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2014年1月10日 (金)

横浜鶴見 曹洞宗大本山諸嶽山總持寺

曹洞宗大本山總持寺

永平寺はお参りしたことがあるが、總持寺は機会がなく残念に思っていた。体調戻り50日ぶり
の活動は神社仏閣史跡めぐりとして總持寺への初詣と決めた。南武線川崎駅で京浜東北線で
ひと駅「鶴見駅」からスタート。石原裕次郎の菩提寺としてもメディアに取り上げられている。

鶴見駅西口から南へ歩く。右手に總持寺系列の鶴見大学歯学部附属病院があり
その奥が目的の場所のはずだ。暫く進むと「大本山總持寺」の案内や「節分
豆まき」の幟旗も見えきた。駐車場の案内もあり参道の左側に平行して車道もある。

参道 広々として両側の樹木が清浄な気を発しているように思える。
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能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、
「總持寺」の前身である。能登の「総持寺」は、明治44年(1911年)の
寺基移転にともない「總持寺祖院」と改称されている。
元亨元年(1321) 曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、「諸嶽観音堂」への入院を住職の
定賢から請われる。また同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、
寺号を「總持寺」、山号は「諸嶽観音堂」にちなみ「諸嶽山」と改名された。

元亨2年 後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、大本山となり、
曹洞宗を公称する。住職を5つの塔頭(普蔵院、妙高庵、洞川庵、伝法庵、如意庵)からの
輪番制となる。1615年(元和元年)、徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。

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敷地面積は約50万㎡あり、境内には仏殿、大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、
鶴見大学などの学校施設もある。本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、
道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きい。

總持寺は、1911年に石川県から神奈川県に移転してきた寺院であるため、
堂宇の大部分は近代の建立であるが、他所から總持寺へ移築された建物の
うちには、近世末期のものも若干ある。大祖堂、三門などは太平洋戦争後に
建立された鉄筋コンクリート造であるが、仏殿をはじめとする主要建物の
多くは20世紀前半(大正時代~昭和時代前期)の本格的な木造建築である。
2005年に仏殿など16件の建造物が登録有形文化財に登録されている。

三松関
總持寺の総門。禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門の様式
棟つづきの右奥に「新到安下所」がある。修行僧が最初に宿泊する建物。

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扁額「三樹松関」
「さんじゅしょうかん」と書かれた扁額。總持寺中興の祖石川素童禅師(1841~1924)が揮毫。
龍の形をした三本の松樹が總持寺の祖院である能登にあったことに由来。

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裏から見た屋根部分。高麗門様式がよく解る。
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総門の左側に祀られている「延命地蔵尊
このお地蔵さんは、悲恋の物語を秘めているとの伝承があるそうだ。
能登の祖院では「三味線地蔵」と呼ばれている。

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三門
総門をくぐり、最初に見える巨大伽藍。木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、
昭和四十四年に落成した。鉄筋コンクリート造りとして日本一の大きさ

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掲げられている扁額
「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師の揮毫。

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仁王像
左右に金剛力士(仁王)像
元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像として有名。

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金網が張ってありその目が他寺院のより細かいらしく撮影に苦労した。

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楼上には観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像および四天王像が祀られている。


三門を潜って振り返る。

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三松閣
三門に向かって右側に巨大堂宇。切妻造り鉄筋コンクリート、地上四階、地下二階、
宿泊施設もあり、一階右手にはお土産屋さんもある。

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向唐門
後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」と
の綸旨を賜り、以後歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、
勅使門」の名を残しておりました。禅師の入山式や、正月・節分会・
11月5日の移転記念日の時だけに一般に開扉されている。

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裏から見ると

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香積台
香積とは、香気が充満している世界のことで、『維摩経香積品』が説くところによりますと、そこに住む如来の名でもあるとされており、転じて、禅門では食事を調理するところの庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味します。「庫」は、物を貯える蔵のこと。

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正面玄関には、独住第三世・西有穆山禅師が揮毫された「香積台」の扁額が掲げられています。

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中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されている。

右手に総受付があります。拝観・墓地・法要・参拝等の受付を行います。
総受付右側一番手前で御朱印受付。若い僧侶が一字一字丁寧に目の前で書いてくれた御朱印です。
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十句観音経 御朱印と一緒に香積臺にて頂いたもの。

 

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香積臺には売店もあり、奥には日本一の大黒様 大黒天像を奉祀されている。

金鶏門 
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渡り廊下
金鶏門から左の中雀門方向。その先は玉兎門を経て衆寮から放光堂へ繋がっている。

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反対方向は香積臺から徳川家旧書院を移築したという總持寺の迎賓館である待鳳館が渡り廊下で繋がっている。

紫雲臺
總持寺の住持・禅師の表方丈の間。宗門の僧侶、全国の檀信徒と親しく相見する大書院です。紫雲臺とは、禅師の尊称にもなっています。

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正面玄関の「紫雲臺」扁額は、独住第3世西有穆山禅師による揮毫。

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大祖堂
開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、
瓦葺形の銅版屋根は53トンに及ぶ。諸種法要修行の場となっている。

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高祖大師・太祖大師・二祖国師・五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されている。
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太祖瑩山禅師と高祖道元禅師、二祖・峨山禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する靈場。

明治41年(1908)、能登から現在の横浜鶴見が丘に御移東の官許を得て、
昭和40年(1965)3月、二祖・峨山禅師の600回大遠忌を記念して、
ようやく竣工・落慶したもの。

普蔵院・太源宗真をはじめとする妙高庵・通幻寂霊、洞川庵・無端祖環、
伝法庵・大徹宗令、如意庵・実峰良秀各禅師の尊像を配し、
向かって左側には輪住、独住の諸禅師の尊牌を祀られている。
七堂伽藍の中枢となっている。

タタミ千畳敷きの広さのなかで、朝夕の勤行、檀信徒の法要が行われる。
お参りした時も朝のお勤め中で大勢の僧侶がお経を唱えておられた。
幼児連れの若いお母さんの一団が合掌していて微笑ましい。

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御霊殿
大祖堂の右側。昭和12年(1937)後醍醐天皇の600年御遠忌を記念して建立。
後醍醐天皇は、太祖・瑩山禅師の高い徳風の評判をお聞きになり、
信仰上の10か条にのぼる疑問を提示され、それに禅師は見事にお応えになり、
元亨元年(1321)「曹洞出世の道場」の綸旨を下賜され、總持寺は官寺に昇格しました。
御霊殿には、後醍醐天皇の尊像、尊儀をはじめ、後村上天皇、後奈良天皇、後陽成天皇、明治天皇、大正天皇、昭和天皇の各ご尊儀が奉安されています。塀で囲われており撮影は断念した。

仏殿
七堂伽藍の中心部に配置されている殿堂で、「大雄宝殿」とも呼ばれる。
中央の須弥壇上に禅宗の本尊である釈迦牟尼如来が祀つられている。

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ご本尊の脇侍として右は比丘相の迦葉尊者、左には若年美顔相の阿難尊者
この両尊者は、お釈迦様の「十大弟子」の二人でもあります。

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仏殿扁額
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仏殿内部正面には、久邇宮邦彦殿下御筆による、 扁額「鎮護國家」が
掲げられているそうだが、確認できなかった。

放光堂
明治44年(1911)11月5日、總持寺が能登から移転されて、最初に法要が
厳修された記念すべき建物です。この堂宇は安政年間に山形・鶴岡の
総穏寺本堂として建立されましたが、總持寺移転に際して特別に献納された由。
当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしていたが、現在では全国檀信徒の
永代供養のご位牌を祀り、日夜回向しているそうだ。

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鐘鼓楼
鐘鼓楼は放光堂から衆寮に通じる回廊の中にあり、禅門の行・住・坐・臥、日常生活の合図は、
すべて言葉ではなく梵鐘、木版、雲版、太鼓などの打楽器群の合奏によって、全山に報知される。
傍を通った折に大音量の太鼓が打たれ少々驚かされた。下写真は放光堂と廻廊でその左にある。

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衆寮
当初は僧堂でしたが、現在は坐禅堂として一般参禅者に開放されています。
中央に准胝観音像が祀られています。

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扁額「古教照心」は、文字どおり祖録等の看読所(学問所)をさしており、お祖師様方の教えの光によって心を照らせ、心をみがけ、という意味です。本山中興の祖・石川素童禅師の揮毫。

大僧堂
七堂伽藍の重要な堂宇である。大僧堂は、雲水僧が集まり来るという意味で「雲堂」、
また仏祖を選出する道場の意から「選佛場」、あるいは古木然として兀坐を行じているので
古木堂」とも呼ばれる。

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堂の中央に僧形文殊菩薩像を安置して、衆僧がこれを囲んで、
周囲に単(坐状)を設け、 行住坐臥、日夜弁道をする道場です。
朝の坐禅から開枕(就寝)まで、禅林の生活は大僧堂を中心に展開されています。
堂内は内堂86名、外堂30名の二つに区別され、あわせて計116名が坐禅できる。

正面玄関の「選佛場」扁額は、独住第3世西有穆山禅師の書。

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雲水群像 矢崎虎夫作、1973年仏パリ市バンセンヌ公園

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寶物殿
金色に輝く擬宝珠を頂いた建物で、開祖瑩山禅師650回大遠忌の記念に建立されました。
本山秘蔵物を一堂に集め、随時一般に公開。残念ながら本日は「休館」の札が入口に掛かっている。

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家の宗派の大本山をお参りできてホッとしている。自分にとって初詣の場所が總持寺となり良かった。

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