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2013年2月

2013年2月28日 (木)

早春の鎌倉散策 その2~化粧坂、寿福寺、英勝寺、海蔵寺~

化粧坂(けわいざか)国指定史跡
鎌倉七口のひとつ。鎌倉古道 上道(かみのみち)はここに出るといわれている。
鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける「鎌倉往還上ノ道」の出口入口に当たる。
鎌倉の交通の要衝であったことから元弘3年の新田義貞の鎌倉攻めでも
戦場となった。

切り通し 観光客の安全を考慮したのか砂が撒かれているのか、気になる。

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大きな岩が真ん中にある。こんな所でどのように戦ったのだろうか。

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崩落防止金具も

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化粧坂を降りて海蔵寺を訪ねる予定だったが、源氏山公園の頼朝像の撮影がしたく
降りずに源氏山公園を進むことにした。

源頼朝像
開けた広い場所に立派な像で圧倒される。
芝生養生しているのがやけに目立つ。ここまでやる必要があるのか。

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元に戻ることも考えたが、別ルートがあるのではと歩いてみたが、失敗であった。
結果はとても険しく、老人子供には無理と思われるような出口で寿福寺へ出た。

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寿福寺 国指定史跡
亀谷山寿福金剛禅寺。正治二年(1200)北条政子が栄西禅師を開山とし建立。
鎌倉五山の第三位。頼朝の父源義朝の館があり、源実朝、北条政子の墓と
伝わる五輪塔が二基ある。
俳人高浜虚子や作家大佛次郎のお墓もある。

外門から山門への参道 敷石や植栽など情緒ある参道。

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暫くじっと眺めていたくなった。

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鐘楼 中に入れず無理なアングルになってしまった。

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英勝寺
太田道灌の子孫で、徳川家康に仕えたお梶の方(英勝院)が道灌の
屋敷跡に建てた尼寺。一緒に行くと戦に勝利したことから改名し
お勝」に。水戸徳川家の初代頼房の養母だったことから水戸家の
姫が住職を務めている。総門に三葉葵の紋を掲げ武家屋敷のような境内だった。
残念ながら本日木曜日はまさかの定休日で境内へ入れず。疲れがどっと出る。

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太田道灌邸跡碑

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総門 三葉葵の紋は微かに見えているが梅の花に隠れて見難いのが残念。門に開花情報あり。

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海蔵寺
鎌倉時代には七堂伽藍を持つ大きな寺と伝えられている。鎌倉幕府滅亡時に
焼失し、応永元年(1394)に足利氏満の命で、上杉氏定が心昭空外を
招き再建させた。扇ガ谷上杉氏の保護を受けて栄えた。

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底脱の井(そこぬけのい)
鎌倉十井のひとつ。中世の武将安達泰盛の娘千代能がここに水を汲みに
来た時、水桶の底がすっぽり抜けたため
「千代能がいただく桶の底が脱けて、水たまらねば月もやどらず」と
うたったことから、この名がついたと言われている。
井戸の底ではなく、心の底が抜けてわだかまりが解けて悟りが開けたという
解脱の歌とのこと。

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福寿草 東慶寺にも咲いていて撮影したが、こちらが日当たり等環境がいいのか綺麗。

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紅梅 茅葺屋根を背景に

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鐘楼 高齢のアマチュアカメラマンが目立つ。

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本堂

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本堂と庫裏の背後にある庭園 建物は新しく見える。禅の不動心を表象している。

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十六の井 窟の中央に石像の観音菩薩像を祀り、その下に弘法大師像を安置
径70cm、深さ4~50cm位の井戸16穴がそれぞれ清冽な水を湛えている。

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予定以上に歩き疲れたのでこれにて駅へ。
途中見た「結の蔵」秋田の酒蔵を蘇らせ民家として再生とある。

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殆ど休憩取らずに一気に回った。小町通りのその名も「小町通り」という和食屋さんで
遅目の昼食をして「鎌倉駅」から帰路へ。

次回の鎌倉史跡めぐりは稲村ヶ崎から十一人塚、極楽寺、御霊神社、長谷寺など。

早春の鎌倉散策 その1~東慶寺、浄智寺、葛原岡神社 ~

早春の鎌倉散策 その1~東慶寺、浄智寺、葛原岡神社~

鎌倉史跡と早春花巡り。今回も北鎌倉駅からのスタートで、
コースは大仏コースをアレンジしたものである。
つまり化粧坂(けわいざか)から景清窟、海蔵寺、薬王寺、浄光明寺、
英勝寺、寿福寺の予定であるが、体調次第ということにする。

本来は明日の予定でスケジュール表に書き込んでいたものであるが、
天気予報を聞き急遽本日に変更した。

大船で横須賀線乗り換えで後方車両に乗り大覚寺方面改札口がICカード対応
が恐らく一箇所のため行列をなしていると判り、東慶寺は上りホーム側と
承知していたので行列を離れて上り改札口から出た。

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東慶寺(とうけいじ)
鎌倉幕府第八代執権北条時宗の夫人覚山志道尼が開創。松岡山東慶総持禅寺、
後醍醐天皇の皇女用堂尼が入寺以後「松岡御所」と称され、寺格の高い尼寺。

現在は円覚寺末の男僧の寺であるが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺。江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として有名であった

四季の花が楽しめ、学者や作家の墓が多い。鈴木大拙、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、高見順、小林秀雄らの墓がある。

外門

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山門

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マンサク

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さざれ石 国歌「君が代」にうたわれている

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後醍醐天皇皇女用堂女王墓

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小さな仏像 通路崖に気になった仏様

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浄智寺(じょうちじ)
鎌倉五山の第四位、山号を金宝山といい、北条時頼の孫師時
父宗政の没後弘安4年(1281)以後に建立。開山は宋僧の兀庵普寧とされ
境内には鎌倉十井の「甘露の井」がある。

五山とは鎌倉時代に中国の五山制度にならって、最初鎌倉の禅寺に
設けられた。建武の中興から京都にも五山に列せられるものがでて、
さらに室町初期には鎌倉・京都それぞれに設置された。その後たびたび
改定され、足利義満のとき、五山の上に南禅寺がおかれ、京五山として
天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺鎌倉五山として第一位建長寺
第二位円覚寺・第三位寿福寺・第四位浄智寺・第五位浄妙寺の順と定められた。

山門 左に甘露の井

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楼門 中国風で珍しい

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曇華殿

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三世仏坐像 阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏でそれぞれ過去・現在・未来を象徴

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観世音菩薩 曇華殿裏側に御坐す

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三椏(ミツマタ)

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布袋像 お参りしてお腹を撫でて出てきたら左山側にリスが現れた。

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域内にコウヤマキの老木あり。

大仏ハイキングコースは浄智寺の横の道を入っていく。
途中木の根が階段代わりになっているなどきついコース。

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木製の立派な階段。これが無いと軍手が必要でズボンのお尻も汚れたかも。

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葛原岡神社
文章博士日野俊基をお祀りした神社。
建武の中興、元弘三年(1333)を計画したが、1331年幕府の北条高時に
捉えられ、悲愴な最期をここ葛原岡で送った忠臣。
明治天皇の思召しで明治21年創建された。

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鳥居右にある「魔去る石」

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ハイキングコースに縁結びの神社と宣伝している。

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男石と女石 若いカップルのデートスポットということで、新規に設置したのか。
コース上の案内はまだいいとして商売根性を露骨に出し過ぎてないか。

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お参りしている園児たち。その間静か。保育士5人の前に約30名の園児たちが手を
合わせている。これはいいものなのかどうか、怖いものを見たようにも思える。

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早咲きの桜 境内で蕾と同時に葉っぱも。葛原岡は桜の名所とか、これで救われた。

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化粧坂から源氏山公園、寿福寺、英勝寺、海蔵寺は その2へ

2013年2月21日 (木)

養運寺&宏善寺呉服枝垂梅2013

柔らかな日差しに誘われて、梅の時期に訪ねたいと思っていた宏善寺
近くの寺院である養運寺にお詣りしてきた。梅の開花状況の確認ができている
訳ではないのが気掛かりではある。梅開花は個体差が大きく1月に咲いたり
翌年は3月ということもある。前回4年前2009年2月5日は散り始めていた。
さて今年はどうだろうか。神奈中バスで養運寺バス停下車、まずは
北西に約100m鎌倉古道に面している「養運寺」さんからお詣り。

養運寺(よううんじ)
端正に整備された石の階段と山門が見えそれと知ることができる。

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山門手前に手入れの行き届いた白梅がほころび出迎えてくれた。

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山門も小さいながらも趣がある。

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その奥にこれまた端正な本堂がある。本堂左にも白梅が咲いている。
本堂には阿弥陀三尊像を安置されており、市の文化財指定。
浄土宗鶏足山養運寺、開山は足利義昭時代永禄十年(1567)
中尊像は定印の阿弥陀如来坐像で、両脇侍像は来迎形の三尊。

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本堂の白虎かな。機会があれば由来を知りたいものだ。

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立派な鐘楼がどうしても気にかかる。鐘楼に上がらせて頂いた。

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参拝し、撮影している内に数名が見えただけで、静かに見学できた。

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境内全般に手入れが行き届いている。久しぶりに訪れたが清々しい。

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鐘楼の脇には市の名木百選ムクロジの木
ムクロジの実はお正月の羽根突きの羽に使うことは若い人で
ご存知なのは少ないようだ。

無患子 (むくろじ)
属名のSapindusは、ラテン語で“インド産石けん”を意味する。
果皮には多量のサポニンを含み、水を泡立てる働きがあるので、
洗濯などに広く利用されてきました。

境内には徳富蘇峰の詩「蘇峰の鏡」や下村照路の歌碑がある。

宏善寺(こうぜんじ
養運寺前の鎌倉古道を更に西へ進むと500m程歩くと本日目的のお寺。

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山門を潜り参道 前回訪れた時同様に綺麗に掃き清められている。

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鎌倉古道に面していて古刹に間違いなく、古道沿い故に戦乱に巻き込まれ
建物、仏像、教典などこの地方の他の寺院同様焼失してしまっているそうだ。

日蓮宗、久住山宏善寺
当寺院の沿革によると「暦応元年(1338)の創立。開山善立院日海。
当初真言宗の坊として創立。宗祖が佐渡流罪の途次休息、文永8年より本宗に改宗。
鎌倉時代の戦乱で焼失、暦応元年再建。戦後本堂、客殿、庫裡、山門を建立する。
古くは身延山の末寺なるも時代の変遷により池上本門寺末となる。」

仁王門の手前に町田市名木百選のイヌマキ

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イヌマキ(雌株)がある。単にマキともいう。
犬のつく植物は多く、殆どは「」という意味で、本来は別にあるマキなる
木に対して、それよりも劣るものとして、いやしんでつけられた名である。
古くはスギ(杉)のことをマキとよんでいたことから、これに対するものとの説、
あるいは、紀伊半島や四国地方ではコウヤマキを本槇と呼ぶことから、
これに対しての命名とする説もある。

仁王門

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向って右の金剛力士像は左手で剣を逆手に握り口を開けている。

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左の金剛力士像は右手を上げていて口は固く閉じている。両者で阿吽の相をなしている。

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さて目的の呉服枝垂(くれはしだれ)梅はというと・・・
まだ三分咲きだろうか。

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南東部分は心持ち沢山咲いている。

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枝垂梅越しに本殿を望むと

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前回訪れた2009年2月5日に撮影した写真2枚を参考までに。地面に花弁が落ちている。

200925
2009年2月5日
2009

菅原神社バス停まで歩くことにしたが途中恩田川で「シラサギ」に遭遇。

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梅は開花時間が長くていいが、ベストショットの時期は個体差がありすぎて難しい。
宏善寺の近所に情報源が欲しいと痛感した次第だ。

2013年2月19日 (火)

早稲田から庚申塚~初めての都電~

早稲田から巣鴨都電の旅

行ったことのない巣鴨とげ抜き地蔵に乗ったことのない都電を利用
してみることにした。都電は早稲田から出ているので久しぶりに
母校の大隈庭園大隈重信銅像など撮影してみることにした。

キャンパスに近づくと何やらピリピリした緊張感が漂い出してきた。

 今日は入試日だったのだ。構内立入禁止の看板と警備員やら腕章をした
職員係員が入口でチェックしている。

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祖父に似ていたことから「おじいちゃん」と呼び挨拶していた大隈重信銅像の撮影は
断念せざるを得ない。大隈講堂は変わらぬ凛々しさで御座す。
講堂は受験生の付き添い父兄に開放されている。

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大隈庭園は1月から3月は閉園だった。息子ともども卒業生である
にもかかわらず全く知らずにいた。庭園入口の案内石碑によると
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月から12月の水曜、日曜を除き、11時から16時で雨天時は閉園も
あるとのことだ。写真は大隈庭園入口。

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庭園にある孔子像。横から見ても立派だ。

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初めての都電
キャンパスからどちらの方向かは承知しているが、正確には知らないでいた。
都電早稲田。丁度着いたところで終点で下車した客が反対ホームに十名程。

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三ノ輪橋行きに乗り込む。出発までには座席はほぼ埋まっている。

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出身地である神戸の市電(路面電車)は最も美しい路面電車と言われて
いたもので、改めて懐かしく思い出された。
神戸の市電路もそうであったが、自動車が同じ道路の両側を走り
真ん中を路面電車が優先的に走るというのが路面電車のイメージであるが、
都電は幾分違っている部分がありそうだ。

学習院下駅で。専用軌道で車道と分離されている。

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目的駅庚申塚駅。反対車線に「早稲田行き」が停まっている。

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巣鴨地蔵通り商店街。元中山道。「おばあちゃんの原宿」、おばあちゃんが好きそうなのが多そうだ。

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地域文化創造館。面白そうな建物で後で調べたらカルチャーセンターみたいなのらしい。

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名物となっているらしい「赤パンツ」屋さん。

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高岩寺入口。
萬頂山高岩寺、曹洞宗の寺院。本尊は地蔵菩薩で秘仏(非公開)。通称とげ抜き地蔵
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聖観音様。通称「洗い観音」タオルで洗う。摩耗激しく現在のは平成4年奉納。彫刻家八柳尚樹の作。

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先代地蔵はタワシで洗われてツルツルに。下写真が先代なのか確認できなかった。

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真言宗医王山真性寺、本尊は薬師如来。 聖武天皇の勅願により行基が開祖。

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江戸六地蔵石碑

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銅造地蔵菩薩坐像。都指定有形文化財。江戸六地蔵のひとつ

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梅開花。高岩寺境内紅梅。

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高岩寺境内の白梅

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真性寺境内の白梅と銅像

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 天気予報に反し、雪が降りだして寒く、予定していた「六義園」は次回にして帰路へ。
白山通りをJR巣鴨へ向かう途中の八百屋で「ずいき」を見つけたので妻への土産とした。

一昨年里芋の茎を自宅で干して、煮物にして好評、昨年は生育悪く入手できずにいたもの。

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2013年2月 7日 (木)

葛飾柴又帝釈天~彫刻の寺院

はじめての柴又帝釈天    SHIBAMATA TAISHAKUTEN

前日の雪とはうって変わり3月の陽気との天気予報を信じ、かねてより
機会があれば訪れたいと思っていた葛飾柴又の帝釈天へ行ってきた。
先月中旬体調を壊し、歩ける内に早めに行っておこうという気持ちもある。

日暮里から京成で高砂、高砂で金町線でひと駅で京成「柴又」。
自宅から約2時間はやはり遠い。気軽に来れる距離ではない。
京成電車は海外旅行で成田空港や成田山新勝寺詣に日暮里から
利用したことはあるが、金町線は全く初めてである。

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小田急線や新宿から山手線は混んでいて座れなかったのに
日暮里から成田空港行き特急はがらがらで楽に座れた。
柴又駅を降り立つと「フーテンの寅さん」像が出迎えてくれ
一気に寅さんワールドに誘ってくれた。これは旅に出る寅さんが
妹さくらの居る方を振り返ったシーンをモチーフに制作されている。。
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帝釈天門前町
参道は朝が早いせいか参拝者、観光客は予想していたより少ない。
参道に入口近くに山田洋次直筆「フーテンの寅さん」石碑に
映画でおなじみのセリフが刻まれている。
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高木屋老舗
映画撮影時に休憩や衣装変えに部屋を貸したご縁でお付き合いされていた
だんご屋さん。それにしても看板が実に立派。

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漬物屋さん「丸仁」
テレビで紹介していた「ぶっかけ生姜」が気になってしょうがなくお土産に買ってしまった。(笑)

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参道の両側には名物の草だんごや塩せんべいを売る店、老舗のうなぎなど
川魚料理店などが軒を連ねている。参道の突き当たりに二天門が建ち、
正面に帝釈堂も覗いている。初柴又でも駅から何の迷いもなく来ることができた。

二天門
この二天門写真は境内から撮影したもの。入母屋造瓦葺の楼門で、
屋根は唐破風と千鳥破風で立派な門だ。柱上の貫などには浮き彫りの
装飾彫刻
が施されていて素晴らしい。左右には四天王のうちの増長天広目天
二天が安置されている。門は他に南天門あり。

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帝釈堂
二天門を入った境内正面。手前の拝殿と奥に内殿。ともに入母屋造瓦葺で、
拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風となっている。内殿は大正4年
拝殿は昭和4年の完成。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王
のうちの持国天多聞天を安置されていて、四天王の揃い踏みである。
内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されていて、
今回参詣の楽しみのひとつである。

瑞龍の松
拝殿の左前にある立派な松。横に広がり龍のごとしで名前の由来は推測できる。

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日蓮宗のお寺で正式名は経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)。
江戸時代初期の寛永6年(1629)に、禅那院日忠および題経院日栄という
ふたりの僧によって開創。下写真は関東一と言われている大鐘楼で彫刻も見逃せない。

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彫刻ギャラリー
拝殿に靴を脱ぎ備えの袋に入れて持ち、左手内殿手前で彫刻ギャラリーと
邃渓園(すいけいえん)の共通の拝観料400円を支払いまず上から鑑賞。

帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも
法華経説話の浮き彫り10面の胴羽目板が有名。これは法華経に説かれる
代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922)から
昭和9年(1934)にかけて10人の彫刻師が1面ずつ分担して制作されたもの。

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#1 塔供養の図 金子光晴

日月燈明佛の眉間から光が放たれ、仏国土で塔供養がさかんに行われている。法華経演説の前ぶれ
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#2 三車火宅の図 木嶋江運

羊・鹿・牛がひく三種の車を父親は子供たちを救出するために用意したもの。

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#3 慈雨等潤 石川信光

仏の慈悲深い教えはあまねく地上を潤す慈雨と同じ。
大地には緑溢れ花々が咲きほこり天人たちも楽園に舞い降りて来ました。

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#4 法師修行 横谷光一

インドでは法師たちは森の中や洞窟の中でひとり静かに修行しています。
虎や狼の危険があり、心淋しく修行は厳しいものだ。その修行者を
励ますために仏が立ち現れ象に乗った普賢菩薩が姿を現すのです。

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#5 多宝塔出現 石川銀次朗

法華経を信仰するところでは多宝塔が地面から涌き出してきて人々の
信仰を褒め讃えます。

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#6 千載給仕 加府籐正一

阿私仙という仙人が法華経という尊い教えを持っていました。
千年の間給仕のまことを捧げ時には仙人の腰掛けになりました。
法華経を知りたいための修行でした。

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#7 龍女成仏 山本一芳

法華経では女性が成仏できることを説示します。龍王の娘が波の上に
あって宝珠を仏にささげています。

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#8 病即消滅 今関光次

法華経は全世界の人々の病の良薬です。法華経を聞く幸運に恵まれたら、
不老不死の境地を得ることができるのです。

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#9 常不軽菩薩受難・法華経功徳  小林直光

常不軽菩薩は常に人を軽蔑しないという修行をしていましたが却って
迫害を受けました。法華経は寒さに火を得たように、子のところに
母親が来たように、渡りに舟を得たように救いの道を示すのです。

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#10 法師守護 加藤寅之助

修行する法師を天人も阿修羅も協力して守護するのです。

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彫刻は法華経説話の羽目板の上下にもびっしりあり、一部撮影したが
今回は割愛する。龍頭、鳥、花など素晴らしい彫刻がある。

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境内にこんなのもあります。

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邃渓園(すいけいえん)
大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965)、向島の庭師永井楽山
設計によるもの。庭園への立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた
屋根付きの廊下から見ることができる。

 

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大客殿内に書画骨董の展示の他、帝釈堂法華経絵巻の原型彫刻も展示されている。

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廊下のガラス越し観賞だが、温かくガラス戸を開けて撮影させてもらった。お茶の用意も。

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上写真渡り廊下。右の竹と棕櫚縄での竹垣が美しくて、暫く見呆けていた。

池には鯉が泳いでいたが、温かかったからか蛙の姿も。

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帝釈天参詣後江戸川の土手まで歩き、矢切の渡し金町取水塔など寅さん記念館の上
柴又公園から眺めた。予報通り温かくマフラー手袋なしで大丈夫だったが、途中足が攣りそうになってだましだましゆっくり歩いた。

柴又駅備え付けラツクにあるマップ等配布資料と上記彫刻ギャラリーと邃渓園の拝観チケット

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柴又帝釈天は映画の寅さんで余りにも有名だが、本日鑑賞させて頂いた
「彫刻の寺」、「庭園の寺」の側面はほとんど知らされていなように思える。

 

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