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2013年5月 2日 (木)

池上本門寺

池上本門寺   IKEGAMI HONMOMJI temple

池上線
蒲田から池上線に乗り換えて2つ目の駅が目的の「池上」である。
十数年ぶりに乗る池上線である。乗ったらいつの間にか口について出そうで
可笑しくなる。♪~池上線に揺られながら今日も帰る私なの~♪

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池上は同僚女性のお父様の葬儀で来たことがあるはずだが、今回下車しても全く
記憶になく、目的の本門寺とは反対方向だったようだ。

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本門寺の門前町の雰囲気がそこかしこに見ることができる。
くず餅の立派な店構えのが並んである。
最近造ったのか「本門寺参道」 くず餅屋さんが最近造ったのだろうか。

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道標 くず餅屋さん「相模屋」お手製の説明書きによると元禄九年
「左かわさきみち右こすぎみち」とある。

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甘酒ありの吊るし下げ旗 酒屋さんの軒下に風に揺れている。

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呑川に架かる霊山橋までくると本門寺の総門が見えてくる。

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総門
第22世日玄聖人代元禄年間(17世紀末~18世紀初め)の建立と伝える。
簡素ながら主柱間5.3メートルの壮大な門で、五重塔や経蔵と共に第二次世界大戦の
戦災を免れた数少ない古建築の一棟である。「本門寺」と刻された扁額は
本阿弥光悦の筆によるもので、現在掲げられている額は複製。オリジナルは霊宝殿に
収蔵され常設展示されている。歌川広重の江戸百景などにも描かれている。

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総門をくぐると重厚な石の階段に圧倒される。
此経難持坂(しきょうなんじざか)の解説板あり。

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池上本門寺の表参道96段の石段坂。石段は、慶長年間に加藤清正が寄進したものと
伝えられている。法華経宝塔品の偈文の96文字にちなんで石段を96段とし、
偈文の文頭の文字をとって坂名としている。

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ゆっくり上っていったが、中には走っている人も居る。同世代と思しき男性も
上りきるまでに一往復半位していた。永い年月で風化や多くの参拝者により
いたんだ箇所はその部分を削り部分的な補修をしているのが沢山見られた。

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石段の左に設置されている立派な灯籠

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此経難持坂を上りきると仁王門とその奥に大堂が望める。
仁王門(三門)三門とも山門と称している寺がある。三門は三解脱門の略。
中心伽藍へ入る重要な門であり、三種の解脱を求める者だけが通れる。
扁額は「長栄山」とある。1945年空襲で焼失し、仁王門として1977年に再建された。

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仁王尊の右 口が開いている

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左の口は閉じている。阿吽を表している。

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新東京八名勝の石碑

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日蓮像 仁王門手前の石段の脇に立つ。1983年(昭和58年)日蓮の700回忌に
建立されたアルミニウム製の像である。彫刻家の北村西望の作。ここにはもと、
明治時代の政治家の星亨の銅像があったが、戦時中の金属供出により撤去された。
戦後になり星の遺族らが台座を寄付して日蓮像が建立された。高さ3.4メートル。

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日朝堂(常唱堂)
ここに祀られる日朝は身延山11世で、61歳の時に失明したが後に視力を回復したことから、眼病平癒、学業成就の利益があるとされている。

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浄行菩薩

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鐘楼堂
現在の鐘楼は、1958年(昭和33年)の再建。旧梵鐘は、1647年(正保4年)
加藤清正の娘で、徳川頼宣の室となった瑤林院が寄進したもので、旧鐘楼が
空襲で焼失した際破損したため、現在は再建された鐘楼の脇に保存されている。

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霊宝殿 開宗750年慶讃事業の一環として平成13年に完成。日曜日に観覧可。

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大堂
「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいう。旧大堂は、加藤清正が
母の七回忌追善供養のため建立。1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進に
より、規模を縮小の上再建された。この2代目の大堂は、空襲により焼失。
1964年(昭和39年)現在の大堂を再建した。鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。
高さ27メートル。

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再建後は本門寺80世金子日威が揮毫した「大堂」の扁額がかかる。
堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を
安置する。1966年川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれている。

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経蔵
空襲による焼失をまぬがれた建物の1つ。輪蔵形式の内部には回転する八角形の
書架があり、天海版一切経が収められていた。

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俸安塔

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五重塔
高さ31.8メートル。空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、
江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局発願により、1608年(慶長13年)
に建立された。全面ベンガラ塗り、屋根は初層と二重は本瓦、三重以上は銅板葺き。

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五重塔の手前に「力道山の墓こちら」の案内が出ていた。ここには狩野探幽、花火師の鍵屋、小説家幸田露伴、歌舞伎役者七代目松本幸四郎、新派の花柳章太郎、映画俳優市川雷蔵など有名人のお墓が多い、児玉誉士夫もここに眠っているそうだ。

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