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2012年11月

2012年11月24日 (土)

ファーマーズマーケット

パエーリアを自宅で食べたのは久しぶりだ。
本日魚介とイカ墨の二種類をファーマーズマーケットで購入して
昼食として頂いたのだ。

前日からの雨が残り開催が懸念されたファーマーズマーケットは
毎回楽しみにしているのだが、ボランティア活動や他のイベントと
重なったりでなかなか来れないことが多かった。

緑山スポーツ広場で10時から12時までの開催予定であるが、10分前に
様子を見ると既に入口に行列ができている。

その内にバイオリンの音が響きだした。これがアイリッシュフィドルらしい。
フィドルとはバイオリンのことで、民族音楽、伝統音楽を演奏する場合に、
フィドルと呼ぶそうな。居酒屋などでの演奏もフィドル。

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主催者ホームページによると移民によって北アメリカ大陸にもたらされ
カントリーミュージックを生み、黒人奴隷の音楽と融合してジャズと
ブルースを更にロックンロールへと結びついたと説明している。

本イベントのキャラクター的存在の案山子さん。ダリア園に寄付したものが今回里帰り?

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たい肥による土づくりをはじめ化成肥料や農薬の使用を減らした農業を
推進しているエコファーマーによる農産物がそもそもメインであるが
最近ではソーセージ、味噌、醤油、豆腐、納豆、卵、椎茸なども
更に東北産直、スペイン料理、インドカレー、花苗など
見るだけでも楽しい。

今回エコファーマーの農産物から蕪、ホウレンソウ、里芋、むかご、
東北産直からニンニク、その他ショップからパエリアを購入した。
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帰る頃にはご覧の通り フェンス外から撮影。
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大通りの欅並木の紅葉
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今回8回目とのことだが、意外にも半分の4回参加できている。次回は何が出るか楽しみだ。

2012年11月20日 (火)

北斎と広重 版画展

「北斎と広重 きそいあう江戸の風景」
開館25周年記念として町田市立国際版画美術館にて今月25日まで開催されており
10時の開館を待ち午前中鑑賞してきた。葛飾北斎と歌川広重は江戸時代浮世絵師
で『富嶽三十六景』、『東海道五十三次絵』で教科書にも掲載され、幼少より
馴染み深い江戸時代の画家との認識である。

地元の美術館でしかも世界にも数少ない版画専門美術館で、棟方志功の展覧会や
シャガール展覧会などの版画の他、ボランティア仲間の絵画が市展など出展した時
などしばしば足を運んでいる。

同美術館は谷戸地に造られた「芹が谷公園」内にある。原町田と高ヶ坂の境に位置し
南北に細長い谷戸で、周囲には雑木林で、豊富な湧き水のせせらぎや水の広場など
市民の憩いの場となっている。
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一階ホール左手の受付で入館料を支払い幅広い階段をのぼり二階が企画展の会場だ。
二階左手に常設展示場となっていて本日は右手へ。朝一にも拘わらず予想外に
かなりの入館者数である。絵によっては近づいて細部や細かい文字を確認したい
場合もあり、空いていることを期待して平日朝一にしたが残念でした。それでも
様子を見ながら見る順番を変えたり臨機応変に移動して鑑賞することができた。
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改めて大胆な構図に感嘆することしきり、風景画中心と思っていたが、北斎の
美人画「風流なくてななくせ遠眼鏡」には驚ろかされた。広重の「庄野」は
やはりすごい。庄野は山道のように描かれているが三重県伊勢平野とのことだ。
激しい雨を表現するために敢えて斜めの雨を強調している。

自宅に現役時某銀行から毎年広重の東海道五十三次の版画を数枚づつ頂いており
保管していることを思い出した。

百人一首とのコラボも面白く、誇張して描かれている太鼓橋の他に印象深いのは佃島、
滝、箱根湖水図、丸子・・・など。十分堪能できました。ありがとう(合掌)。

2012年11月14日 (水)

椎茸あかちゃん誕生!!~原木栽培芽切り~

無為庵庭には椎茸原木栽培のホダ木が五本ある。
内三本は昨年三月に種駒打ちをやっているので、今秋に収穫を期待していた。
先月から芽を出さないか、気掛かりでしばしば見ていたが、兆候なしで、諦めていた。

シイタケ菌は高温に弱いとのことで、昨年の猛暑で死滅したのではないか、
或いは素人の管理で大丈夫だったのかどうか。水は気がついた時はあげるが、
雨が当たる場所で管理しているが数ヶ月水をあげなかった時期もある。
本伏せ管理している場所は直射日光が当たらない場所で、風通しの良い場所
として選定した場所だが、初めてのこととて、全く自信はない。
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数日前にホダ木の一本から椎茸なのか直径8mm位だろうか白っぽいのが見えた。
そばに寄り、じっくり観察して椎茸のあかちゃんだと確信できた。
上の写真は樹皮を突き破り頭をもたげてきた椎茸のあかちゃんの様子です。
無為庵太郎としては上出来「芽切り」の写真だ。
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写真の黒い丸は打ち込んだ種駒である。
本日現在三箇所で椎茸の芽切りを確認できている。
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五本の内二本は今春に植菌したものなので来年秋から収穫予定だ。
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2012年11月 9日 (金)

香山(かごやま)園 美術館&庭園

横浜市から町田市へ引越して以来20年目にしてやっと香山園を訪れることができた。
小田急線鶴川駅前にあり、その気になればいつでも来れるとの意識があったのだ。
恥ずかしながら「香山園(かごやまえん)」を「香具山(かぐやま)」と思い込んでいた。

  春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
      衣ほすてふ 天の香具山 
(持統天皇)    の「香具山」だ。

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無為庵の近くには「三輪」緑山(町田市)、「奈良」(町田市と隣接の
横浜市青葉区)があり、何かあるぞと思っていたからだ。大和朝廷から
派遣されたグループがこの辺一帯に住み着いたのではないかとの推定からだ。
また最近某講演会で伺ったことであるがその住まいの玄関先に「イトヒバ」を
植えているという熊野武士団説も興味津津で実地見学を予定している。

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市観光コンベンション協会が発行しているガイドブックによると
香山園は7世紀後半の横穴墓群があった場所で、現在では「瑞香殿」という美術館と
庭園で構成されていて、瑞香殿は神蔵家24代甚左衛門盛清が天文13年(1532)に
建立、現在の建物は明治39年に建てられ「大笠館瑞香殿」と日本庭園「直ケ谷之郷」
からなり、敷地面積は13,432㎡(4,070坪)。
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受付で入館料を支払い、上のパンフレットの他に名称の由来と歴史、
見所等の案内と展示品リストを頂き丁寧なご案内をして頂いた。
靴を脱いで玄関ホールから神棚の間アルバムコーナーへと進み、
そこで香山園がNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」、「ちい散歩」、
今年BS時代劇「薄桜記」の撮影ロケ地となったとの
紹介チラシ、絵葉書の見本などを椅子に座り見せて頂いた。

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洋室大広間では富岡鉄斎の屏風絵「花鳥山水人物図」が出迎えてくれる。
この様な屏風絵で人物が斯様に大きく描かれているのが「大津絵」を
連想してしまう。一般的な山水画や横山大観の作中などは人物が小さく
描かれているとの認識があり、常駐されている館長さんにお尋ねしたら、
鉄斎では珍しくないと他の作品を書籍で示しながら説明して下さった。

序に「神蔵家」の出身地について入口案内板の「越後」と石碑「神ノ倉龍蔵之碑」にある
熊野」の豪族について統一されていないことについて新編武蔵風土記
天竺摩訶陀国」から乱を避けて中国経由で日本に来たことを承知で質問させて頂いた。

館長さんも一族の方で、顕祖加牟羅が凡そ2000年前インドから唐の「ショウカ」へ出国し
その末裔具来淀は楽浪を経て朝鮮半島へ。その末裔具世経は日本出雲に上陸後、
筑紫国鈴之御前に登り、筑紫より「天香山命(あまのかごやまみこと、別名高倉下)」に
従い諸国を巡り丹後国を経て熊野に至り、その後紀州田辺、南部、紀の川河口の
直川(のうが)郷、更に越後に移住した。新潟県の弥彦神社熊野速玉神社の祭神
である「香山」を武人の神と崇めている。

手許にある風土記のコピーによると具世経の「世」が「青」の「具青経(グ・セキョン)
となっている。また日本上陸地は「薩摩国鈴乃岬」となっている。

上記直川(のうが)から香山園あるこの地を能ヶ谷になったことは容易に想像できる。
近くに白洲次郎・正子が暮らした武相荘(ぶあいそう)があるが、この地に決めたのは
正子が「能楽」が好きだったからではないかとの説もある。

観音菩薩椅像は観音様が片膝立てで奇異な印象だが、高台寺の坐像も片膝立で、
室町時代には女性もこの姿勢がごく一般的とのことだ。そういえば昔観ていた韓国

時代劇「チャングムの誓い」の中でもあったね。酒器提子(ひさげ)も興味深く見学した。

取次の間の衝立表の「八幡太郎出陣合戦図」も迫力あり、裏面の大鷲図も味あり
望月玉泉の作で川合玉堂の師匠だ。川合玉堂の作品にも人物が小さく入っている。

藤原定家による「小倉色紙」、白薩摩焼「狆」、乾隆帝時代の「黄墨、赤墨、緑墨」、
古墳出土品である「須恵器」「勾玉」「鉄剣」など5世紀から7世紀、聖徳太子孝養像
小堀遠州「茶杓」、「古萩茶碗」と最後に「宮家誕生雛」は日本に2セットしかない
貴重なものだそうで興味深く拝見させて頂いた。

美術館を出る時に印象に残った絵葉書を10枚購入した。鉄斎自画像、八幡太郎

出陣図、宮家誕生日雛、聖徳太子孝養像、藤原定家「小倉色紙」、蒔絵文箱、
聖武天皇の筆によるとされている「大聖武」と庭園写真など
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後から入場された方に抜かれてしまう位じっくりと約1時間掛けて見学させて
頂いた。美術館の後は庭園にも別の入口から入園させて頂き散策しつつ
撮影もさせて頂いた。瑞香殿の建物にはこの庭園しかないと思う程にマッチして
素晴らしい庭だ。紅葉ベストには数日先かと思われた

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本日は念願叶って香山美術館と庭園を訪れることができて良った。
帰路は先月駅前に開館した図書館で予約していた書籍三冊借りて、
更に銀行経由。

2012年11月 7日 (水)

菊花展~七国(ななくに)山風致地区内薬師池公園~

東京都町田市の中央部にある七国山(ななくにやま)風致地区にある
薬師池公園で11月1日から開催さいれている菊花展を鑑賞してきた。

11月恒例のイベントにも拘わらず、ここ2年他に忙しく行けずにいた。
公園内管理事務所(東京都町田市野津田町3272)フォトサロン
愛称「秋山庄太郎美術館」の南側芝生広場が会場。
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第19回町田市菊花展は明日8日までの開催ということでなんとかギリギリに
見ることができた。盆養(ぼんよう)、だるま、福助、懸がい、盆栽、切花、
の部門毎に展示されていて約350点位が出品さ れている。

盆養部門 国華千望
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国華越山

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太平銀月

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国華桜島

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国華金山

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国華完勝

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太平銀月

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国華綾姫

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盆養管物(くだもの) 彩胡優美

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雲光章宝

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玉光院

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彩胡光輪

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国華始皇

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懸崖部門

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盆栽部門

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昔は懸崖を興味深く見ていたが、今では盆養厚物だ。
太平銀月や国華始皇がお気に入りだ。
最終日前日ということで、一部展示の中には
残念な状態のもあったが生き物であり仕方ないか。

七国山風致地区薬師池公園の秋模様~紅葉、吉祥草、アオサギ~

七国山にある薬師池のイロハモミジの紅葉は始まっているがまだ本格的でない。
例年紅葉本番では西陽が照り映える様は言語に尽くしがたいものがあり
アマチュアを含めて多くのカメラマンたち集まり順番待ちをしている。
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吉祥草開花。
吉事があるときには開花するという言い伝えに由来
常緑で、花の少ない時期に咲いて、花後赤い実をつけるので
千両万両が好まれると同じなのだろう。緑の葉、白い花も綺麗だ。
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ネーミングが良いので、我家の庭にも欲しいところである。
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ガマズミの赤い実が益々鮮やかになってきました。2年前これで果実酒を作ったものです。
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アオサギが物思いにふけっているよう様に見える。
バードウォッチングしている男性に尋ねて確認した。
青みがかったグリー色が名の由来。養殖魚を食害する害鳥とみなされる
こともある。イングランドとウェールズでは害鳥としての駆除されており、
生息数が減少している。逆に日本では生息数が増加している。
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筏はクレソンで水質浄化の実験とか、園内間伐材を炭化してその炭を利用すればいいのにと思う。
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2012年11月 2日 (金)

史跡巡り~秋の鎌倉 その3~瑞泉寺墓参、鎌倉宮、東勝寺跡など

史跡巡り~秋の鎌倉 その3  KAMAKURA

天園ハイキングコース踏破は初であったが、老齢の身には思いの外
きつく、想定時間を30分程度超えてしまった。休憩時間はほとんど
とらず、水分補給もスピードを落として歩きながらだったので、
勝山嶽展望台での撮影は予定していず、少し建長寺ルートに入り
展望台へ上がり撮影してそこで撮影していた外国人と言葉を交わし
シャッターを押して上げた位だ。歩行は脚力に自信がなく、歩幅を
狭くした歩行を心掛けた。

コースは要所毎に適切な案内標識がなされて、なんの迷いもなく
目的の瑞泉寺へ辿ることができた。しかし、途中の道は険しい部分もあり
健脚者向けで、高齢者や脚力の弱い女性には向かないのではなかろうか。
そう思うものの、幼稚園児や喜寿を迎えそうな老夫婦にも遭遇したし、
言葉を交わした同年代と思しき老夫婦は「慣れれば大丈夫」と
仰っていた。しかし途中踏み外すと崖下へ滑り落ちかねない箇所も何ヶ所も
あったのは事実で、注意喚起の標識はもっとあってもいいし、更に
安全対策を講じた方がいいのではと思われる箇所もある。

さてきつい思いはしたもののなんとか無事に瑞泉寺ルートの終点に
辿り着くことができた。

まずは会社入社時人事担当役員でお世話になった方の墓参だ。
入社後ご自宅が葉山にあり毎夏招待されていて一色で海水浴し
その後広い庭に面したデッキでバーベキューが恒例であった。
いつも穏やかで、頭でっかち新入社員の話もにこにこしながら
頷きながら聞いて下さったものだ。
今年三十七回忌ではないか。機会があれば墓参したいと思いながら
鎌倉に来ても同行者もあり果たせないでいた。
今回は初めから墓参を目的のひとつとして来た。

瑞泉寺の左手奥が墓苑となっている。墓参のみなら拝観料は不要
だが、200円を支払った。予定通り左手墓苑へ直通。奥が山の崖で
屏風で囲われた谷戸地で、静かで落ち着いて眠れるという印象だ。
気になっていた墓参が叶い、気持ちが軽くなった。

瑞泉寺の山門への道は趣きがあり好きだ。
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入口を入り左手にあるのがお気に入りの建物。
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本堂 庭には白いシュウメイギクが咲いていた。
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夢窓疎石による岩盤を削って作られた禅宗様庭園で、書院庭園の起源と言われている。
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大宅壮一の「男の顔は履歴書」石碑
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大宅のほか瑞泉寺ゆかりの文人として大佛次郎梶山季之川端康成
久保田万太郎立原正秋などがあげられる。

「錦屏晩鐘」 鐘楼
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永福寺跡石碑 源頼朝が中尊寺の二階大堂、大長寿院を模して建立した寺院で、
鶴岡八幡宮、勝長寿院とならんで当時の鎌倉の三大寺社のひとつであった。

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鎌倉宮
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本殿 七五三のお祝いをしている家族も
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紅葉山やぐら 
宝戒寺見学後「やぐら」の標識につられ北条高時「腹切りやぐら」と
間違い行ってしまった。当やぐらは北条執権ゆかりの納骨をしている場所。
明月院にもあったように山腹の岩を刳り貫いて作った穴をやぐら(窟・岩倉)
といい、鎌倉市地方を中心に存在する中世の横穴墳墓、供養所のことである。
やぐらは特に上層階級の墳墓とされているようだ。

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東勝寺跡
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新田義貞に攻められた北条高時はここ東勝寺に籠り、前日始まった
巨福呂坂での戦いが葛西谷に移ったのが元弘三年(1333)5月22日で
高時は一族郎党は自害して果てた。鎌倉幕府滅亡である。

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北条高時腹切りやぐら跡 その死に様は壮絶と「太平記」に語られている。
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鶴ヶ岡八幡宮
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がんばれ銀杏 倒木が報道され有名になり、記念撮影が絶えない。ひこばえが少ないし丈も短い様に思える。
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稲村ヶ崎、化粧坂切通しほか「鎌倉七口」など次回に回りたい。
しかしワープの旅だけに他に行くかもしれないが・・・。
鶴ケ岡八幡からは駅へはごった返す小町通りを抜けて直通。
予定していた電車の一本後(6分後)に乗ることができた。
大船で「鎌倉史跡巡りを無事終えました」と観音様にお辞儀した。

史跡巡り~秋の鎌倉 その2~出会った花たち

ノボタンでしょうか。 円覚寺境内仏殿裏の庭園
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朝顔「元気」、琉球朝顔?

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タマアジサイ 蕾が丸い玉で弾けるように咲きます。

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unknown キキョウの種類か 明月院境内
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ホトトギス ススキの根本で密やかに咲いていました。見つけてくれる人は少なかろう。
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ユリオプスデージー 天圓コース今泉台住宅地朝日に映えて美しく輝いていました。
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シラヤマギク コース内何ヶ所にも咲いてハイカーから愛でられています。群生地も。
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シロダモ アオキのようにも見えたが、シロダモではないか。意外と赤い実ものが少なく目立っていた。
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アジサイ 瑞泉寺境内。タマアジサイは秋咲きだが、これは初夏から頑張って咲いていたのでしょう。
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シュウメイギク 大好きな白。瑞泉寺境内
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ツワブキ 瑞泉寺境内
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千両の実
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瑞泉寺、鎌倉宮、永福寺跡、東勝寺跡等は「その3」


史跡巡り~秋の鎌倉 その1~円覚寺、明月院、天園・・・

史跡巡り~秋の鎌倉 その1   KAMAKURA

小田急江ノ島線藤沢で東海道線上り大船で横須賀線乗り換え
車窓から見える「大船観音」様から「気をつけて、いってらっしゃい」と
微笑まれているように感じる。

本日予定は北鎌倉駅下車、円覚寺、明月院、天園ハイキングコース、
(今泉台→勝山展望台→十王石→鷲峰山→大平山→天園)
瑞泉寺、永福寺跡→鎌倉宮→宝戒寺→東勝寺跡→鶴岡八幡宮

8時半過ぎ目的地北鎌倉駅に予定時刻通りに到着した。
既に学生や中高年のグループが待ち合わせをしている。
平日の早朝ということで思いの外空いている。

円覚寺 臨済宗 正式には
瑞鹿山大圓覚興聖禅寺(ずいろくさんだいえんがくこうしょうぜんじ)
ここ数年何回か前を素通りしている。拝観料300円。
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円覚寺では坐禅会を実施されており、幾度となく参禅を考えたことがある。

山門の重量感ありながらこの品格はすごいとしか言い表せない。
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楼上に観世音菩薩・羅漢が安置されている。

扁額の「円覚興聖禅寺」は伏見上皇の勅筆
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仏殿
本尊は宝冠釈迦如来。圧倒されてしばらく呆然と立っていた。
天井画も前田青邨監修守屋タタ志による「白龍」も迫力あり。
殿内に椅子があったので座らせてもらった。
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選仏場
仏を選び出す堂宇のことだが、元座禅道場。
鎌倉彫や陶芸など美術工芸展示中であった。
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方丈と庭園
本来は住職の居間。現在では様々な行事に使用されている。
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舎利殿
本日円覚寺の最大目的。
僧衣を着た御坊様が解説されているが不要だ。
説明不要の美しさである。
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五代執権嫡、十三歳で 執権を補佐する連署となり、十八歳の若さで
第8代執権に就任。2度に渡る元軍の侵略攻撃には御家人以外の武士にも
出陣を要請。元の国使を処刑、派兵を計画、防塁を構築、神風の台風の
恩恵もありこの難局を乗り切った。
腹違いの兄・時輔らの対抗勢力を討ったり、幕府に批判的な日蓮を処刑
しようとしたり、専制的な面もあったが、一方禅宗に深く帰依し、文永・
弘安の役で亡くなった敵味方の霊を慰める為、この円覚寺を創建した。
時宗は33歳の若さで亡くなったがその生涯は元寇との戦いの生涯であった。
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明月院
花の寺として有名だが、禅興寺という寺の塔頭であったが、本体の禅興寺は
明治初年頃に廃絶し、明月院のみが残っている。境内には北条時頼廟、
北条時頼墓(宝篋印塔)、鎌倉十井の1つである「瓶(つるべ)の井」)、
「明月院やぐら」と称される、岩を掘りぬいた墓室(上杉憲方墓とされ
宝篋印塔を安置)などがある。
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禅興寺の起源は鎌倉時代5代執権北条時頼まで遡る。室町幕府第3代将軍の時代には、「禅興寺」は関東十刹の一位とされた。

北条時頼公墓所碑

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墓所

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方丈

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方丈内部

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茅葺き屋根の開山堂 右側に瓶の井、左にやぐらがある。
右奥ススキのボツチ中に「ホトトギス」が咲いていた。
今回史跡巡り途上の植物は「その2」でまとめて紹介する。

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やぐら

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花想い地蔵の案内看板

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花想い地蔵

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竹林内に瓦

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天園へ途中僧侶に追い抜かれた。

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幼稚園児を引率している保母さんや園児、勝山展望台で外国人
カメラマンや散策中の老夫婦とも言葉を交わしたり、写真を
撮ったりの交流があった。

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険しい山道「鎌倉アルプス」は初であるが思いの外の険しさに
後々大丈夫かと心配する場所も何ヶ所もあった。こんな険しい
コースを走破している猛者と4名(内女性1名)に出会った。

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薬師如来座像 拝顔したらその優しいお顔に元気が出た

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勝山嶽展望台は建長寺へのルートに少し入った場所にある。
ここからの眺望はよく、鎌倉が周囲を海と山で囲まれた
要衝の地であることが理解できる。ここで熱心に撮影していた
ラテン系外国人がおり、撮影して帰ろうとしたら、
シャッター押してくれと頼んできた。
 

台風によるものか根こそぎ倒木もあるが未処理

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大平山は海抜159.2m市内最高地点とある。

正に「切通し」  鎌倉の外郭山は危急存亡の時「いざ、鎌倉」と
各地から駆け付けた武士団の出入りを監視する関門となり、敵の侵入を
防ぐお城の機能も果たしていた。切通しは「化粧坂切通し」
「巨福呂坂切通し」「名越切通し」「朝比奈切通し」「亀ケ谷切通し」
「大仏坂切通し」「極楽坂切通し」の七つの他にもある。
切通しについては次回以降取り上げる予定だ。

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明月院を出て約2時間。健脚コースと言えそうだが、幼稚園児や70代高齢者にも遭遇した。

瑞泉寺以降は「その3」へ「その2」は史跡巡りの途中観察した花達

鎌倉古道ワープの旅 その2(仮) とのタイトルでいいのか
毎月やりたいとは思っているが、体力的にどうか心配。

今月は新田義貞による鎌倉攻め目的地である「鎌倉」
鎌倉も縁の史跡が多くて何回にもなりそうだ。
無為庵から1時間位で来れるので、突然鎌倉人になるかも。

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