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2013年1月

2013年1月29日 (火)

東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)

国史跡指定 東山道武蔵路道路遺構と武蔵国分寺跡

東山道武蔵路西国分寺道路遺構と武蔵国分寺・国分尼寺跡などの
史跡と鎌倉古道上の道を見学しのてきた。1月上旬を予定していたが、
積雪や体調不良のため今日になったものだ。順延のお陰で好天に恵まれ
気持よく史跡めぐり見学ができた。

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大化の改新(645年)後唐の制度を導入した中央集権国家が成立した。
この支配体制を全国に及ぼすために駅制による道路(駅路)の整備が
実施された。都と地方の国府を最短で結ぶ幹線道路として
東海、東山、北陸、山陽、南海、西海の七道が整備され、約30里(16km)
おきに駅家が設置され、山陽道と西海の大宰府道は大路として20疋
東海道と東山道は中路として10疋他は5疋の駅馬が常備されていた。

古代道路、奈良時代の官道ってどの程度のものか。狭い道と思っている人が多い。
例えば道路幅は馬が走れる程度で道路網は現代高速道路網の十分の一程度と
思っている人が多い。ところが幅は判明しているもので40m、東山道は昨年秋に見学した
太平記の里ひとり旅 その1 「東山道公園(群馬県太田市)道路遺構は12m幅で、
今回の西国分寺の武蔵路も同規格である。

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道路網は現在高速道路が6500km位と言われているが、8世紀「七道」は
6300km位になる。その道路は国府間を最短のほぼ直線で結ばれており、
「古代ハイウェイ」と言えそうだ。興味深いことにはそれら官道の道路
遺構がほぼ現在の高速道路と重なっているのが多いことだ。

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東山道武蔵路もそうであるが、その両側に側溝を造り、相当の雨でも冠水しないような工夫が施されている。

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七道は駅路に沿う行政区の性格も有していて、東山道は中部地方から
関東・東北地方の山岳地帯を中心とする行政区の名称でもあった。
近江、美濃、飛騨、信濃、上野、武蔵、下野、陸奥、出羽の九カ国
が所属していた。

武蔵国に至る東山道は上野国から武蔵国へ立寄って下野国に戻る
往還路(支路)で、一般に「東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)」
と呼ばれている。埼玉県所沢市の「東の上遺跡」の調査から
650~675年頃の完成と見られている。

武蔵国へは東海道からが便利との進言によりその後宝亀二年(771)に
武蔵国は東海道へ所属替えが行われた。町田市野津田公園で発掘調査
された上野原遺跡の道路遺構も12m幅で武蔵国府の府中と相模国の国府とを
結ぶ道路遺構ではないかと言われている。鎌倉古道上の道も一部重なって
いたのではと考えている。

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国分寺市泉町2丁目の道路遺構は幅15m、延長約400mで、歩道部分の地下0.8~1m埋没保存されている。側溝の位置と形状をアスファルト上に色を変えて忠実に表面表示されている。

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発掘遺構を再生展示されている。

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断面がV字型で連続ビット穴が開けられているのも野津田公園上野原道路遺構と同じで、道路造成法が確立していたようだ。下写真は町田市野津田上野原遺跡で同じ工法と確認できる。

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武蔵国府近くで東山道武蔵路の東に武蔵国分寺が西側に武蔵国分尼寺があり、往時の様子を想像するのにいい気候と天気であった。

薬師堂
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仁王門

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国分寺 金堂跡石碑
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国分寺跡境内の老木 何か貫禄と味のある樹木です。そばでのんびり
寝ころんで往時を偲びたい気持ちになったものです。近くで写生を
されている方がおられた。
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第四中学のところから府中街道とJR武蔵野線を潜り武蔵国分尼寺跡へ。石碑解説板多数あり助かる。
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国分尼寺跡に隣接し黒鐘公園がありその中に鎌倉古道が「伝鎌倉街道」として保存されていた。「伝」ながら石碑もあり車両の通行止めを平成12年から実施している。

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市の職員なのか丁度落ち葉掻きをしておられた。

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2013年1月13日 (日)

蝋梅(ロウバイ)~佐保姫の使者か~

犬の散歩をしている時にどこからともなく芳しい香りが漂ってきた。
蝋梅の花の季節なんだ。

身近な花の中で最も早いのではないか。
春を司る女神「佐保姫」の使者がここにもやってきていたんだな。

蝋梅の木が屋敷内に五・六本あるお宅のを今朝の犬散歩時に撮影させてもらった。
好きだが無為庵庭には植えていず、毎花期楽しませて頂いている。謝謝。

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蝋梅は中国からの帰化植物で、「雪中四友」、「名花十友」などと讃えられている。

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花弁が半透明の黄色で蝋を浴びせ掛けた様な艶がある。
写真のは花弁すべてが黄色で「ソシンローバイ(素心蝋梅)」という。
内側の花弁が暗紫色なのは「シンノロウバイ」などその他園芸品種がある。

蝋梅を梅の字で、バラ科サクラ属の「梅」の種類と思っている人が多いが違う。
蝋梅はロウバイ科ロウバイ属。更に我が老妻もそうだが「黄梅」と書き
「オウバイ」と混同する人もいる。オウバイはモクセイ科ソケイ属

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  蝋梅や 雪うち透かす 枝のたけ
                      (芥川龍之介)

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♪ 蝋梅は咲いたが、梅は まだかいな~ ♪   梅の蕾は まだまだ堅いぞ。
撮影していたら散歩中の老夫婦が「もう咲いてるのかしら?」期待させてしまった。

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序に、寒風に健気に枝に付いている「姫リンゴ」

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2013年1月 3日 (木)

初詣2013~浅草名所七福神~

初詣は毎年行っているわけではなく、場所も様々である。
子供の頃は両親と伏見稲荷にお参りし、帰りに雀や鶉の焼鳥を
食べるのが楽しみで神戸から京都までついて行っていたものだ。

結婚後東京に住むようになってからは妻と大山阿夫利神社川崎大師などのほか
御徒町でゴルフクラブ購入がてら鶯谷七福神を回ったことがある。
独りで成田山新勝寺鎌倉八幡宮などもお詣りしている。

今年は浅草七福神を回り全てお詣りできたら東京スカイツリーもと
目論見事前に調べておいた。昨年大阪に転勤していた娘夫婦が
年末から里帰りしていて本日帰阪予定だが、前夜に「気を付けて帰れよ」と
言っておいた。恐らく遅くまで話し込んでいただろう家族を起こさないよう
静かに犬の散歩をさせて、朝食は卵ごはんで済ませた。

小田急最寄り駅まで老妻が送ると言ってくれたが大丈夫と断り歩いて行った。

浅草名所(などころ)七福神は九社寺ある
   大黒天   浅草寺
   恵比寿   浅草神社
   毘沙門天 待乳山聖天
   福禄寿   今戸神社
   布袋尊   橋場不動尊
   寿老神   石浜神社
   寿老人   鷲神社
   弁財天   吉原神社
   福禄寿   矢先神社

「九は数の究み、一変じて七と為す。
九は鳩てあり、あつまる意味をもち、又天地の至数
易では陽を表す」(浅草名所七福神会)

浅草寺、浅草神社と矢先神社は既に行ったことがあるが他は
初めてで不安だ。今回は北西の鷲神社から攻めることとする。

鷲神社→吉原神社→石浜神社→橋場不動尊→今戸神社→
待乳山聖天→浅草寺→浅草神社→矢先神社

日比谷線入谷駅からスタート。地図を頭に叩き込んで来たつもりだが
入谷二丁目辺りまで来てもそれらしき案内がなく不安になり自転車で巡回中の
若い警察官に尋ねたがなかなか要領を得ない。そこへ「鷲神社ならこちらですよ」と
ご自身もこれからお詣りに行くという爽やかイケメン君が声を掛けてくれた。
新春早々縁起がいいわい。

結局方向的には間違いなく真っ直ぐ進んだ場所であった。神社前には大型バスが
停車している。酉の市で有名でニュース等でしばしば耳にしている神社だ。

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写真撮影の為イケメン君とは入口でお礼を言って別れた。境内は予想していたより手狭だ。

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右手に休憩所があり甘酒を振る舞ってくれている。風が冷たく寒かったので有難い。
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境内を見ると右手に樋口一葉文学碑や正岡子規句碑などの石碑が数基ある。

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次の吉原神社は近い筈。鷲神社を出た所に矢印の案内があり助かる。

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矢印通りに行こうとしていたが右側にそれらしき幟が賑々しい。
吉原神社の境内飛び地緑苑弁財天本宮

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弁財天奥宮拝殿 何とも艶かしい色使い。

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花園池にあったという移設された観音像

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七福神巡りだからここで十分ではあるが吉原神社本社も立ち寄ることにした。

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問題は次の予定地が遠い。吉原仲之町通り吉原大門東浅草二交差点アサヒ
会商店街
橋場交番前から橋場二交差点のルートで隅田川リバーサイドに出て
石浜神社、橋場不動の予定だったが、大幅に脱落して千束通り地方橋山谷堀
公園
を通りリバーサイドスポーツセンターに出てしまった。我ながら呆れてし
まう。三角形の二辺を通ったことになり倍以上の時間をとってしまったのだ

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上の写真は山谷堀公園で散策路としてもよさそうだ。丁度孫ふたりを散歩させている
老夫婦が楽しそうだった。

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埋め立てに伴い架かっていた九つの橋は全て取り除かれ橋台と地名で残っている。
途中通ってきた「地方橋」「紙洗橋」がそうだ

遠回りした為、懸念していた脚の疲労が激しくパンパンに張り何度も攣りそうになったが、
ペースダウンして何とかだましだまし歩行を進めることにした。
途中もっと解り易い案内表示がされていればと思う。

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隅田川の白鬚橋に出たかったのが桜橋に出たのは途中
東京スカイツリーが見えていてそれを目指して隅田川に出れば
最悪なんとかなるとの深層心理があった様だ。

予定変更で手前の橋場不動尊を先にお詣りすることにした。
天平宝字4(760)年、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の第一の
高弟寂昇(じゃくしょう)上人によって開創とある。

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民家の間の参道を通り正面にお堂がある。
小宇であるが懐かしい趣がある。

石浜神社へはそのまま北へ大きな通りに出た。白鬚橋西詰でここまで来ると
前方に石浜神社が望める。九社の内唯一荒川区だ。東京ガスの球型タンク群も
見える。明るく新興開発区でこんなところに神社があるのかと驚かされた。
亀元(724)年に鎮守とあり見た目とは予想外の歴史を有するのだ。

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更に東に隅田川、西に富士、北に筑波を遠望する清浄な地で神域にふさわしく、
隅田河畔の名所として江戸庶民の信仰厚く、隆昌をみたので「隅田名勝八景
江戸名所図会」「東都歳時記」などにもとりあげられているとのことだ。
白ひげ西地区再開発事業により昭和63年9月に現在地 に遷座されたもの。
どうりで鳥居から社殿など全てが新しい。最初の疑問が氷解した。

境内には江戸神社北野神社妙義八幡神社真先稲荷神社
招来稲荷神社のほか白狐祠富士遥拝所業平の都鳥歌碑などまである。

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次の今戸神社へは来た道を戻ればいいはずだが、リバーサイド遊歩道を
スカイツリーを眺めながら進むことにした。初詣客の他ジョギングしている若者もいた。

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水のある風景はいいものと改めて思う。
遊歩道にホームレスのブルーシートが並んでいて残念なことだ。
夏は涼しく花火も見えていいが、この季節寒いのではないかと心配してしまう。

途中隅田川ウォールアートギャラリーとして『東都名所 浅草金龍山 〜歌川広重
など江戸東京博物館所蔵の錦絵などが展示されていて興味深く楽しめた。

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桜橋手前野球場でトイレ休憩、水分補給もして今戸神社へ。
神社手前には観光バスが停車している。参道を進むと
参拝客が行列をなしている。

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本殿参拝と絵馬板購入のふたつの行列がある。
康平六年(一〇六三年)、京都の石清水八幡を勧請し、今戸八幡を創建。
昭和十二年七月に、白山神社を合祀、今戸神社と改称とある。

謀反をおこした清原武衡・家衡討伐のため、源義家が今之津を
通過するあたり戦勝を祈願しました。その甲斐あって勝ち、
いくさをおさめることができ、義家は神徳に報いて社殿を修復した。

沖田総司終焉の案内板が掲げられている。

次は待乳山聖天だが、まつちやまと最初読めなかった。
縁起によると、推古天皇3(595)年、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ
金龍が舞い降りたと伝えられている。境内は高台にあり江戸有数のの景勝地だった。

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毘沙門天は仏法を守護する大本の神様として、ことに庶民の迷いを救い、
願いをかなえて広大な包容力を持つ。紋章には巾着二股大根が組み合わ されており、
巾着は砂金袋のことで商売繁盛を、二股大根は無病息災、夫婦和合、子孫繁栄を
それぞれ意味し、大聖歓喜天の福徳を示している。

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大根まつりの幟が目立つ。1月7日実施されふろふき大根が振舞われる。
境内入口には池波正太郎生誕地の碑もある。

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ラッキーなことに丁度神楽殿で能が奉納されていた。
正月の楽しみのひとつはテレビで能楽鑑賞であり有難い。
立ったままだが、しばしの休憩もできた。

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今回のルート上で東京スカイツリーに最も近い場所からのショット

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あと三社だが、残り三社は知っている社寺で場所は承知しているので
不安はない。浅草神社手前の賑やかな場所でとうとう足が痙攣を起こし
路傍の花壇の縁に座り休憩、足を伸ばしながらどうするか
決めかねながらゆっくりと足を進めた。

浅草神社・浅草寺
平安の末期から鎌倉にかけて権現思想が流行しだし、浅草発展の功労に寄与した
郷土神として祀ったものであろうと推定されます。明治維新の神仏分離令により
浅草寺との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、同6年に現在の名称に。

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二天門を潜ると、浅草神社にもすごい行列であり、浅草寺も大混雑している。
こんな中に入り押されも踏ん張れない。今年は浅草寺など浅草周辺で初詣してその後
東京スカイツリーへと考える人が多いらしい。東京スカツリーから初詣なのかな若い人は。

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写真撮影だけして帰ることにした。

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仲通りの裏通りも混んでいて別ルートに。途中甘酒が300円で、
最初の鷲神社が境内で無料、待乳山が境内で100円だったので可笑しくなった。

正直半分回り、残りは後日でもと思っていたがこれで完了と見做したい。

地下鉄浅草駅への階段を降りるのが辛い。
一週間位は痛みが続きそうな予感がする。

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