« 高尾山薬王院有喜寺 | トップページ | 天台宗別格本山浮岳山深大寺 »

2013年10月18日 (金)

九品仏 九品山唯在念佛院浄真寺

九品仏 九品山唯在念佛院浄真寺 Kuhonbutsu Jhoshinji-Temple

三年毎に実施される「お面かぶり」儀式についてテレビ等報道で知らされている、「九品仏
浄真寺」に初めてお詣りさせて頂いた。鎌倉材木座にある新田義貞が建立した「九品寺」に
は今年の夏に参詣し「九品」については承知している。その九品九躰阿弥陀仏が拝める
とのことで計画した次第だ。東急大井町線「九品仏駅」からスタートである。
駅舎だけ見るとどこか田舎のローカル線の趣がある。

Img_4175

駅前から続く参道。
約200メートルの長さで参道には黒松を中心に植栽されている。
入り口の参道は「二河白道(にがびゃくどう)」を表している。火の河と
荒れ狂う河に挟まれた白い細い道、白道は浄土往生を願う信心の道で
一心不乱に念仏を唱えて極楽浄土へ渡ろうということを意味している。
樹齢30年位の黒松の間に次世代を担う黒松の苗木を植樹していて感心させられた。

Img_4177

明治31年11月警視庁が設置した「禁銃猟」の石標。
現在の鳥獣保護地域なのだろう。石造は初めて見る。
境内面積は12ha、3万6千坪。ボランティア活動していた緑地が10haだったので
如何に広大かは理解できる。参道両側に植栽された黒松の幼木が元気に育っている。

Img_4178

九品山唯在念佛院浄真寺(くほんさんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)は浄土宗寺院。
越後国村上泰叟寺の珂碩(かせき)上人を請うて延宝6年(1678)に創建されたもの。

総門。

Img_4180

総門に掲げられている扁額「般舟場(はんじゅじょう)」
当山第二世珂憶上人の高弟珂慶上人による揮毫。
常に行道念仏して現前に諸仏を見奉る般舟三昧する道場であり
参拝者に願往生の心を自然に発さんが為に書かれたものである。

Img_4181

総門を潜ると右手に閻魔堂が見える。その手前に六地蔵が並んでいる。六道(地獄、餓鬼、
畜生、阿修羅、人、天)の入口に立ち、衆生の苦を救うと言う有り難いお地蔵さまたち。

Img_4184

六地蔵の手前 

Img_4183

閻魔堂 先にお参りの方達はリピーター参詣者なのか閻魔堂はスキップされている。

Img_4185

閻魔大王や奪衣婆は何度見ても怖い顔だ。

Img_4187

分倍河原の高安寺の山門の奪衣婆像に衝撃を受けたものだ。
閻魔様より奪衣婆の方が恐ろしく見えるのはなぜだろうか。

Img_4188

奪衣婆(だつえば)は、三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた
亡者の衣服を剥ぎ取る老婆。脱衣婆、葬頭河婆、正塚婆とも言う。奪衣婆が
剥ぎ取った衣類は、懸衣翁という老爺によって衣領樹にかけられる。衣領樹に
掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって死後の
処遇を決めるとされる。奪衣婆は閻魔大王の妻であるという説もある。

Dscf9060

丁字路を左に曲がると正面に仁王門その手前右に開山堂への門が見える。右は東門になる。

Img_4189

開山堂
珂碩上人像が安置されている。この像は上人自身が42歳の時に彫った自刻像
とされている。三度による如来のお告げがあり、水鏡に映した自身の姿を
彫刻したもので、古くから安産、厄除、開運として信仰をあつめている。

Img_4190

仁王門
この荘厳さはなんだろう。どっしりとした重厚感。
彫刻の見事さなどで圧倒されてしまう。紫雲楼とも呼ばれている。
阿吽形一対の仁王像、楼上には阿弥陀如来像二十五菩薩
風神・雷神像も安置されているが本日は上がることは出来ない。

Img_4193

仁王門扁額「紫雲楼」

Img_4195
仁王門の彫刻

Img_4197

仁王像 まずは右側 口を大きく開けた阿(あ)形

Dscf9066
次に左側は 口を閉じた吽(うん)の形。二体で阿吽

Dscf9064

紫雲門を潜ることで阿弥陀如来と二十五菩薩に迎え入れられ
荘厳なる浄土へと誘われる。

「三六」の構成
浄真寺は七堂伽藍の完備した僧坊として数少ない寺院である。
極楽往生の様相に形どられ、弥陀三六の願いに即して、
面積3万6千坪、三仏堂各堂丸柱三十六柱、本堂柱三十六柱、
三仏堂と本堂の間隔も三十六間あると言う具合。
ひとたび境内に入り参拝結縁(けちえん)したならば、往生浄土の
信心を得ることができるという願いが込められている。

七堂伽藍
寺院を構成する主な建物として、俗世間との境界を示す山門
本尊を祀る本堂、仏塔、学習の場である講堂、僧の住居である庫裏食堂(じきどう)、鐘楼、東司などがある。これらの要素の名称、配置や数は宗派、時代によって
異なるが、古くは鎌倉時代の『聖徳太子伝古今目録抄』で金堂、塔、講堂、鐘楼、
経蔵、僧坊、食堂の七つがあるのが伽藍、としており、これを七堂伽藍と呼ぶ。


鐘楼
重厚なる仁王門を潜ると左に上品な美しい鐘楼が目に飛び込んでくる。
四周には十二支が細密に彫刻されている。

Img_4198

中央に鼠、右に猪、左に牛のようだ。

Img_4199

境内の緑の中に映える石塔

Img_4203

本堂
本日は残念ながら工事中だ。外壁工事のようで参拝は可能だ。
本尊である釈迦牟尼如来が安置されている。珂碩上人による彫像。

Img_4206

本堂扁額
本堂は「龍護殿」とも呼ばれていて、浄土(彼岸)を表象する三仏堂に対比し、
西面して穢土(此岸)を表す。

Img_4207

おめんがぶり「来迎会」
浄真寺独特の「お面かぶり」は文政10年(1827)に始まったと言われる。
正式には「二十五菩薩来迎会」といい、本堂と三仏堂中央の上品堂との間に
橋を架けて阿弥陀仏と二十五菩薩が「来迎」・「往生」・「還来」と
三回橋を行道する儀式である。
三年ごとに奉修され、都の無形文化財に指定されている。
次回は2014年8月16日午前11時で午後5時にも2回目のお務めがある。

仏足石

Img_4205

三佛堂
三宇が本堂と対面して建てられている。
中央の堂に上品上生上品中生上品下生、
北の堂に中品上生中品中生中品下生
南の堂に下品上生下品中生下品下生
の計九品の佛像が納められ浄真寺が「九品仏」と呼ばれる由縁である。

本堂の正面にある上品堂

Img_4208

上品堂の中央におわします上品上生仏、その右に上品中生仏、左に上品下生仏

Img_4210

三仏堂 左右にある中品と下品は扉が閉められていて、ガラス戸越しにお参りした。

Img_4212

天皇お手植え赤松と三仏堂 いい枝ぶりで樹皮の色が独特の赤で綺麗だ。

Img_4214

アショカ王の塔

Img_4211

この様に阿弥陀仏が九体あるのは「東の浄真寺、西の浄瑠璃寺」だけ。
浄瑠璃寺は京都府木津川市にある真言律宗の寺院

ここは豊臣秀吉の北条攻めの頃、世田谷吉良氏系の奥沢城があったという。
境内の北側に、奥沢城の土塁跡があり、城跡の名残を残している。
小田原征伐後同城は廃城となったが、寛文5年(1675)に当地の名主
七左衛門が寺地として貰い受けたもの。

ひと回りして再び本堂へ靴を脱ぎご本尊である釈迦牟尼如来像を近くでお参り
させて頂き、その間御朱印を書いて頂いた。帰宅後分かったが有料でカラー版縁起あり。

Img153

広大な境内にはいろいろな種類の植物があるが中でも
都天然記念物のイチョウカヤがある。

Img_4204
鷺草園
またサギソウでも有名だが、現在は本堂裏東側に僅かに残り保護されている。

Img_4215

枯山水風庭園。右が工事中でシートを被った本堂、正面が天然記念物の公孫樹の木で
その奥は三仏堂の屋根が微かに見えている。

Img_4217

すっかり虜になった鐘楼ふたたび。

Img_4219
鷺草の開花時期にまたお参りしたいものだ。

« 高尾山薬王院有喜寺 | トップページ | 天台宗別格本山浮岳山深大寺 »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/53644748

この記事へのトラックバック一覧です: 九品仏 九品山唯在念佛院浄真寺:

« 高尾山薬王院有喜寺 | トップページ | 天台宗別格本山浮岳山深大寺 »