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2013年3月12日 (火)

三輪の里を歩く~東光院、岡上神社、三輪遺跡、熊野神社、高蔵寺、白坂古墳群、椙山神社、妙福寺

悠久の歴史と豊かな自然を堪能~町田市三輪の里~

前日の寒気が緩み、絶好の散策日和となり町田市三輪の里を巡ってきた。
引越して間もない頃妻と訪れ感動した古刹の再訪と早春の植物観察が目的である。

小田急電鉄鶴川駅からスタートすることとしよう。鶴見川沿いの①馬頭観音から
②鎌倉街道早の道、③東光院、④岡上神社、⑤三輪南遺跡、⑥熊野神社、⑦高蔵寺
白坂横穴古墳群、⑨椙山神社北遺跡、⑩椙山神社、⑪鶴川地蔵尊、⑫妙福寺
までを本日の目標とする。寺家ふるさと村こどもの国も近いが次回弁当持参で計画する。

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この地域は行政区分では東京都町田市と神奈川県川崎市麻生区横浜市青葉区
接していて、特に岡上地区は川崎市麻生区の飛び地であり、入り組んでいる。
野津田公園遺跡でも述べている通りこの地域は古代より気候温暖で住みやすく
古代住居群、瓦窯跡、横穴墓群なども残る。香山園で触れた通り奈良時代に
大和国三輪から当地に移り住んで暮らしており、更に熊野武士団がこの地に
移り住んだことは新風土記にもある通りだ。この武士団の子孫のお宅には
玄関先にイトヒバを植えていてそれを見つけるのも面白い。

陽春の中、シャツにベストの軽装、リュックにカメラの他ペットボトルのお茶と
のど飴に栗入りどら焼きも入れて出掛けた。途中厚手のコートやマフラー姿も居て
彼等からは老人の冷水に見えただろうか。小田急線鶴川駅を9時前にスタート。
踏切を渡り、南へ鶴見川沿いを歩く。黄梅が咲いている。

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睦橋を渡り下流へ本村橋の手前が第一目標。
馬頭観音(ばとうかんのん )
梵名ハヤグリーヴァ、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。
観音菩薩の変化身の1つであり、六観音の一尊にも数えられている。
観音としては珍しい忿怒の姿をとる。宝冠に馬頭を戴き憤怒の相で、
宝馬が四方の敵を駆逐するように一切の煩悩を排除することを願い
天保十年(1839)に建立。天保の大飢饉が天保二年から九年であり
大飢饉の厄落とし祈願だったのであろうか。

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六観音とは聖観音、十一面観音、千手観音、馬頭観音、如意輪観音、准胝観音

馬頭と憤怒の相の観音様のお姿をいろいろ想像していたが、
石像は風雨に晒されてつるつるになり更に苔むしていた。
石像には世話人として地元名士であろう星野、梶、荻野、橘の四名の名前が
刻まれているが、建立時に出資者ということで、日常の世話では無いらしい。

鶴見川では鳥達のbreakfast。黒い鳥は潜水上手で、水中の餌情報を把握して
いるらしく、白い鳥は黒い鳥の後ばかり追っている。
白はシラサギか、黒はカワウだろうか。

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鶴見川沿いに下流へ進み岡上橋を右へ進む。
鎌倉街道早道(はやのみち) 
元弘三年(1333)新田義貞の大軍が鎌倉攻めの折、鎌倉街道上道ほか様々な
ルートを通って行軍したが、この岡上橋から東光院前を通り岡上廃寺址の
傍らを抜けて現在の真光寺長津田線と合流するの道が鎌倉街道早道で、
最も早く鎌倉に到達したため早道と言われている。
このルートは殆ど直線的で、起伏の少ない尾根道を通り集落も少なかったものと
思われる。長津田で鎌倉街道中道(なかのみち)に合流する。

梅の香りが漂ってきて、右手を見ると手入れされた庭園に見えるが、東光院らしい。
東光院宝積寺
入口は立入りを拒絶する柵があったが、横から入れてもらった。
奈良時代の前期に行基(668~749)が草庵を建てたのが始まりと伝えられる古刹。
以前は新義真言宗に属していたが、現在では単立寺院。

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新義真言宗とは真言宗中興の祖覚鑁の教学を元に覚鑁派の僧正頼瑜に連なり、
高野山内で新たな教義を打ち立てたため「新義」と呼ばれた。

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本堂には重要文化財に指定の兜跋(とばつ)毘沙門天立像が安置されている。
「一木造、彫眼で、髻を結い、左手に宝塔を揚げ、右手に戟(げき)を取り
甲冑をつけて地天(女性神)の上にたっています。」と案内板にある。その案内板にある
兜跋毘沙門天立像の写真。女神の上に立っていることが興味深く実物を拝みたいものだ。

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仁王門

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鐘楼

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中まで入って行かなかったので六地蔵は確認できなかった。

岡上神社(おかがみじんじゃ)
明治42年に岡上村にあった5社(諏訪神社、剣神社、日枝神社、宝殿稲荷社、開戸
稲荷社)を合祀(ごうし)。敷地は村中央にあった諏訪神社の場所で「岡上神社」と
名称を改めた。

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参道にある堅牢地神

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青面金剛塔。

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金勢大明神水天宮もお祀りされている。どんな人が持ってきたのかお供えに吹き出しそうになる。

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古い鳥居の額だろうか。まわりの龍が見事だ。

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拝殿は大正15年に再建。鳳凰・龍の彫刻が素晴らしい。

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この地域は従来より柿生村との関係が強く住民が川崎市の飛び地を選択した。
岡上神社から坂を上り三輪緑山住宅入口「三輪ゆりのき通り公園」へ。

三輪南遺跡・瓦窯址(がようし)遺跡
区画整理事業に伴って1981~1984年に発掘調査が行われ、このうち奈良、
平安時代の集落跡が見つかったA-9地点がこの公園内に保存されている。
奈良時代の登り窯1基は「三輪瓦窯址」と命名され、北東へ約300m離れた岡上廃寺
(川崎市麻生区岡上)へ生産した瓦を供給し、付近で見つかった竪穴住居跡は
生産に携わった工人の家と推定される。

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住居址はいずれも地面を掘りくぼめた竪穴形式で、かまどと柱穴がはっきり
残っており。床面から土師器甕須恵器坏などが出土した。4号住居址では
かまどにここの窯で焼かれた瓦が使用されていた。5号住居址では粘土塊
残されていたとのことだ。

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公園では子供たちが元気に遊んでいた。公園手前では桜の蕾が膨らんできている。

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熊野神社
元慶元年(877)大和国三輪より勧請(かんじょう)との伝承あり、明和四年(1767)別当
高蔵寺法印亮恰により社殿造営された。覆屋内本殿は流見世棚造社殿で
絵様・刳型や細部の造りが17世紀から18世紀頃の特徴を示しており
有形文化財に指定。熊野信仰が全国に広がりを見せた頃に熊野三山より
祭神伊耶那岐命(いざなぎのみこと)、伊耶那美命(いざなみのみひと)を勧請した。

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拝殿

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紀伊国熊野大社より種を下賜され育てたという梛(ナギ)の木。拝殿の右葉が青々としている。

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ご神木のアカガシは樹齢300年以上という。町田市名木百選。

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老木の魅力をじっと見ていたい気持ちだったが、工事中につき早々に次のポイントへ。

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当社は熊野武士団とのも深い繋がりがあると推測されるので、神蔵家ほか
鈴木、森、夏梅、吉川の名前も挙げられており、注目していきたい。

高蔵寺
道路脇に立派な会館がある。1363年開山。本尊は木造の大日如来座像、正保二年(1645)作。

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本堂 額も新しく立派だこと。

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境内に新しく小さな七福神像を設置したようだ。財政豊かだからそれとも儲けの為か。

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六地蔵

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足利家の菩提寺で御朱印11石5斗を寄せられた寺格を持つ。「石楠花の寺
としても有名。住職が「石楠花曼荼羅」として境内を整備している。

北原白秋夫妻が訪れて「高蔵寺を訪ねて」と題し七首を詠む。

 ~高蔵寺 しずかやと 散葉眺めゐて 梢の柿の つやつやしいろ

花の手入れが半端でない。石楠花の他様々な季節の花が楽しる。

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せせらぎの音が心和ませてくれる。水車までもある。

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名木百選イヌツゲ

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なんと「水芭蕉」も育てていて、こりゃやりすぎだろう。

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次のポイントの途中右手に見事な大木「カヤ」がある。案内板によると「現在の国会議事堂
造営の折シンボルツリーとして選ばれ運搬不能のために残った樹木です」とある。

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歩みを進めて行くとだんだんと雰囲気が出てきたぞ
ここらは沢山城(後北条時代の重要な出城のひとつ)のあった所で
白坂は「城坂」の意味といわれているそうだ。

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史跡白坂横穴墓群 町田市指定文化財
凝灰岩の地質に7世紀頃と思われる横穴墓13基発見された。
昭和34年2基を発掘人骨の他、須恵器なども出土。内部は川原石が
敷き詰められている。近くには「西谷戸横穴墓群」など横穴群が集中している。

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椙山神社北遺跡
三輪小学校建設時の発掘調査で町田では珍しい弥生時代後期の住宅跡
弥生式土器壺棺墓などが発見された。三輪小学校敷地内西端看板のみ。
敷地に入れなかったが、恐らくこれと思われる。

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椙山神社
大和の三輪(奈良県)大神(おおみわ)神社から元慶元年(877)勧請の伝承あり。
祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)、大物主命(おおものぬしのみこと)。
地域一帯から祭事使用と思われる土器が多数発掘されていて、当地は
古くから神名備(かんなび、神が鎮座する森)の地と崇められていた。
市内に沢山ある「杉山神社」のひとつであるが、国字の「椙」を使用しているのは
市内では当社のみ。大国魂神社六社宮も「椙山」であった。

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拝殿

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神楽殿 左手に西谷戸稲荷の鳥居と祠あり。

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狛犬

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鶴川地蔵尊
享保一八年開山、明治元年まで正善寺と称し高蔵寺の末寺であったが、
廃寺となる前に高蔵寺の別院となり鶴川地蔵尊地蔵堂として親しまれている。
正保三年(1646)作の厨子は市内では希少。寺宝十二メートルと長い
百万遍数珠は正月三日間厄除けとして触れることができるそうだ。

桜が綺麗。

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妙福寺

町田に引越して間もない頃妻と訪れて感動したお寺である。
山門である高麗門がなくなっている。市文化財指定のはずでどうするのだろう。
明徳二年(1672)池上本門寺から祖師日蓮像厨子(1659年製作)共に贈与された。
桃山時代の様式を伝え池上本門寺の古建築の遺構を残すものとみられている。
本堂、高麗門、鐘楼門は市有形文化財。

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鐘楼門前右手にmegalith 巨石群

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鐘楼門 棟札により1746年建立。市域では唯一の鐘楼門。大戸観音は市域ではないということ。

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祖師堂 寛文十二年(1672)池上本門寺の祖師堂を移築とある。 東京都指定有形文化財

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本堂

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目標とした12箇所神社史跡等全てを途上痛みもなく踏破できた。
これは自宅トレーニングルームでのtredmillを再開この二週間ほぼ毎日やってきた
成果と思われる。この時期砂埃で目を痛めたことがあり黄砂、PM2.5や花粉もあるので
マスクも準備したが不要だった、微風で寒からず暑からず快適に散策できた。(合掌)

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