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2012年10月 5日 (金)

太平記の里ひとり旅 その1~生品(いくしな)神社、東山道公園

太平記の里ひとり旅 その1   

計画していた太平記の里、群馬県太田市新田荘史跡めぐり
は首都圏から交通の便が悪く、市内の交通機関も十分でなく
「遠かった」「歩き疲れた」がまずの印象だ。

10月5日6時過ぎに無為庵をスタート。
9時57分太田着と約4時間。

新宿から湘南新宿ラインで大宮、東北線で久喜
東武伊勢崎線で太田と小田急線の乗り換えを含めて
4回乗り換えの予定。

遠かった太田が近づくと駅前に"SUBARU"の大きな看板でそれと知れた。
群馬県太田市は大戦敗戦までは世界有数の航空機メーカーであった
中島飛行機」発祥の地であり、富士重工業がそれを継承している。
GHQにより財閥解体の対象ともなった大企業グループであった。
太田市は富士重工をトップとした企業城下町となっている。
工業地帯は海に面している所が多いが、内陸型工業地帯と言える。
ちなみに無為庵太郎はスバルファンのひとりである。

太田で予定している矢島タクシーの新田暁(あかつき)高校行きバスは
10時15分発で、駅の観光案内所でマップや資料を請求した。
マップは市内全体を網羅していて大丈夫だったが、
本日の「東山道公園」「重殿水源」「生品(いくしな)神社」「反町館跡」
茶臼山古墳」「円福寺」「十二所神社」「台源氏館跡」の資料はなく、
明日予定している尾島地区の歴史公園分だけで、
東山道とは何という顔をされたので、古代道路遺構の発掘を説明した。

また明日予定している花見塚神社やそこにある勾当内侍(こうとうないし)
の墓や義貞首塚明王院についても不承知の様子で、
バスの時間が気になったので、資料のお礼もそこそこに
北口のバス停へ急いだ。

駅を出て正面はタクシーが3台ほど客待ちしていて、
左と奥がバス発着の場所で、左へ進むと手前のバス停に
新田暁高校行きとある。間も無く黄色い地に「あおぞら」と大きく
側面に書かれた目的のバスが来た。

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嘗ては東武鉄道系列のバス会社が運行していたが
赤字が続き撤退し、市が地元タクシー会社に
依頼して運営しているとのことだ。
太田市が赤字補てんしているのだろうか。

時間帯のせいか客は太郎を含めて3名、
途中2名乗ってきたが、終点まではひとりだけ。
途中本島病院、太田記念病院、新田診療所と病院が多い。
終点の学校への通学と通院用と理解した。

事前に検索して乗車賃は200円と承知していたが、
車内に特に表示がないので、終点で降りる時
尋ねると顔を見て「お客さんは100円」と
白髪に白髭、都心から乗り疲れた顔のせいか。
それとも高齢者割引を適用して下さったのだろう。
始発から終点まで車窓からの市内観光を
させてもらい100円は有難い。

東山道公園
高校の北側道路を約1キロ西が最初に訪る史跡である地図によると南にはグランドゴルフ場
があり、北側は貯水池となっている。暁高校北側を進むと高齢のゴルファー達が楽しそうに
ゴルフに興じているのが見えてくる。明確な仕切は無いが入口は東側らしい。

Dscf7316

道路遺構は埋設保存されているようで、発掘した時の写真を案内板に示してある。
「七世紀後半頃国家が奈良の都と東国を結んだ幹線のひとつとして整備したもの、
当時は軍事・税務等役人の往来に使用・・・、新田町から境町まで一直線に

結ばれていること、幅12mで両側に側溝があり、約250mが保存とのことだ。

古代街道の12m幅は東京の西国分寺で発掘された東山道武蔵路
町田市野津田公園上の原の道路遺構でも12mで同規格道路である。
恐らく同規格の道路がほぼ直線的に国府間を結んでいたのであろう。

東国を結ぶ山の道がこの「東山道(とうさんどう)」で
太平洋岸を通り東京湾を横断するルートが「東海道」と言うわけだ。
あずま-やまみち」「あずま-うみみち」とも呼んだそうだ。
当時は「やまみち」とか「うみみち」と呼び、
文書化されることが多くなり「東山道」「東海道」が
一般化したものと無為庵太郎は推測している。

次の史跡は最大の目的である「生品(いくしな)神社」であるが
その手前に「重殿(じゅうどの)水源」が見れたらラツキーと
地図によると3800mを歩くしかない。タクシーなんか
拾えるもんじゃない。修行僧のごとく只管歩く・・・。
途中道路工事のガードマン氏が珍しい歩く旅人を見て
興味をもったらしく話しかけてきた。他愛もなく
「暑いから飯しっかり食べないともたないね・・・」
傍のビニールハウス横に大量に捨てられた胡瓜を
「もったいないね」と言ったら、「いいのを持ってけ」
「自分も水で洗って食べた」と曲がっているが
色もよく硬いのを拾ってくれた。
ひとり旅で地元の人との交流も魅力のひとつかもしれない。
有難く頂いて生品神社での休憩時に
水分補給代わりに食べることにしよう。

トレッキングシューズにすれば良かったが、
タウンシューズを履いてきたせいか、歩いている内に
痛みが出てきたので歩幅を狭めてペースダウンした。

地図を頼りに磁石と日陰を指針に歩き続けた。
50分程で神社に到着予定で、途中予定の「重殿水源」は
歩いてきたルートの北だったようだ。戻ることも
可能だろうが思いの外暑くて疲労感も有り、スキップして
生品神社らしいこんもりとした森を目指すことにした。

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生品神社
正面は南であるが、西側からのアプローチとなった。楠の老大木が多数あり圧倒される。

後醍醐天皇の綸旨を受けて新田義貞が元弘三年(1333)5月8日鎌倉幕府(北条氏)討伐の
旗挙げをした場所として有名である。鎌倉古道に関心があり、ひとり旅の目的地にした理由である。
つまりここ生品神社が今回の旅の最大の目的地ということである。

建武の中興六百年を記念して史跡に指定されたが、平成12年に「新田荘遺跡 生品神社境内
として面積を広げて指定されている。境内には旗挙げ塚床机塚軍旗を揚げた椚の木も
保存されている。

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新しい石碑顕彰碑の類が目立つ、中には地元政治家で福田赳夫中曽根康弘など
元首相の名前も見られた。選挙出陣式をここでやってご利益あったということだろうか。

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また新田義貞公銅像とあるが台座のみで上が無残なものもある。
銅像を盗む罰当たり者が居るんだね。

Dscf7323_2

鳥居を潜り境内へ作法に則りお参りし て見学させてもらった。
1333年5月8日旗揚げに150騎結集と言われているが、
当時の境内はもっと広かったのだろうかと思えるような狭さ。
1934年国指定史跡となり、地元群馬県、太田市も力を入れているようだ。

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正規ルートと思われる国道2号線古河街道の生品神社入り口へ向かおうとしたら、
境内の外に真新しく見える新田義貞の銅像がある。

Dscf7330

反町(そりまち)館跡
生品神社からの道を真っ直ぐ南下2キロ、近くまで来てからどこから東へ入るか
途中自転車に乗るおばあさんに尋ねたら丁寧に教えてくれた。一旦お礼を言い別れたが、
ポイントの角ごとに自転車を止めて待っていてくれて指し示してくれた。感謝です。

Dscf7332

反町館跡は大規模な堀や土塁が今も残されている。平面図では凸字型で
南側120m北側73m東西に「折」を持ち、出入口は南東角と西の二箇所。

反町薬師として近在の信仰を集めているそうである。

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鎌倉時代の築造であるが、戦国時代に三重の堀を巡らす城郭に拡張され、
新田義貞がここに移り住み、その後大館氏明新田義興などが住んだとの
伝承もある。現在の照明寺は以前は西にあったもので、1714年火災後に
ここに移転したとある。本尊は厄除け薬師。

Dscf7335

ゆっくり休憩もとらず次は茶臼山(ちゃうすやま)古墳を目指して東へ
地図によると直線距離で4キロ。近道を期待して田んぼの中の広域農道を歩くがなかなかそれらしき
鎮守の森が見えてこない。下写真は前方後円墳のように見えたが目指すものでなかった。

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既に1時過ぎている。
昼食を摂り、冷静な判断が出来るよう足を休めることにした。
食事ができるのは遠回りを覚悟で国道沿いへ出た。
幸い丁度のところにレストランがあった。ラツキーとしか言えまい。
Dscf7342

源氏家族という名の店に入り天ぷら、刺身、茶碗蒸し、サラダ、蕎麦などの膳を注文した。
一人だから小さなテーブルに座ろうとしたら、女店員が大きなテーブルにどうぞと
誘導してくれるなどきびきびとした接客で好感のもてた。

続きの初日午後の円福寺から台源氏館跡からホテルまでは
 ひとり旅~太平記のの里 その2~ へ

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