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2013年7月 9日 (火)

史跡巡り 分倍河原 その1~高安寺

史跡巡り 分倍河原 その1~高安寺 Koh anji-temple, Bubaigawara

体調も戻ったものの猛暑の中出掛ける無謀を妻になじられながらも、ウーロン茶と
塩飴をバツグに忍ばせて久しぶりの史跡めぐりとなった。

南武線分倍河原駅からスタートだ。降り立ったホームから高安寺の次に予定
している新田義貞公像が見える。

初めての土地だが、事前に頭に叩き込んだ地図を頼りに高安寺を目指す。
駅前の飲食店街を北に抜けてバス通りを東へ進むと程なく高安寺の文字が
保育園だその東が目的地である。

門を入りそのまま進むと左手に仏像が出迎えてくれる。突き当りに観音堂、
その手前を右に曲がると山門で東京都文化局制作の高安寺解説文がある。

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解説板の傍には可愛い石造が路傍感を出していて和ませてくれる。

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都の解説板によると
「龍門山高安寺は暦応年間に創設された臨済宗建長寺末寺であった。
後に小田原滅亡後、慶長年間曹洞宗海禅寺の七世により再建された。
本堂は木造平屋建て、屋根は寄棟造銅板葺、六つ間取で内部正面に広縁、
両側面に入側縁から構成されている。内陣や大間の組物廻りに意匠を
凝らした点に特徴がみられ、大縁は禅寺基本の姿をとどめている。
 山門は本堂の東方に位置する規模の大きい二重門である。木造(欅)
二階建てで、屋根は入母屋造銅板葺、柱はすべて円柱である。初層の
左右から出入りできる点に特徴がある。
 鐘楼は本堂の北東、庫裏の前方に建っていて、木造(欅)袴腰付きで、
屋根は宝形造銅板葺である。虹梁型頭貫の木鼻位置には龍の丸彫を配し、
支輪板には鶴の浮彫彫刻を施すなど、山門と同様、彫刻装飾を多く採り入れている。

観音堂

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観音堂の扁額

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山門手前の水子地蔵

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山門

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山門の扁額

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左右の仁王像

裏には地蔵尊と脱衣婆

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奪衣婆(だつえば)は、三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずに
やってきた亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。奪衣婆が剥ぎ取った衣類は、
懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。衣領樹に掛けた亡者の衣の
重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の処遇を決めるとされる。
俗説で、奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もある。江戸時代末期には
民間信仰の対象とされ、奪衣婆を祭ったお堂などが建立された。民間信仰に
おける奪衣婆は、疫病除けや咳止め、特に子供の咳止めに効き目があるといわれた。

曹洞宗開祖である道元禅師御尊像

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ぼけ封じ地蔵

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鐘楼 右手前は延命地蔵
解説板によると徳川幕府公許の鐘で、二六時中近隣四方の村村へ時を報ずる
役でした。・・・安政五年東山で改鋳されたものです。朝は覚醒・昼は精進・
夕は反省と位置づけして、現在では季節に関係なく朝夕五時に六つ・昼は
十一時半に一二個の三回とし、自動で撞いております。

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本堂前に略縁起
「当山は往古 田原藤田秀郷公の館跡といわれ、その後市川山見性寺が建立
されたと伝えられている。しかし後に足利尊氏公将軍となるやこの寺を改めて、
安国利生の祈願所として、龍門山高安護国禅寺を再建した。これは尊氏が
全国に建立した安国寺のひとつで武蔵国のそれが当山である。

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本堂

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本堂に掲げられている扁額

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本堂前右にある大木「コウヤマキ」が素晴らしく

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木化石

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クスノキ

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木曽源太郎墓 東京都指定旧跡
幕末の志士で熊本藩士名は義顕、木曾義仲二五代目の末裔といわれ、
諸子百家、国学を修め長じては兵学の研究に専念した。安政末年に
上京し勤王の志士西園寺実満と東奔西走し皇権の回復を画策した。
文久三年脱藩して再上京倒幕運動に身を投じた。維新後は木曽源太郎と
名を改め判事、護王神社権宮司、湊川神社や鎌倉宮の宮司を歴任した。
晩年は大寿庵と号し、娘の嫁ぎ先である府中に隠棲、大正七年死去。

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墓所を抜け奥に秀郷稲荷

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龍門山高安寺の鎮守として田原藤太秀郷公をお祀りしてある。

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稲荷神社の扁額

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神社右に弁慶硯の井の案内石碑

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弁慶硯井戸
見性寺と呼ばれた頃、義経はあに頼朝の怒りに触れ腰越まで来たが
鎌倉入りは許されず、やむなく京都へ帰る途中暫く見性寺に足どめし、
弁慶等と叔免祈願のため大般若経を写したという。その時裏山から
清水を汲み取ったという井戸。

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