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2013年9月18日 (水)

信州の鎌倉・塩田平ひとり旅~その3 塩田平鎌倉古道古刹巡り

その3 塩田平鎌倉古道古刹巡り SHIOTA-DAIRA, UEDA NAGANO

中禅寺、塩野神社、龍光寺、塩田城跡、前山寺、塩田平、
塩田池ほかため池群、生島足島神社、長福寺、上田城、真田神社

当初宿から前山寺まで歩く計画を立てていたが、初めての土地で
体調も万全でなく不安なので、別所温泉から中禅寺まではバスを
利用することにした。

高速バスの終点である将軍塚駐車場から中禅寺、前山寺など経由して
上田電鉄別所線「塩田町駅」まで行けるシャトルバスが出ている。

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午前中に10時10分、11時20分発の二本あるので、早い方に決め、時刻まで
将軍塚、七苦離堂、上田電鉄別所線別所温泉駅、丸窓電車モハ5250など
撮影して時間調整した。

シャトルバスはPRが充分でないのか独りで貸し切り状態。

将軍塚から11分の10時21分独鈷山の麓にある「中禅寺」に到着した。

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本堂

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木造金剛力士像
高さ207cm、小ぶりだがバランスよく、怒りの表情も誇張を抑えて
都風の典雅な感覚が表されている。12世紀末頃の作と考えられている。

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薬師堂 
国指定重要文化財。中部日本最古の木造建築物とされてる。「阿弥陀堂形式」で
建造されていて、東西南北どちらから見ても柱が四本、間が三本ある「方三間寄棟造」
岩手県平泉の中尊寺金色堂と同じだ。屋根は茅葺寄棟の「宝形造り」。
堂内中央に四天柱があり、本尊が安置されている。
この薬師如来坐像も国指定重要文化財。

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バス通りに戻ると右手に塩野神社。バス停からも見えている。
鬱蒼とした神社林木の下闇が広がり如何にも神域で厳かで身が引き締まる。
御神木が覆屋に囲まれ保護されている。

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塩野川にかかる太鼓橋の神橋。台風の影響か工事中に付き手前から参拝。
拝殿は勅使殿とも言われ、楼門形式の拝殿は珍しい。

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塩野神社を出て所からシュックサイドに短くして持ってきた
ウォーキングポールを取り出して使用した。足の負担を軽減するためだ。
暫く歩くとため池が見えてきた。中禅寺までのシャトルバス車窓からも別の
溜池二面も撮影していたが、これは塩野池

池の反対側に解説板「田園空間博物館」がある。 

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解説板によると

「塩田平は周囲をとりまく山地が1200mと低く、かつ内陸の盆地で
年降水量は860mmと少ない寡雨気候である。そのため、塩田平を
流れる河川はどれも小河川で水量が少なく、盆地底の耕地を潤すことは
困難であった。そこで、古くからため池をつくり、その水で灌漑をする
という長野県では珍しいため池灌漑が行われていた地域である。
昭和42年(1967)にはため池の数は大小112面を数えていたが、
その後の農業構造改善事業で小さなものはなくなり、昭和62年(1987)
には41面になった。」

塩野池はそのひとつで独鈷山から流れる塩野川の水を貯めている。
塩田平の景観のひとつとなっている。全国ため池百選に選定
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その後上窪池 甲田池の横を歩いた。シャトルバスの車窓からは山田池
舌喰池という怖い名前の池もあった。

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龍光院
1282年塩田城主であった北条国時が父・義政の菩提を弔うために龍光院の
前身・仙乗寺を開創したのに始まる。その後1601年龍光院と改め曹洞宗の
寺として再興されている。

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黒門と欅の大木
格式ある門と樹齢600年を誇る欅、なんと幹周り702cmとある。
ここの道が五・三キロの道のりが鎌倉街道遊歩道として指定されており、
要所要所に案内表示板が掲げられていてよそから来ているストレンジャには有難い。

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塩田北条氏初代義政は鎌倉幕府のナンバー2である連署(れんじょ)
あったが理由は定かでないが突然鎌倉をたち信濃塩田に移り住んでいる。
義政も二代国持三代俊国も仏門に帰依しており、ここ塩田平の鎌倉街道沿いに
庇護した幾名刹が残っている。この街道が東京府中市の分倍河原や、
多摩市関戸を通り、町田市の野津田や七国山を経て鎌倉に繋がっている。
暫し往時を偲んでみた。

鎌倉幕府本拠地鎌倉は1333年新田義貞による鎌倉攻めにより、町全体が
焦土と化してしまったが、皮肉にも塩田平は嘗ての鎌倉らしさをとどめて
今に伝えている。文化財保護の観点から大切にしたい地域である。

塩田平は大和政権下に国府を置いた場所であり、信濃の国の政治経済の
中心
であった。初めて訪れたが、美しい山や田園など風光明媚兎も角豊かな
地柄である。信州出身の友人がいて、ひとりは長野高、もう一人は松本深志で
しばしばローカルなバトルを繰り広げ、笑ってみていたが、上田出身者が
混じっていたら、さてどうなっただろうと想像して面白い。

龍光寺から先案内板に従い鎌倉街道を東進すると、黄色い花が目につく。
クサノオウ(草の王)」と思われる。

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前山寺で「くるみおはぎ」を11時から11時半頃到着で予約している。
時間が気になるが、個人的に関心高い「塩田城跡」が道路沿いに見えてきた、
後で戻ってくることも考えたが先に見学することとする。

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塩田城は1277年北条義政が鎌倉から移り住み館を構えた場所で
二代目国時、三代北条俊時が「いざ鎌倉」で1333年鎌倉に馳せ参じるまで
暮らした場所である。

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龍光寺から250m、前山寺まで100mの位置。
東西200m、南北700mに及ぶ大規模な城館跡。

真言宗智山派独鈷山前山寺(ぜんさんじ)
更に東へ進むと神戸川の渓流を渡った先が前山寺。こんな山道を歩くとは思わなんだ。

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西側から境内を。南側の山門からお入り下さいの案内表示板あり。

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南に坂をおりて東へ進んだところに山門があり、そこから入る。境内は掃き清められている。

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正面に端正な三重塔が目に入るが、本堂に軽く一礼して東奥の庫裏へ
住職の奥様が出迎えてくれた。今回買い換えたトレッキングシューズを
脱ぐのに手間取ったが、案内された大広間には先客が六名名物の
くるみおはぎ」を賞味されている。南側が開放され塩田平を見通せる。

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丹精のくるみおはぎは餅米を叩き作ったお餅を上品な甘さの胡桃だれに
まぶして頂く。大きくないのでそのままでも大丈夫だが、お餅を半分にしてからの方が
よく胡桃だれと絡まると思いお餅に箸を入れたが出来ずそのまま絡めて頂いた。

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先客が帰った後、眼下の塩田平や庭の撮影をさせて頂いた。

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弘法大師が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた。塩田城の鬼門に位置し
塩田北条氏の祈祷所ともなっていた。

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国指定重要文化財である三重塔
二層目と三層目に扉も窓もなく廻縁も勾欄がなく、横板壁を張り詰め、
各柱の下部からは長い貫が四方に突出ているため「未完成の完成塔」と
いわれている。しかし見た目には不自然さを感じさせず、安定した
調和を保ち美しい姿で魅了する。

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様式は鎌倉時代末期にはじまった和様と禅宗様との折衷様式。
建立年代は折衷様式から室町時代と推定されている。

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もう尾花(ススキ)が咲き始めている。茅葺屋根の本堂とマッチしています。

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参道150m程の間に様々な種類の巨木が多く圧倒される。
教育委員会の解説板によると幹周り2mから3.15m樹高20m超樹齢350年前後とラフな説明

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さて上田電鉄別所線塩田町駅まで1100mを更に歩くこと
塩田平ウォーキングマップを入手している。
全国遊歩百選」認定コースにもかかわらず、案内表示がなく、
塩田町へ行きたかったが、2駅東の「下之郷駅」まで歩くはめになった。

そこにはなんと上田丸子電鉄「下之郷」のホームが残されている。

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上田行きの時刻を調べて20分間生島足島神社を参拝することに。遠くからも見えていた
立派な鳥居は生島足島神社のであった。道を間違えたお陰でお参りできた。

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途中長福寺というお寺に八角の御堂あり「信州夢殿
新しく彩色も鮮やかと思ったら昭和17年建立とのこと。

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生島足島とは生島神・足島神の二神をいう。神社は日本列島のほぼ中央
あり、日本の総鎮守といわれる。ご神体は本殿奥二間四方の大地である。

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上田駅へ到着後、高速バスの予約を入れ、駅にある「びゅうプラザ」で
発券してもらった。時間まで遅目の昼食をこれまた山菜そばを頂き、上田城跡公園へ。

真田昌幸により、1583年(天正11年)に築城された平城である
真田昌幸が二度にわたる徳川軍の攻撃を撃退した上田合戦で有名
写真はよく見掛ける本丸東虎口櫓門

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真田神社
城址公園内にある。真田、仙石、松平という歴代の上田藩主を祀っている神社

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欅並木も風格がある

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高速バスの時間が気になり後半は慌ただしい旅であった。しかし645年大化改新による
中央集権政策で信濃の国府があり東山道で最も重要な兵站基地として栄えた理由が
塩田平を放浪して解った。永井路子氏が「塩田の緑は深く閑か」と書いていたことも
実際に歩き見て体感できた。建造物での国宝が鎌倉市が円覚寺舎利殿のみに対し信州の鎌倉は安楽寺八角三重塔、中禅寺薬師堂、前山寺三重塔と三件である。

文化財が幸運にも奇跡的に保たれた中で、人々は類まれな豊かな地柄を生かした
生活をされている。古い農家で畑付き物件が出てれば真剣に考えてみようか
との気持ちにさせられた。

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