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2013年10月

2013年10月31日 (木)

天台宗別格本山浮岳山深大寺

深大寺

深大寺は、東京都調布市深大寺元町にある天台宗別格本山の仏教寺院である。
都内古刹のひとつであり、だるま市蕎麦神代植物公園などでつとに有名。
近年では2010年NHK朝ドラ「ゲゲゲの女房」の舞台となった為観光スポットと
なってしまった。混雑している場所に行くのが苦手で「東京スカイツリー」も
近くに見える所までは行くが上ってはいない。深大寺も人気の沈静化を待ち
行こうと思っていたもので、自分と老妻の体調とお天気回復を待ち今回やっと実現した。

アクセスはJR中央線の吉祥寺三鷹駅、京王線では調布つつじヶ丘駅から
バスが出ている。無為庵からは調布駅が便利で、同駅から深大寺まで約2キロ位で
体調良ければ歩ける距離ではあるが、今回はバスを利用することにした。

「深大寺」の名称は、仏法を求めて天竺を旅した中国僧玄奘三蔵を守護したと
される神「深沙大王」(じんじゃだいおう)に由来するそうである。 天平5年
(733年)満功上人が法相宗の寺院として開創されたが、859年天台宗に改宗。

京王線調布駅が地下化後何度か乗り換えしているが、降りたのは初めてで、
改めて地下化を確認できた。北口前13番小田急と14番京王バスが利用できる。

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深大寺入口から歩いて7分との案内。車窓右手に濃い緑の杜が広がっていて
それと知れる。門前町とはほど遠いが、歩いていると落ち着いた雰囲気の
蕎麦屋さんが見え出して如何にも深大寺らしい。路傍に吉祥草の花。幸先いいぞ。

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程なく「水車館」の水車が猛烈な勢いで回転している。
いつもより水量が多いのだろうか。水車を撮影して解説板を読んでいたら
管理人さんと思われる方から「(水車館の)中もご覧ください」と勧められた。

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更に進むと左手に新しく立派な堂宇。その右手に白く大きな像で龍と虎。
お堂の中は大黒天と恵比寿尊だ。

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深沙大王堂の案内石碑。

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深大寺の名前の由来となっている深沙大王をお祀りしている「深沙大王堂

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境内の石碑 意味も解らず余りにも立派だったので撮っていた。

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掲げられている扁額はそのまんま「深沙大王」。

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深大寺通り」に戻り観光案内所で調布市観光協会作成「深大寺散策マップ」を頂く。

Img155 観光案内所前に観光用蕎麦畑がある。丁度の白い花が咲いている。

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参道

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参道左にある「鬼太郎」が目玉おやじと木の上から迎えてくれた。

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鬼太郎茶屋

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福満橋を渡り

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正面に山門

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山門の扁額「浮岳山

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山門 薬王門
元禄8年(1695)に普請の建物で、慶応元年の火災から免れ、境内最古の建物

境内から見た山門。少し趣が変わって見える。

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鐘楼
山門から境内に入ると、右手に立派な鐘楼が建っている。
鐘楼好きにはどうしても目が行ってしまう。この鐘楼も慶応の大火で焼け落ち、
明治3年(1870)に再建されたものである。今月九品仏浄真寺の流麗な鐘楼に
感嘆したばかりで比較してしまうが、屋根の重厚感に圧倒される。

深大寺の梵鐘は永和2年(1376)に鋳造されたもので、都内では三番目に古く
国の重要文化財に指定されていて、現在は釈迦堂に安置されている。
現在の梵鐘は平成13年に鋳造されたものである。毎日、朝・昼・夕方の三回
撞かれている。

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鐘楼の更に奥左手にある茅葺き屋根の「旧庫裏」。中に台所用品の他農機具らしきものも。

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一対の石灯籠の先に常香楼と奥に本堂

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常香楼
山門をくぐると、正面に、慶応の大火を免れた常香楼が見える。
天保4年(1833)に建立。

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北側(本堂側)に大火の痕が残っている。

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四本の柱は根本が補修されている。

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ムクロジ
本堂側向かって右手前にムクロジの大木。別名をセッケンノキという。
実にサポニンを含み、その界面活性作用で泡立つ。またサポニンは魚にとっては
毒となるので、昔は水に流して魚を捕っていたものだ。
果皮を剥くと、中から種子が現れ、黒い堅くて光沢もあり、羽根突きの
羽根の玉や、数珠玉としても利用されている。

本堂
深大寺の本堂は慶応元年(1865)の大火で焼失した。再建は大正時代になって
からである。唐破風の屋根や彫り物に重厚さを感じさせる建物である。
本堂の内部は荘厳に飾られ、須弥壇上には本尊の宝冠阿弥陀如来が安置されて
いる。これは恵心僧都源信の作と伝えられている。

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本堂の扉にその扉いっぱいにメタル製「」とその木の真ん中に丸に「植」の字
これはどういう意味があるのだろうか。よく見ると燭台になっている。事前予習になかった
もので、改めて調べたら植木屋さんが寄進されたそうだ。

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本堂に掲げられている扁額

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本堂左右に「天水華座(てんすいけざ)」四基
雨水受け。寺紋である桜を模し、住職揮毫による中央に「佛、日、増、輝」の文字と
五枚の花弁の文字を組み合せると有難い仏教語となる。水は生命の根源で天からの恵みの
雨を受けるものとして、当山に相応しいものと説明されている。奥は孔雀垣前に松盆栽。

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右端の天水華座 中央に「佛」、花弁に「道」、「智」、「眼」、「空」、「妙」と読める。
左には「増」と「福、運、和、修、善」。「輝」に「宗、峯、岳、雪、興」とある。

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元三大師堂(がんさんだいしどう)
本堂の横にある五大尊池の前を左に進むと、に行き着く。
丁度読経のお務め中で、信者の方も手を合わせて唱和されている。

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元三大師堂は、延暦寺第十八代座主の慈恵大師良源(りょうげん)(922 - 985)が
自ら刻んだ像を祭る建物である。慈恵大師は、天台宗の中興の祖であるが、
正月三日に入寂したため元三大師とも呼ばれている。古くから如意輪観音の
化身として疫病厄除、悪魔調伏の力を持っと信じられ、その肖像が多く作られた。

 サイト内リンク⇒徳川家菩提寺東叡山寛永寺 輪王寺

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元三大師像は、普通は左手に独鈷を持ち、両手で数珠をまさぐる姿の等身大の
像である。深大寺の元三大師像は座像で高さ196.8cmとかなり大きい。
『仮名縁起』には正暦二年(991)に恵心僧都源信の弟子の寛印法師が
元三大師自刻の像を深大寺に移座したと記されている。しかし、この像は
作風から見て鎌倉末期から南北朝の作と言われている。

元三大師像は秘仏で25年に一度の御開帳の行事の時以外は一般に公開されない。
次は大遠忌で2034年である。

元三大師堂は慶応の大火後、翌々年の慶応3年に再建されている。
祀られている元三大師が深大寺の信仰の中心だったからである。
この大師堂の天井には、徳川末期から明治初期に活躍した絵師の河鍋暁斎
竜の飛翔図を描いている。

右に社務所がありそこで御朱印を頂いた。若い女性による流れるような達筆だ。

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左前にはおびんずる様が毎日信者から撫でられてつるつるになって御座る。

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なんじゃもんじゃの木
は通称「なんじゃもんじゃの木」と呼ばれている木であると説明してある。
和名はキンモクセイ科のヒトツバタゴ、英語名をスノーフラワーだそうだ。
「なんじゃもんじゃ」については何か分からない木について全国各地で
呼ばれている。ハルニレ、イヌザクラ、ボダイジュ、クスノキ、アブラチャン
タブノキほか樹種もまちまちである。因みに無為庵の近く寺のハルニレが
ナンジャモンジャと呼ばれている。

元三大師堂の左に開山堂参詣道の案内

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開山堂
元三大師堂の裏山に、昭和58年(1983)の開創1250年大法会記念事業と
して建立されたもの。上り詰めた先に奈良時代様式の堂宇が立っている。

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扁額

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格子をはめ込んだ前面のガラス扉から内部を拝観できる。珍しく照明装置あり
内部を覗いてみると、中央に本尊の薬師如来三尊(薬師如来、脇侍に弥勒菩薩、
千手観音)を安置し、その左右に開基の満功上人、天台宗一祖の恵亮和尚の
尊像が祀られている。

薬師如来三尊

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満功上人像

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恵亮和尚像

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釈迦堂
開山堂から参詣道の石段を戻ってくると、その先に釈迦堂がある。
ここには関東地方で最古の釈迦如来倚像が安置されている。
国の重要文化財に指定されているこの像は、明治42年(1909)に元三大師堂の
壇下から見つかった。重要文化財の旧梵鐘が納められている。

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釈迦如来倚像
大型の金銅仏で、大きさは全高83.9㎝、坐高59.3㎝。
有名な白凰仏、ガラス越しに拝観させて頂いた。

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深大寺が法相宗の寺だったころの本尊だったとする伝承もあるが、
出所の良く国分寺崖線の斜面に抱かれるように建てられている。付近は豊かな
湧水が出て今でも武蔵野の面影を色濃く残している。隣接する神代植物公園
かっては深大寺の寺領だった。

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不動堂

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五弁の山茶花。山茶花は園芸品種多く「明行空」「肥後桜」とか同定難しい。

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動物霊園がありペットの火葬サービスなどの資料を配布していたので貰ってきた。

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釈迦堂の前に建立されている扇塚

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境内には句碑歌碑が沢山ありが、よく撮れたものを二点アップする。

井澤正江 句碑
  そのひ万の 空者まぼろし 辛夷咲く
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清水比庵 歌碑
  門前の蕎麦はうましと 誰もいふ この環境の みほとけありがたや

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そば種は8世紀頃原産地である北方大陸から朝鮮半島を経由して我が国に
伝わり、武蔵野台地を開拓していた高句麗からの渡来人によって栽培され
広がったとされている。江戸時代、深大寺の北の台地も米作には向かず、
小作人はそばを作り、米の代わりにそば粉を深大寺の納めていた。
深大寺ではそれでそばを打って来客をもてなしたのが深大寺そばの始まりと
されている。

元禄年間、上野寛永寺の公弁法親王に深大寺の寺坊で作ったそば切りを
献上したところ、親王は大いに賞賛された。そして、そばの風味や香りを
殊の外喜ばれて、将軍家や諸大名に広く推奨したため、深大寺そばの名声が
高まったとされている。現在、深大寺そば組合に加盟している店は26軒あり、
寺院の参道や境内近くでそれぞれ大きな店を構えている。

山門左前の蕎麦屋に入り弁財天池と泳いでる鯉を眺めながら天ざるを頂いた。
店前のおもしろ像

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隣接する東京都立神代植物公園は486,536㎡と広大で元々深大寺領であった。
今回は割愛するが春のシーズンには訪ねたいものだ。

帰路は参道前が発着場所になっていて、出発間際の京王バスを利用した。

2013年10月18日 (金)

九品仏 九品山唯在念佛院浄真寺

九品仏 九品山唯在念佛院浄真寺 Kuhonbutsu Jhoshinji-Temple

三年毎に実施される「お面かぶり」儀式についてテレビ等報道で知らされている、「九品仏
浄真寺」に初めてお詣りさせて頂いた。鎌倉材木座にある新田義貞が建立した「九品寺」に
は今年の夏に参詣し「九品」については承知している。その九品九躰阿弥陀仏が拝める
とのことで計画した次第だ。東急大井町線「九品仏駅」からスタートである。
駅舎だけ見るとどこか田舎のローカル線の趣がある。

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駅前から続く参道。
約200メートルの長さで参道には黒松を中心に植栽されている。
入り口の参道は「二河白道(にがびゃくどう)」を表している。火の河と
荒れ狂う河に挟まれた白い細い道、白道は浄土往生を願う信心の道で
一心不乱に念仏を唱えて極楽浄土へ渡ろうということを意味している。
樹齢30年位の黒松の間に次世代を担う黒松の苗木を植樹していて感心させられた。

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明治31年11月警視庁が設置した「禁銃猟」の石標。
現在の鳥獣保護地域なのだろう。石造は初めて見る。
境内面積は12ha、3万6千坪。ボランティア活動していた緑地が10haだったので
如何に広大かは理解できる。参道両側に植栽された黒松の幼木が元気に育っている。

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九品山唯在念佛院浄真寺(くほんさんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)は浄土宗寺院。
越後国村上泰叟寺の珂碩(かせき)上人を請うて延宝6年(1678)に創建されたもの。

総門。

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総門に掲げられている扁額「般舟場(はんじゅじょう)」
当山第二世珂憶上人の高弟珂慶上人による揮毫。
常に行道念仏して現前に諸仏を見奉る般舟三昧する道場であり
参拝者に願往生の心を自然に発さんが為に書かれたものである。

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総門を潜ると右手に閻魔堂が見える。その手前に六地蔵が並んでいる。六道(地獄、餓鬼、
畜生、阿修羅、人、天)の入口に立ち、衆生の苦を救うと言う有り難いお地蔵さまたち。

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六地蔵の手前 

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閻魔堂 先にお参りの方達はリピーター参詣者なのか閻魔堂はスキップされている。

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閻魔大王や奪衣婆は何度見ても怖い顔だ。

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分倍河原の高安寺の山門の奪衣婆像に衝撃を受けたものだ。
閻魔様より奪衣婆の方が恐ろしく見えるのはなぜだろうか。

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奪衣婆(だつえば)は、三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた
亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆とも言う。奪衣婆が
剥ぎ取った衣類は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。衣領樹に
掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の
処遇を決めるとされる。奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もある。

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丁字路を左に曲がると正面に仁王門その手前右に開山堂への門が見える。右は東門になる。

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開山堂
珂碩上人像が安置されている。この像は上人自身が42歳の時に彫った自刻像
とされている。三度による如来のお告げがあり、水鏡に映した自身の姿を
彫刻したもので、古くから安産、厄除、開運として信仰をあつめている。

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仁王門
この荘厳さはなんだろう。どっしりとした重厚感。
彫刻の見事さなどで圧倒されてしまう。紫雲楼とも呼ばれている。
阿吽形一対の仁王像、楼上には阿弥陀如来像二十五菩薩
風神・雷神像も安置されているが本日は上がることは出来ない。

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仁王門扁額「紫雲楼」

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仁王門の彫刻

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仁王像 まずは右側 口を大きく開けた阿(あ)形

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次に左側は 口を閉じた吽(うん)の形。二体で阿吽

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紫雲門を潜ることで阿弥陀如来と二十五菩薩に迎え入れられ
荘厳なる浄土へと誘われる。

「三六」の構成
浄真寺は七堂伽藍の完備した僧坊として数少ない寺院である。
極楽往生の様相に形どられ、弥陀三六の願いに即して、
面積3万6千坪、三仏堂各堂丸柱三十六柱、本堂柱三十六柱、
三仏堂と本堂の間隔も三十六間あると言う具合。
ひとたび境内に入り参拝結縁(けちえん)したならば、往生浄土の
信心を得ることができるという願いが込められている。

七堂伽藍
寺院を構成する主な建物として、俗世間との境界を示す山門
本尊を祀る本堂、仏塔、学習の場である講堂、僧の住居である庫裏食堂(じきどう)、鐘楼、東司などがある。これらの要素の名称、配置や数は宗派、時代によって
異なるが、古くは鎌倉時代の『聖徳太子伝古今目録抄』で金堂、塔、講堂、鐘楼、
経蔵、僧坊、食堂の七つがあるのが伽藍、としており、これを七堂伽藍と呼ぶ。


鐘楼
重厚なる仁王門を潜ると左に上品な美しい鐘楼が目に飛び込んでくる。
四周には十二支が細密に彫刻されている。

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中央に鼠、右に猪、左に牛のようだ。

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境内の緑の中に映える石塔

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本堂
本日は残念ながら工事中だ。外壁工事のようで参拝は可能だ。
本尊である釈迦牟尼如来が安置されている。珂碩上人による彫像。

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本堂扁額
本堂は「龍護殿」とも呼ばれていて、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、
西面して穢土(此岸)を表す。

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おめんがぶり「来迎会」
浄真寺独特の「お面かぶり」は文政10年(1827)に始まったと言われる。
正式には「二十五菩薩来迎会」といい、本堂と三仏堂中央の上品堂との間に
橋を架けて阿弥陀仏と二十五菩薩が「来迎」・「往生」・「還来」と
三回橋を行道する儀式である。
三年ごとに奉修され、都の無形文化財に指定されている。
次回は2014年8月16日午前11時で午後5時にも2回目のお務めがある。

仏足石

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三佛堂
三宇が本堂と対面して建てられている。
中央の堂に上品上生上品中生上品下生、
北の堂に中品上生中品中生中品下生
南の堂に下品上生下品中生下品下生
の計九品の佛像が納められ浄真寺が「九品仏」と呼ばれる由縁である。

本堂の正面にある上品堂

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上品堂の中央におわします上品上生仏、その右に上品中生仏、左に上品下生仏

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三仏堂 左右にある中品と下品は扉が閉められていて、ガラス戸越しにお参りした。

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天皇お手植え赤松と三仏堂 いい枝ぶりで樹皮の色が独特の赤で綺麗だ。

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アショカ王の塔

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この様に阿弥陀仏が九体あるのは「東の浄真寺、西の浄瑠璃寺」だけ。
浄瑠璃寺は京都府木津川市にある真言律宗の寺院

ここは豊臣秀吉の北条攻めの頃、世田谷吉良氏系の奥沢城があったという。
境内の北側に、奥沢城の土塁跡があり、城跡の名残を残している。
小田原征伐後同城は廃城となったが、寛文5年(1675)に当地の名主
七左衛門が寺地として貰い受けたもの。

ひと回りして再び本堂へ靴を脱ぎご本尊である釈迦牟尼如来像を近くでお参り
させて頂き、その間御朱印を書いて頂いた。帰宅後分かったが有料でカラー版縁起あり。

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広大な境内にはいろいろな種類の植物があるが中でも
都天然記念物のイチョウカヤがある。

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鷺草園
またサギソウでも有名だが、現在は本堂裏東側に僅かに残り保護されている。

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枯山水風庭園。右が工事中でシートを被った本堂、正面が天然記念物の公孫樹の木で
その奥は三仏堂の屋根が微かに見えている。

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すっかり虜になった鐘楼ふたたび。

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鷺草の開花時期にまたお参りしたいものだ。

2013年10月 8日 (火)

高尾山薬王院有喜寺

高尾山薬王院有喜寺 TAKAOSAN

ミシュラン三星獲得後では初めてしかも独りで高尾山に参詣してきた。
歩く会やドライブを兼ねて家族とは来たことがある。今回は永山で小田急から
京王線に乗り換え、乗り間違え経験のある調布経由で高尾山口

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脚に不安があるので初めてケーブルカーを利用することにした。カップルの若人や
幼稚園園児、老齢で車椅子で来ている方など車内は老若男女ですし詰め状態だ。
今夏、武蔵御嶽山で平均斜度22度関東一のケーブルカーに乗ったので、
高尾山は緩やかだなと思っていたら、終点間際に急激に勾配が強くなり
踏ん張って外を見たら、なんと斜度31度18分日本一との案内表示あり。

東京近郊で交通の便も良く、天気良ければ都心や富士山も望めるひとから
年間300万人もの登山客が訪れているそうだ。

ヤマジノホトトギス

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浄心門を一礼して潜り<、左側にある役の行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩をお祀りした
神変堂で健脚祈願、予定ルートをしっかり歩き切れるよう賽銭箱に小銭を投げ込みお詣り
した。お陰様で予定のルートを予定の時間で廻ることができた。
なおこの堂宇の扁額の文字は佐藤栄作氏の揮毫とのことだ。

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色鮮やかな朱塗り灯籠

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蛸杉

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急な坂の男坂 108段の階段 男坂利用者が多い。見栄張っている人もいるかも。

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見栄張らずになだらかな女坂ルートをしかもウォーキングポールを使用して歩いた。

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杉並木 風倒木被害あるが、樹齢千年近く幹周り5.6m、高さ47mの老大杉も残っている。 

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四天王門

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この美しさにしばし見とれてしまう。
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増長天  剣を手にして勇ましく無数の鬼を懲らしめる。奢れる心を打ちのめし、安らかな
社会を守る。 南方を守護
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持国天 鎧兜に実を固め鋭い独鈷を光らせる。心の悪魔を打ち砕き清らかな社会を守る。東方を守護

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広目天 軸と筆とを手に持って澄んだ眼差しを向ける。広く見る目でしっかりと大きな社会を
守る。西方を守護
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多聞天 宝塔槍を手に持って素直に耳を傾ける。福徳たちまち集まり豊かな社会を守る。北方を守護

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四天王門を潜るとその右手に天狗像

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八大龍王像

1993年(平成5年)に第32世隆玄貫首の発案によって創建された、仏教を守護する天龍八部衆の中のひとり、八大龍王をまつるお堂

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大本堂への階段と先の仁王門 階段側には仁王像が左右阿吽の形で護衛されている。 

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大本堂側は天狗像

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カラス口の天狗様

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大本堂 護摩法要の読経が聞こえてくる。家内安全の護摩供養をお願いた。
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飯縄大権現(いづなだいごんげん)の扁額
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高尾山薬王院は正式名称「高尾山薬王院有喜寺」は天平16年(744)に、
聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、高僧行基菩薩により開山。
この一年間で百超の寺社仏閣を訪ねているが、行基が関わったという
寺が多く、その行動力に驚かされている。その多くが薬師如来を本尊としている。

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薬王院の名は創建当初、薬師如来をご本尊とした事に由来し、現在は真言宗
智山派の大本山
。先月訪れた信州の鎌倉塩田平の「前山寺」と同じだ。

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現在のご本尊は「飯縄大権現」。飯縄大権現は戦国武将の守護神で、
上杉謙信、武田信玄、北条家の手厚い保護も受け、江戸期には徳川との
仏縁により隆盛となった。 ~南無飯縄大権現~

奥ノ院への階段 何故か鳥居がある。

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行基菩薩開山以来「薬師如来」を本尊として奉祀してきた高尾山は、
俊源大徳の祈請によって「飯縄大権現」を勧請し、本尊として奉安している。
「飯縄大権現」は、信州飯綱山戸隠山一帯に淵源を発する。この地方は
山岳信仰も古い修験道の歴史を伝えている。飯綱山は我が国修験道の始祖、
役の行(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩によって山岳修験道場の基礎が開かれた

奥之院飯縄大権現堂 本殿正殿拝殿が一体となった権現造り

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一番奥の本殿
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色鮮やかで彫刻も素晴らしい。

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天狗様は飯縄大権現様の眷属として、除災開運、災厄消除、招福万来など、
衆生救済の利益を施す力を持ち、古来より神通力をもつとされ、多くの
天狗伝説や天狗信仰があり、神格化されています。この様に高尾山は、
飯縄信仰と共に天狗信仰の霊山としても知られている。

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拝殿の左 天狗社 

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一本足の大小さまざまな下駄が奉納されている。

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高尾山は修験道根本道場として知られており、山伏修行が随時行われ、
昔は山伏が深山幽谷に籠もって難行苦行を重ね、やがて高尾山の霊気と
融合して、呪力、験力を体得して大先達となり、山伏の姿が天狗と同一視
されることも多い。

本日は薬王院参詣のみの予定だったが、ケーブルカー利用でパワーが残っていたからか
山頂を目指すことにした。

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不動堂 元々本堂にあった護摩堂を明治43年に移築したもの

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裏にある修験根本道場跡

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ガマズミ   宝石のルビーの様な輝き美しい。他にツリバナも見られた
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山頂までの通路が木道として整備されている。ミシュラン効果なのだろうか。

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標高599m高尾山山頂は子供たちなどで大賑わい。明日が雨天予報なので本日挙行したのであるが、眺望はやや霞んでいるものの都心の高層ビル群なども見えた。
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冠雪していればなお良かったが富士山も見えた。

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全てお参りしてからお札所でご朱印を頂いた。体調を整え高尾山から陣馬山位まで歩けたらと希望している。
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帰り道は往路と同じルート 土産物屋を覗いたら「天狗のパンツ」や「天狗の鼻くそ」は頂けないね。

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男坂上から見ると

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