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2014年1月29日 (水)

江戸総鎮守神田明神

神田祭でお馴染み江戸総鎮守神田明神 

通過したり屡々乗り換えに利用するが下車するのは久しぶりのお茶の水駅からスタート。
聖橋を渡り湯島聖堂の北向かいに鎮座まします「神田明神」へ向かう。
現役時に同僚と参拝して以来十有余年ぶり。その時はお参りしたら直ぐ帰ってしまったが、
今回は時間もあるので境内および周辺をじっくり回る予定。

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鳥居 柱の根本の波意匠が珍しい。

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鳥居の扁額
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随神門
神田神社の大鳥居をくぐると、正面に大きく彩色鮮やかなる門。

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朱塗りの門は総檜の入母屋造りで、四神(朱雀、白虎、青龍、玄武)などのモチーフ彫刻が
装飾されている。中央には御祭神大国主之命の神話が描かれているとのことだ。

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朱雀
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玄武
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中国古代の天文学上、北極星を中心として、東は青龍西は白虎南は朱雀北は玄武
さだめ、それぞれの星を禽獣の名をもって表されている。わが国では大宝元年(701)
朝儀の儀仗に四神の矛が飾られ、それ以来、魔除けの神として崇められ
また、これらを五色に配当され、東を青、西を白、南を赤、北を黒中央を黄とされいる。
大相撲の土俵の方位も色房を垂らして示している。

随神門の扁額 鳥居と同じみたいだ。拝殿も同じかも。

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燈明
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随神門右の脇門

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随神門を入り右手には神楽殿と祭務所。シヤッターで閉まり神田祭の錦絵で飾られている。
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神田祭の神社だけに二階建ての立派な「祭務所」だ。
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手水舎
随神門を潜り左手にある。龍の口から湧き出る水を柄杓に受け両手と口を浄めて、
柄も洗って柄杓を戻していたら、後から来た着飾った中年婦人が無作法に騒がしく
手を洗い最後には「この水飲んでいいの」と仲間に訊いている。気になったので
お清めの作法をまとめる。礼に始まり礼で終わるが柄杓一杯のみで全てを済ます。
 ① 礼 
 ② 右手で柄杓を取り水を掬う
 ③ 左手を清める
 ④ 柄杓を左手に持ち替えて右手を清める
 ⑤ 右手に持ち替え左の手のひらに水を溜めを口に含み清める
 ⑥ 左手で口元を隠してそっと吐き出す
 ⑦ 左手をもう一度清める
 ⑧ 柄の首を右手で縦に持ち、残った水で全てで柄の部分を洗い清める。
 ⑨ 柄杓を元の位置に戻す
 ⑩ 礼

ここの水は人を感知して新鮮な水を出すという優れものだそうだ。

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正面に社殿 左は参拝受付や御札の授与の鳳凰殿
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東京都心の千代田区外神田にあり108町会の総氏神さま、「江戸総鎮守」。
祭神は
一ノ宮 大己貴命(オオナムチノミコト) (だいこく様)
二ノ宮 少彦名命(スクナヒコナノミコト) (えびす様)
三ノ宮 平将門命(タイラノマサカドノミコト) (まさかど様)
の3柱を祀る。

皇居の方向、南西に向かって鳥居が立ち、社殿も南西向き。
正式名は、神田神社であるが、神田明神が馴染み深い「明神さま」。
江戸城鬼門守護、江戸総鎮守の神社である。

准勅祭神社東京十社 配布資料「元准勅祭神社東京十社めぐり」から
「慶応三年十月将軍徳川慶喜は大政を奉還し茲に徳川幕府約三百年の終止符をうった。
直後明治天皇は同年十月、王政復古を宣し江戸を東京と改め、慶応四年九月「明治」
と改元され十月江戸城を皇居とし、新しき東京の出発が始まったのである。そのめま
ぐるしき変革の中に明治天皇は、東京の鎮護と万民の安寧を祈るために明治元年十一
月八日准勅祭神社として東京十社を定め勅使をして御幣帛を捧げ御祈願されました。
以来百有余年今や私共の東京は、全国の首都として政治、経済、文化の中心となり、
異常な発展をとげましたが、之は偏に明治天皇様の御えい慮の下天地神明の御加護に
依るものと存じます。」とある。

その十社とは
   根津神社、神田神社、亀戸天神社、白山神社、王子神社、
   芝大神宮、日枝神社、品川神社、富岡八幡宮、氷川神社

神田・日本橋・秋葉原・大手町・丸の内・旧神田市場・築。地魚市場など
108か町会の総氏神である。神田・日本橋が江戸東京の食を支える青果市場・
魚市場の発祥地であり境内に市場の守護神として江戸神社・魚河岸水神社
祀られている。

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社殿
鉄筋コンクリート造りで、本殿、幣殿、拝殿を連結させ形で国の登録文化財に指定されている。
目にも鮮やかな朱色。御朱印は社殿右側にて受け付けてもらえる。昇殿参拝5千円。

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社伝によれば、天平2年(730)武蔵国豊島郡芝崎村、現在の大手町平将門首塚に入植した
出雲系の氏族が大己貴命を祖神として祀ったのが始まりで神田ノ宮と称された。
承平5年(935)に平将門の乱を起こして敗死した将門の首が京から持ち去られ近くに葬られ、
将門の首塚は東国の平氏武将の崇敬を受けた。14世紀初頭に疫病が流行した時には、
これが将門の祟りであるとして供養が行われ、延慶2年(1309)に当社の相殿神とされた。
江戸城増築に伴い慶長8年に神田台へ、さらに元和2年に現在地へ遷座した。
神田祭は江戸三大祭りの一つである。山車は将軍上覧のために城の中に入ったので、
天下祭」と言われた。

将門神輿
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江戸初期に豪華な桃山風社殿が、天明2年(1782)には権現造の社殿が造営
されたが、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失した。当時では珍しい鉄骨
鉄筋コンクリート構造で権現造を模して再建された。昭和20年(1945)の東京大空襲では、
本殿・拝殿などは焼失を免れた。

江戸時代には神田明神と名乗り、1872年に正式の社号が「神田神社」に改められた。
明治7年、明治天皇が行幸するにあたって、逆臣である平将門が祭神から外されたが
昭和59年(1984)になって本社祭神に復帰された。

神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺を参拝してはいけないというタブー
平将門を祭神に祀る神田明神へ参拝してから成田山新勝寺に参拝すると、
将門の祟りによって災いを招くと伝わり、古くからタブー視されいる。
ところが事有る度に新勝寺詣でをしていて屋号も「成田屋」の市川団十郎
市川海老蔵の参拝報道写真を貼り出している。
将門を祀る築土神社にも同じような言い伝えがあるそうだ。

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明神会館
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神門をくぐり、左手には大きな大黒さまが迎えてくれる。巨大な石像である。

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少彦名命(えびす様)ご尊像
金工作家東京芸大学長宮田亮平氏の制作による。
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獅子山 社殿の前の獅子山、関東大震災で子獅子は紛失したが再建された。

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親獅子達に比べ新しく白い子供獅子
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社殿の後方から左にかけて摂社が十柱ほど祀られている。手前魚河岸水神社正面は資料館

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魚河岸水神社

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大伝馬町八雲神社小舟町八雲神社が並んでいる。

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力石 村の鎮守神社境内会所や村境にあり若者達が力試しをしたもの。重量は?
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江戸神社 大寶二年(702)創建。江戸大明神、江戸の天王とも称された。江戸城拡張時に神田神社と
共に神田台に遷り、元和二年(1616)当地に遷座された。現存する大神輿は日本有数の華麗で巨大な
神輿で通称「千貫神輿」とも称され親しまれている。神田祭に担がれる約二百基の象徴的存在。ガラス戸越しに参拝させて頂いた。
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末広稲荷神社
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神輿奉安庫
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浦安稲荷神社

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三宿稲荷神社・金刀比羅神社

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末広稲荷神社
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籠祖神社ほか合祀殿
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祖霊社
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萬世橋勾欄 祖霊舎の裏に密やかに展示されている。東京での初の石造橋梁。
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銭形平次の碑
テレビドラマでもお馴染みの野村胡堂作「銭形平次捕物控」の「銭形平次」は神田明神下の
長屋に住んでいたと設定されている。昭和45年有志作家と出版社が発起人となり建立されたもの。
右手には「八五郎」通称「がらっ八」の小さな碑も建てられている。
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国学発祥の地碑
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さざれ石
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明神男坂大公孫樹 ご神木
関東大震災で社殿はじめ神社の諸施設がことごとく炎上崩壊した中で、焼け跡に唯一残されたのが
この公孫樹である。大正昭和り災害にも遭遇しながら子孫を残しこの地に歴史を伝えているご神木。
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屋上庭園 入口

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屋上庭園

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神田の家 「井政」 江戸時代より現在の内神田で材木商を営んできた遠藤家が震災後昭和2年に建てた店舗併用住宅。材木商であるため入手可能であった貴重な銘木をふんだんに使用している。戦時下空襲をくぐり抜けた貴重な遺産である。デザインも優れているとし千代田区文化財に登録されている。

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鳥居と随神門の間には土産屋さんというより甘酒屋さんが目立つ。

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天野屋
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神田明神前の「天野屋」は、1846年の創業以来、店の地下にある天然の土室(むろ)で造る
糀(こうじ)をもとに、甘酒などを造り続けている老舗である。江戸に散在する甘酒屋に対する
人々の評判はすさまじく「富士山に肩を並べる甘酒屋」と句に詠まれるほど。 

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販売のほか店内で甘酒など頂ける。ゆっくり座って頂きたかったので左から店内に入り
甘酒を頂くことにした。先客は手前に男性ひとり真ん中に中年女性二人連れと奥に女性
ひとり。どうやら彼女は拝殿前で見掛けた女だ。参拝して御朱印を書いてもらっている
間もずっと手を合わせお祈りしていたので印象に残っていた。女性はいずれも大きな
旅行バッグを引いている。遠方からの参拝者らしい。
さて名物の甘酒は予想以上の甘さに驚かされた。しかし自然の甘みなので最後まで
美味しく頂戴し身体も温まり、店内はレトロの雰囲気で落ち着いて過ごせた。

久しぶりに明神さんにお参りできたこと嬉しく思う。鳥居、随神門、拝殿の扁額がすべて同じで
宮司大鳥居吾朗さんによる揮毫というのが再建修復の神社だからなのだろうと納得した。
また御朱印を頂いた時に資料などカラー版印刷物四種も頂いたことに加え、手水舎の
水がセンサー感知システムなど参拝者が多く財政状態の豊かさを感じられた。

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