄誉賞も受賞した冒険家である上村直巳は1984年にマッキンリーにて消息を絶ち遺体等は発見されなかったが、彼を供養するための墓が当寺院の境内にある。

乗蓮寺の異称ともなっている「東京大仏」日本第三位の大きさとのことである。一位は奈良東大寺、二位は鎌倉高徳院

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境内におわします「布袋さん」

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御朱印をお願いしたところ、住職が不在の為、予め用意したものに日付を入れてもらい頂いたもの。

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2017年4月27日 (木)

水天宮

前回訪れたときは建て替え工事中で、仮社殿で参拝した。完工後初参りである。平成30年(2018年)に江戸鎮座200年を迎える記念事業として、社殿・社務所の建替えたものである。境内全体を免震化している。地価の高い都心のスペースを有効利用し社殿の階下に駐車場を設けているのも頷ける。

入口 初めてで少し違和感

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隋神門の名残か階段の両側に隋神像

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狛犬

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手水舎

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拝殿

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灯籠

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社務所

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御朱印

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本殿裏

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新しい神社の在り方、都会の神社のモデルになるのかもしれない。

2017年4月 6日 (木)

国指定名勝伝法院庭園特別拝観

浅草寺伝法院庭園見学を希望していたが3月10日から特別拝観で公開の情報をネットで知り出掛けた。

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特別拝観入口

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「大絵馬・寺宝展」もやっていたが、じっくり見学せず小堀遠州作庭といわれている庭園を堪能した。
丁度枝垂れ桜が散りかけていて情緒を添えてくれた。大書院前で緑茶の接待を受け美味しく頂いた。

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伝法院庭園は平成23年9月21日に「国指定名勝」に指定された。

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2017年3月 3日 (金)

西大井の大仏(おおぼとけ)~帰命山養玉院如来寺

嘗てテレビ番組で紹介されていて「行きたい所リスト」に載せていた場所である。武蔵小杉で横須賀線に乗り換えて「西大井駅」から徒歩10分とのことで、地図を頭にぶち込んでスタート。

横須賀線の西側をジグザクに歩く。事前に地図を見ていて承知していた伊藤博文公の墓所があり、とりあえず方向が間違っていないことに安心した。ここはスキップの予定だったが、撮影だけすることにした。

門は閉まっていて入れそうにない。時間がくれば開くのかも不明。伊藤博文の別邸で、晩年当地で暮らしていた。当地一帯は伊藤という地名となり、旧名の大井伊藤町はそれに由来する。この地名は現在でも小中一貫校伊藤学園、伊藤小学校などに残っている。

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松下村塾に学び、幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加。維新後は薩長の藩閥政権内で力を伸ばし、岩倉使節団の副使、参議兼工部卿、初代兵庫県知事を務め、大日本帝国憲法の起草の中心となる。初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣および初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任した。内政では、立憲政友会を結成し初代総裁となったこと、外交では日清戦争の勝利に伴う日清講和条約の起草・調印により清國から朝鮮を独立させた。1909年、ハルビンで朝鮮民族主義活動家の韓国人安重根に暗殺された。

門の隙間から撮影したのが公の胸像である。

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本当にジグザグ歩き、坂を下りた所の右手に目的の「如来寺」の山門が見えてきた。

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大井の大仏(おおぼとけ)の石標

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山門は閉まっていて、右手の参道を上っていく。

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参道には仏像や歌碑が沢山ある。

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関心のある鐘楼も立派なもので上にあがり、じっくり見学させてもらった。

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梵鐘

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坂を登り切った右手に庫裏がありその右手が本堂。

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本堂の扁額

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本堂の前にあるのが「明王堂」

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いよいよ大仏の「瑞応殿」

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瑞応殿前を守る金剛力士像

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瑞応殿の扁額

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堂内には大日如来を中尊とする五体の如来像横一列に安置されている。五体の如来を総称し「五智如来」と呼ばれている。
大仏右から東方世界の「薬師如来」医薬の功徳

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南方世界「宝生如来」には福徳財宝・五穀豊穣の功徳

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中央が最も大きくて高さは3.21メートルの「大日如来」万物を慈しむ太陽の功徳

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西方世界「阿弥陀如来」には往生極楽の功徳

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北方世界「釈迦如来」 五智如来を一枚におさめようとしたがうまくいかなかった。

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堂宇は大きいのだが、それ以上に五智如来像が大きくて圧倒された。堂内では同世代の男性グループ5人が熱心に見学していた。女性グループはよく見かけるが男性は珍しい。

最後に事前にお願いしていた御朱印を拝領する為に庫裏へ。

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«幸田露伴「五重塔」モデル天王寺&徳川慶喜公廟