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2013年3月

2013年3月29日 (金)

思いがけない桜たち

桜の名所と呼ばれる場所が各所にある。
所謂「花見」と称して桜下の宴でどんちゃん騒ぎするのは見るのも嫌であった。
父が従業員家族を招待した「花見の会」を毎年催していて、一度須磨浦公園に
ついていき酔っぱらいやその果ての喧嘩など見て幻滅した経験からだ。

幸い職場は3月から5月頃まで多忙を極め、休日出勤をする程の部署が多く
どんちゃん騒ぎの「花見」は殆どせずに済んでいた。

桜の時期に休日出勤の折に、昼食がてら職場近くである日比谷公園まで行き
桜を愛でながらよく散策したものである。

この時期通勤電車から望める桜を見るのも楽しみだった。
桜の名所と呼ばれる場所の桜はさすがに見事である。

そういう場所を目で追っている時、とんでもない場所で見事な桜が
誇らしげに咲いているのを見つけることがよくある。

こんな所に桜の木があったっけ?桜の開花時期は毎年同じ日ではなく
個体差により違っている。思いも掛けず桜木の存在を知らされることも多く
驚かされるが楽しみでもある。

鶴見川遊歩道脇にこんな立派な桜があったとは驚きだ。

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今日はルート変えて正解。花桃との競演も。

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正門からしか出入りしていなかった下丸子のグローバル企業。今回東側の門へ。
こんな桜並木があったとは知らなかった。外国からのお客様も喜ぶだろう。

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駅への途上にある「六所神社」。祭神は大己貴命、伊邪那岐命、素盞嗚命、
大宮比売命、瓊々杵命、布留大神の六神。

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2013年3月26日 (火)

花紀行 尾根緑道観桜散策

尾根緑道の桜

神奈中バス図師大橋からスタート。
市民プール行きバスがあれば都合良かったが、五反田図師経由バスセンター行きで
図師大橋で下車して歩いた。途中通過するの岩子山手前や野津田公園北口並木など
車窓からも桜を眺めることができた。

図師大橋から小山田へ通じる広い道路両側にも桜があり期待していたが、
全く咲いていない。ソメイヨシノでない遅咲きの桜のようだ。日大三高入口交差点
を左折する「さくら通り」で名前の通り桜並木となっている。
右折して日大三高方向の桜並木も見事で車運転時に態々通ることもある。

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トレッドミルでの鍛錬で脚力に自信がついてきていたが、交差点手前で右足裏が
痛くなってスピードダウンする。最悪緑道東端のみで引き返すことも考えながら
さくら通りの上り坂を桜を愛で撮影しつつゆっくり歩を進めた。

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時々泳いでいる市民プールで休憩。トイレも使わせてもらい、プール観覧席に座り
水分補給も行った。

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市民プールの左前はリサイクルセンター。

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この辺りの桜は気のせいか太く貫禄ある。

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尾根緑道入口にある大賀藕絲(ぐうし)館
主に知的に障がいを持った方が通所して働いている場、大賀ハスや紅花を中心に
季節ごとの手作りのお手玉、根付け、手漉き紙、ポプリ、手織り物の他
ハスの実を利用したお菓子など製造販売をしている。

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緑道入口右に桜の種類一覧や緑道マップ

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尾根の左畑の菜の花との競演はいいものだ。手前は大島桜

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イーゼルを立てている人もいる。今年の市展で見れるかな。

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尾根緑道サクラトンネル

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枝垂桜

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辛夷と桜

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トサミズキも密やかに咲いている。

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目の高さにソメイヨシノの枝が垂れ下がっている。花弁がよく観察できる。

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リサイクルセンター前の桜並木 今年はここが一番綺麗に見える。

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懸念された右足底痛みは感じなくなっていて、センター前からバスで帰路へ。時刻表より丁度10分遅れで到着。日大三高運動部関係者でいっぱいだったが、偶々空席があり座れた。図書館で本日期限の書籍二冊返却してから帰宅した。

2013年3月23日 (土)

都立小山内裏(おやまだいり)公園~町田の上高地・鮎の道・戦車道

町田の上高地と古道「鮎の道と戦車道」~都立小山内裏(おやまだいり)公園~

都下無為庵の近くのソメイヨシノはまだチラホラとやっと咲き始めたところである。
昨年の恩田川の桜並木はタイミングがベストだったようで良かった。さて今年は
尾根緑道の桜を数年ぶりに愛でに行こうと思っている。今日は事前調査ではないが、
尾根緑道の西先端でもある小山内裏公園を鮎の道の見学も兼ねて歩くことにする。

小山内裏公園は都立公園であり、町田市と八王子市に跨る広さ約46haある。
周辺が多摩ニュータウンなど開発が進み残された尾根の雑木林緑地の保全を
目的とした公園化なのだろう。都内48箇所ある所謂保全地域「緑地保全地域」と
しなかったのは域内に「戦車道」や「鮎の道」があったことから、公園化して
管理し、別途「サンクチュアリ」として立ち入り禁止にしたということらしい。

公園名の「小山」は所在地が町田市小山ケ丘と八王子市南大沢、鑓水ということで
地名だと解るが、「内裏」は御所を意味するはずだが?江戸末期に京の内裏から
移り住んだ能楽師がこの地に居たことに由来との説があるそうだ。

京王相模原線「多摩境」からスタートとする。町田市との協議で駅名も
所在地を入れた「京王小山」説もあったそうだが、多摩ニュータウンの境であり、
東京都と神奈川県の境でもあり、近くに境川もあり、「多摩境駅」に決定したそうだ。
因みに当地は南多摩郡堺村が町田町忠生村鶴川村と共に合併して町田市になった。

駅舎は駅ホーム上に跨る方式で、極限のコストカットの賜物に見える。

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近くは大型商業施設など都主導による「町田グランネットタウン」の名称で土地区画整理
事業が行われている。従来からの自然環境を保全しつつ高層住宅のほか、商業、業務、
リクリエーション、教育、文化情報等の馴染みの諸施設を立地させている。

多摩丘陵の骨格をなす主稜線上に位置し、北側は多摩川の支流大田川の源流部で
現在でも湧水の湧く谷戸地形が良好な姿で保存されてる。多摩丘陵に特徴的な
雑木林で覆われており、谷戸部分の湿性草地とともに良好な植生が維持され、
多様な動植物が生息してそうであり、次世代に引き継いでいきたい貴重な緑地だ。

南広場から園内へ。

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直ぐにドッグラン「わんわん広場」登録制だが、近隣の愛犬家には嬉しい施設。

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戦車道脇に「木五倍子(キブシ)」散策中の老夫婦と「見事なキブシですね」

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戦車道を横切りまずは管理棟「パークセンター」へ
本日自然観察会実施を承知しているが、事前申し込み制で締め切り済。
センター内で受付をしていたが飛び込みはダメの様で参加は断念した。
掲示板に桜開花の案内があった。
  カワヅザクラ 満開
  ヤブザクラ  5分咲き
  ソメイヨシノ 咲き始め

桜より白い辛夷が目立ち、園児も「あれはコブシと言うんだよ」と友だちに教えていた。

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センター近くの「シロバナタンポポ

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管理棟がある区域には里山広場で畑、東には「バーベキュー広場」もある。
ネットでマップを出力し、更にiPadも持参して細部拡大して見れるようにしてきたが、
ラツクにあった資料と共に下写真のマップも頂いた。

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パークセンターの所在地は町田市小山ケ丘4丁目でその他大半は町田市に属し、
多目的広場など東北端(南大沢)と鮎の道の西端(鑓水)が八王子市に属す。

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早速マップで確認してセンターから西へ目的のひとつ「大田切池」へ。
上高地の大正池の様な風景が楽しめる。

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大田川の源流にあたり、「大田川が切れる所」という意味だそうで、
川岸にあった杉が水没し枯木立となり「町田の上高地」になったのだ。

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水辺広場のトイレを使い続いて「鮎の道」へ。園内の要所要所に現在地を
表示した案内図板が設置されているので助かる。緩いスロープ路で芝生広場へ
春休みに入りいて子供達が生き生きと球技をやっていて微笑ましく暫し休憩。

鮎の道
津久井往還ともいう。津久井で採れた鮎を江戸へ運んでいたことから「鮎の道」と
呼ばれた。鶴川柿生を通り世田谷通りを登戸から三軒茶屋へと通じている。
町田には八王子の絹を横浜へ運んだ「絹の道」もある。

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カタクリ群生 鮎の道の右側にカタクリの群生地で丁度開花していた。

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サンクチュアリ
園内に大田切北、大田切西谷戸、大田切東谷戸、津島谷戸の4つのサンクチュアリが
指定され柵で仕切り保全されている。多摩川に流れる源湧水が多数存在し、
貴重な動植物たちが生き生きと暮らす森となっている。この様な地形や動植物を、
丸ごと保全し、豊かな自然を後世に伝えようとしているのが「サンクチュアリ」だ。

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倒木もそのまま腐食に任せ小動物の棲家や餌になる。

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戦車道
第二次世界大戦の末期に相模原陸軍造兵廠(現在米軍相模原補給廠)で製造
組立てられた戦車の性能テストや操縦訓練用として造られた道。戦後暫くは
防衛庁が管理していたが、多摩ニュータウンの整備のため土砂の運搬道路として
舗装され利用された。現在では、春に美しいサクラが開花し、夏には快適な
木陰を造ってくれ、市民の憩いの場、あるいはジョギングコースとしても
利用されている。下写真は西端で八王子市鑓水地区。

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舗装道路と木片チップ敷詰めはジョガーの足に優しい。雪柳の白が眩しい。

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ソメイヨシノはまだまだで、カワヅザクラの幼木が咲いているが何故かいじらしい。

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途中「西展望広場」と「東展望広場」あり。丹沢山系の山々も望める。
大山1252m、三ノ塔1205m、塔の岳1491m、丹沢山1567m、蛭ヶ岳1673m
肉眼で確認できた。

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トイレも要所毎にあり、清潔に維持されているようだ。

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園東端で子供の歓声に誘導された「多目的広場」の滑り台は数少ない遊具。

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白い花ピンクの花が多い中に目立つ黄色。太田道灌を思い浮かべた「山吹」

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尾根緑道
洗車道路は現在はその名称を「尾根緑道」に変え小山田桜台まで続く。
休日にはサイクリングや尾根歩きの人たちでここも大いに賑わう。
町田街道とほぼ平行して続くこの道は四季を楽しめる散策路としても人気である。

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尾根緑道は斎場を通り桜美林上小山田野球場の所を南へ下り町田街道へ
途中の桜並木を愛でて神奈中バスで町田駅へ。

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来週央までには本日通らなかった尾根緑道東側の花見ができればと期待している。

2013年3月12日 (火)

三輪の里を歩く~東光院、岡上神社、三輪遺跡、熊野神社、高蔵寺、白坂古墳群、椙山神社、妙福寺

悠久の歴史と豊かな自然を堪能~町田市三輪の里~

前日の寒気が緩み、絶好の散策日和となり町田市三輪の里を巡ってきた。
引越して間もない頃妻と訪れ感動した古刹の再訪と早春の植物観察が目的である。

小田急電鉄鶴川駅からスタートすることとしよう。鶴見川沿いの①馬頭観音から
②鎌倉街道早の道、③東光院、④岡上神社、⑤三輪南遺跡、⑥熊野神社、⑦高蔵寺
白坂横穴古墳群、⑨椙山神社北遺跡、⑩椙山神社、⑪鶴川地蔵尊、⑫妙福寺
までを本日の目標とする。寺家ふるさと村こどもの国も近いが次回弁当持参で計画する。

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この地域は行政区分では東京都町田市と神奈川県川崎市麻生区横浜市青葉区
接していて、特に岡上地区は川崎市麻生区の飛び地であり、入り組んでいる。
野津田公園遺跡でも述べている通りこの地域は古代より気候温暖で住みやすく
古代住居群、瓦窯跡、横穴墓群なども残る。香山園で触れた通り奈良時代に
大和国三輪から当地に移り住んで暮らしており、更に熊野武士団がこの地に
移り住んだことは新風土記にもある通りだ。この武士団の子孫のお宅には
玄関先にイトヒバを植えていてそれを見つけるのも面白い。

陽春の中、シャツにベストの軽装、リュックにカメラの他ペットボトルのお茶と
のど飴に栗入りどら焼きも入れて出掛けた。途中厚手のコートやマフラー姿も居て
彼等からは老人の冷水に見えただろうか。小田急線鶴川駅を9時前にスタート。
踏切を渡り、南へ鶴見川沿いを歩く。黄梅が咲いている。

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睦橋を渡り下流へ本村橋の手前が第一目標。
馬頭観音(ばとうかんのん )
梵名ハヤグリーヴァ、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
観音菩薩の変化身の1つであり、六観音の一尊にも数えられている。
観音としては珍しい忿怒の姿をとる。宝冠に馬頭を戴き憤怒の相で、
宝馬が四方の敵を駆逐するように一切の煩悩を排除することを願い
天保十年(1839)に建立。天保の大飢饉が天保二年から九年であり
大飢饉の厄落とし祈願だったのであろうか。

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六観音とは聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音

馬頭と憤怒の相の観音様のお姿をいろいろ想像していたが、
石像は風雨に晒されてつるつるになり更に苔むしていた。
石像には世話人として地元名士であろう星野、梶、荻野、橘の四名の名前が
刻まれているが、建立時に出資者ということで、日常の世話では無いらしい。

鶴見川では鳥達のbreakfast。黒い鳥は潜水上手で、水中の餌情報を把握して
いるらしく、白い鳥は黒い鳥の後ばかり追っている。
白はシラサギか、黒はカワウだろうか。

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鶴見川沿いに下流へ進み岡上橋を右へ進む。
鎌倉街道早道(はやのみち) 
元弘三年(1333)新田義貞の大軍が鎌倉攻めの折、鎌倉街道上道ほか様々な
ルートを通って行軍したが、この岡上橋から東光院前を通り岡上廃寺址の
傍らを抜けて現在の真光寺長津田線と合流するの道が鎌倉街道早道で、
最も早く鎌倉に到達したため早道と言われている。
このルートは殆ど直線的で、起伏の少ない尾根道を通り集落も少なかったものと
思われる。長津田で鎌倉街道中道(なかのみち)に合流する。

梅の香りが漂ってきて、右手を見ると手入れされた庭園に見えるが、東光院らしい。
東光院宝積寺
入口は立入りを拒絶する柵があったが、横から入れてもらった。
奈良時代の前期に行基(668~749)が草庵を建てたのが始まりと伝えられる古刹。
以前は新義真言宗に属していたが、現在では単立寺院。

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新義真言宗とは真言宗中興の祖覚鑁の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なり、
高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。

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本堂には重要文化財に指定の兜跋(とばつ)毘沙門天立像が安置されている。
「一木造、彫眼で、髻を結い、左手に宝塔を揚げ、右手に戟(げき)を取り
甲冑をつけて地天(女性神)の上にたっています。」と案内板にある。その案内板にある
兜跋毘沙門天立像の写真。女神の上に立っていることが興味深く実物を拝みたいものだ。

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仁王門

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鐘楼

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中まで入って行かなかったので六地蔵は確認できなかった。

岡上神社(おかがみじんじゃ)
明治42年に岡上村にあった5社(諏訪神社、剣神社、日枝神社、宝殿稲荷社、開戸
稲荷社)を合祀(ごうし)。敷地は村中央にあった諏訪神社の場所で「岡上神社」と
名称を改めた。

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参道にある堅牢地神

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青面金剛塔。

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金勢大明神水天宮もお祀りされている。どんな人が持ってきたのかお供えに吹き出しそうになる。

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古い鳥居の額だろうか。まわりの龍が見事だ。

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拝殿は大正15年に再建。鳳凰・龍の彫刻が素晴らしい。

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この地域は従来より柿生村との関係が強く住民が川崎市の飛び地を選択した。
岡上神社から坂を上り三輪緑山住宅入口「三輪ゆりのき通り公園」へ。

三輪南遺跡・瓦窯址(がようし)遺跡
区画整理事業に伴って1981~1984年に発掘調査が行われ、このうち奈良、
平安時代の集落跡が見つかったA-9地点がこの公園内に保存されている。
奈良時代の登り窯1基は「三輪瓦窯址」と命名され、北東へ約300m離れた岡上廃寺
(川崎市麻生区岡上)へ生産した瓦を供給し、付近で見つかった竪穴住居跡は
生産に携わった工人の家と推定される。

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住居址はいずれも地面を掘りくぼめた竪穴形式で、かまどと柱穴がはっきり
残っており。床面から土師器甕須恵器坏などが出土した。4号住居址では
かまどにここの窯で焼かれた瓦が使用されていた。5号住居址では粘土塊
残されていたとのことだ。

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公園では子供たちが元気に遊んでいた。公園手前では桜の蕾が膨らんできている。

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熊野神社
元慶元年(877)大和国三輪より勧請(かんじょう)との伝承あり、明和四年(1767)別当
高蔵寺法印亮恰により社殿造営された。覆屋内本殿は流見世棚造社殿で
絵様・刳型や細部の造りが17世紀から18世紀頃の特徴を示しており
有形文化財に指定。熊野信仰が全国に広がりを見せた頃に熊野三山より
祭神伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、伊耶那美命(いざなみのみひと)を勧請した。

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拝殿

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紀伊国熊野大社より種を下賜され育てたという梛(ナギ)の木。拝殿の右葉が青々としている。

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ご神木のアカガシは樹齢300年以上という。町田市名木百選。

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老木の魅力をじっと見ていたい気持ちだったが、工事中につき早々に次のポイントへ。

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当社は熊野武士団とのも深い繋がりがあると推測されるので、神蔵家ほか
鈴木、森、夏梅、吉川の名前も挙げられており、注目していきたい。

高蔵寺
道路脇に立派な会館がある。1363年開山。本尊は木造の大日如来座像、正保二年(1645)作。

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本堂 額も新しく立派だこと。

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境内に新しく小さな七福神像を設置したようだ。財政豊かだからそれとも儲けの為か。

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六地蔵

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足利家の菩提寺で御朱印11石5斗を寄せられた寺格を持つ。「石楠花の寺
としても有名。住職が「石楠花曼荼羅」として境内を整備している。

北原白秋夫妻が訪れて「高蔵寺を訪ねて」と題し七首を詠む。

 ~高蔵寺 しずかやと 散葉眺めゐて 梢の柿の つやつやしいろ

花の手入れが半端でない。石楠花の他様々な季節の花が楽しる。

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せせらぎの音が心和ませてくれる。水車までもある。

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名木百選イヌツゲ

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なんと「水芭蕉」も育てていて、こりゃやりすぎだろう。

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次のポイントの途中右手に見事な大木「カヤ」がある。案内板によると「現在の国会議事堂
造営の折シンボルツリーとして選ばれ運搬不能のために残った樹木です」とある。

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歩みを進めて行くとだんだんと雰囲気が出てきたぞ
ここらは沢山城(後北条時代の重要な出城のひとつ)のあった所で
白坂は「城坂」の意味といわれているそうだ。

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史跡白坂横穴墓群 町田市指定文化財
凝灰岩の地質に7世紀頃と思われる横穴墓13基発見された。
昭和34年2基を発掘人骨の他、須恵器なども出土。内部は川原石が
敷き詰められている。近くには「西谷戸横穴墓群」など横穴群が集中している。

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椙山神社北遺跡
三輪小学校建設時の発掘調査で町田では珍しい弥生時代後期の住宅跡
弥生式土器壺棺墓などが発見された。三輪小学校敷地内西端看板のみ。
敷地に入れなかったが、恐らくこれと思われる。

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椙山神社
大和の三輪(奈良県)大神(おおみわ)神社から元慶元年(877)勧請の伝承あり。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、大物主命(おおものぬしのみこと)。
地域一帯から祭事使用と思われる土器が多数発掘されていて、当地は
古くから神名備(かんなび、神が鎮座する森)の地と崇められていた。
市内に沢山ある「杉山神社」のひとつであるが、国字の「椙」を使用しているのは
市内では当社のみ。大国魂神社六社宮も「椙山」であった。

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拝殿

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神楽殿 左手に西谷戸稲荷の鳥居と祠あり。

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狛犬

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鶴川地蔵尊
享保一八年開山、明治元年まで正善寺と称し高蔵寺の末寺であったが、
廃寺となる前に高蔵寺の別院となり鶴川地蔵尊地蔵堂として親しまれている。
正保三年(1646)作の厨子は市内では希少。寺宝十二メートルと長い
百万遍数珠は正月三日間厄除けとして触れることができるそうだ。

桜が綺麗。

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妙福寺

町田に引越して間もない頃妻と訪れて感動したお寺である。
山門である高麗門がなくなっている。市文化財指定のはずでどうするのだろう。
明徳二年(1672)池上本門寺から祖師日蓮像厨子(1659年製作)共に贈与された。
桃山時代の様式を伝え池上本門寺の古建築の遺構を残すものとみられている。
本堂、高麗門、鐘楼門は市有形文化財。

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鐘楼門前右手にmegalith 巨石群

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鐘楼門 棟札により1746年建立。市域では唯一の鐘楼門。大戸観音は市域ではないということ。

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祖師堂 寛文十二年(1672)池上本門寺の祖師堂を移築とある。 東京都指定有形文化財

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本堂

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目標とした12箇所神社史跡等全てを途上痛みもなく踏破できた。
これは自宅トレーニングルームでのtredmillを再開この二週間ほぼ毎日やってきた
成果と思われる。この時期砂埃で目を痛めたことがあり黄砂、PM2.5や花粉もあるので
マスクも準備したが不要だった、微風で寒からず暑からず快適に散策できた。(合掌)

2013年3月 6日 (水)

府中 大国魂神社~武蔵国の総社六所宮

武蔵国の総社六所宮 大国魂神社  OHKUNITAMA-JINJA shrine

武蔵国の総社大国魂神社は千九百年超の歴史を有するお社である。
大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)が祭神で素戔嗚尊(すさのうのみこと)
の御子神で国土を開拓され、衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教え
この国土を経営された。第12代天皇である景行天皇御代41年(111)5月5日
大神の託宣により造られた。

本殿の両側に国内著名な六所(小野大神、小河大神、氷川大神、秩父大神、
金佐奈大神、椙山大神
)を奉祀しており六所宮(ろくしょぐう)とも称されていて、本殿は
一棟三殿の流造りという珍しいものである。

孝徳天皇(五九六-六五四)の御代に至り、大化の改新(645)のとき、
武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が
奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。

天正十八年八月徳川家康が江戸に入城してからは武蔵国の総社であるため
殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿など造営につくされた

5月の例大祭は消灯して闇夜に御旅所に神幸され、「くらやみ祭」として
テレビでも報道され承知していたので、機会があればと予予思っていたもので
本日やっと実現したものである。

JR府中本町から歩くことにした。案内によると5分とある。
武蔵野線へ乗り換えたことは屢々あるが、下車したのは初めてである。

府中本町宿場案内石碑
甲州街道の宿場町であったこと六と九の日に市がたち賑わっていたことなど説明されている。

鳥居が見えてきた。予想より小さい。奥に東側の鳥居も見える。

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西鳥居を潜り参道を進むと左手に「手水舎」右手に真新しい「随神門」が見える。
ここまで出ると左手に奥に「大鳥居」も見えてくる。手水舎で手と口を
濯いでいると首に駆けていたカメラを濡らしてしまった。おバカさんです。

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随神門

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随神像は東京藝術大学が制作。

櫛磐間戸命(くしいわまどのみこと)

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豊磐間戸命(とよいわまどのみこと)
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随神門の裏側(本殿側)は大黒さま恵比寿さまの像

中雀門 

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拝殿

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拝殿右にひときわ目立つ「東京の地酒」が展示奉納されている。

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本殿 一棟三殿を楽しみにしていたが撮影は残念ながらできず、
しかし、偶々拝殿裏手の工事をしていて、拝殿左手の門が開いていたので
見ることはできた。撮影も可能ではあったが畏多く憚られた。
屋根のみ撮影させて頂いた。

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拝殿横にくらやみ祭りの潮汲みに関連すると思われる額
品川潮盛講世話人中」とある。

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中雀門と一体になった廻廊も美しい。

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拝殿横から本殿裏手をぐるりと一回りした。
住吉神社・鷲神社

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東照宮

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ご神木「大銀杏」と右「ムクロジ」 左は本殿。
イチョウのひこばえは切った方が本体には良いと思うがご神木のため
切れないのだろうか。根本にニナガイが生息しているそうな。

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本殿の屋根

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巽神社

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松尾神社
寛政十二年(1800)当地の醸造家の懇請により京都の松尾大社を勧請せられた。
醸造の守護神で酒、味噌、醤油、麹等の業者の信仰厚く霊験顕著と説明板にある。

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さざれ石
長い年月をかけ小石の隙間を炭酸カルシウム水酸化鉄が埋めてひとつの
岩の塊になったもの。「石灰質角礫岩」ともいう。伊吹山が主要産地。
先月行った鎌倉東慶寺にも国歌「君が代」に詠まれていると紹介していた。
当社では「石灰岩が雨水に溶解し膠結物質となり小粒石を凝結した石灰質
角礫岩で長年を経て小粒石が巌に団結し苔むす様は一家、町、国と集結し
幾千代まで栄え行く人間の協調発展の精神に比喩され、算賀を祝し長寿を
祈る嘉句として国歌や古今和歌集に詠まれている。」と石板に解説されている。 

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鼓楼

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神楽殿

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宝物殿 収蔵展示品の見学を楽しみにしていたが本日は閉館で残念。
帰宅後調べたら日曜、祝日、神社祭礼日に10時から16時まで開館。
入館料200円は神社のホームページで承知していたが、開館日については
特に記載なく、現地での案内もないのは不親切というものだ。

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鶴石と亀石

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御旅所

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大鳥居

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ご神木 欅の大木 

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大鳥居横駐車場の欅巨木、域内には松の木は一本も無い。松を植樹しても直ぐ枯れるそうだ。

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宮之咩(みやのめ)神社 安産祈祷を行なっている。安産のお礼に底の抜けた柄杓を納める。

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稲荷神社

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相撲場
八朔相撲祭がおこなわれている。八朔は八月朔日の略で天正十八年(1590)
8月1日に徳川家康が江戸城に入った日に当たる。これを記念して始まったのが、
五穀豊穣・天下泰平を祈る奉納相撲で、幕府からは領民の 体育を奨励する
ため水引幕が献納された。明治以後も旧四か町により伝統行事として
引き継がれ、現在でも、小学生を中心にした町内対抗リーグ戦を実施している。

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忠魂碑

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日露戦争記念碑

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ふるさと歴史館
国府跡発掘出土品の展示やくらやみ祭りの動画なども観られて
宝物殿を見学できなかった分をoffsetしてくれた。

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ふるさと歴史館展示 国府跡出土品国府役人が使用したと思われる硯

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くらやみ祭りについて動画でも解説してくれていて面白く拝見させて頂いた。

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馬場大門欅並木

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天然記念物石碑

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八幡太郎義家公之像
源頼義、義家父子が奥州平定の「前九年の役」の途次大国魂神社に
戦勝を祈願し平定後の泰平五年(1062)勝利の報賽として、神社に
欅の苗木千本を寄進したことに始まる。その後徳川家康による補植され
現在の姿となっている。

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京所道(きょうづみち)石碑
京所の中心を通る道で、甲州街道が開設される慶安頃(1648~52)まで
初期の甲州への道として重要な役割を果たした道で、名前の由来は京から
来た女性が住んでいた場所の近くにあった為という。

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国史跡武蔵国府跡-国衙地区- 

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宝物殿の神輿大太鼓徳川慶喜直筆額など見学できるのを楽しみにしていたが、
見学できず残念であった。昼食は大鳥居傍の老舗イタリアンでコース料理を頂いた。
分倍河原古戦場や上円下方墳熊野神社古墳などと宝物殿は次回の楽しみとする。

体調も良くて好天気にも恵まれ気持よく巡ることができた。(合掌)

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