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2014年2月

2014年2月26日 (水)

梅花歴乱 湯島天満宮 2014

 ♪湯島通れば思い出す♪
湯島天神は息子が小学3年頃だったろうか下の娘も伴い家族4人でお参りしたものだ。
また春日通り沿いにある明治の文豪達も愛したという老舗料理屋「江知勝」は接待で
初めて来て以来その佇まい雰囲気がすっかり気に入りプライベートでも屡々利用している。
今回リタイア後久しぶりの参拝でもあり、後周りをぶらり散策したいものだ。

千代田線「湯島駅」からスタート。春日通りに面してまずは「車祓所
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車祓所の右は湯島天神入り口4つのひとつ「夫婦坂」。

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石段の右には雪洞が置かれているが、夜間のライトアップをイメージするとちょっと艶かしい。

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夫婦坂を上って右側は天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る摂社「戸隠神社」、左には
末社「笹塚稲荷神社」が祀られている。天之手力雄命は天照大御神が天岩戸に隠れ給うた時
岩戸を開き大神の手を取りお出し申した神様である。剛勇の徳を讃えられ開運守護の神と崇敬されている。

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湯島天神の御祭神は上記戸隠神社の天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)と菅原道真公
江戸時代から「湯島天満宮」「湯島天神」と呼ばれていて、明治維新から平成12年までの正式名称は
「湯島神社」であったそうだが、平成12年に正式名称を「湯島天満宮」に改められている。
「湯島天神」は通称名である。

銅鳥居 参道正面にある鳥居。寛文七年(1667)建立。鋳造製鳥居で東京都文化財指定。
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都重宝」こんな言い方していたのか。
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東京人以外でも湯島天神は東京の神社仏閣として馴染みのある数少ない寺院のひとつであろう。
泉鏡花の小説『婦系図』が「婦系図 湯島の白梅」として映画、演劇、また小畑実による歌謡曲も
大ヒットし巷に流れていたからだろうと思われる。

湯島天神は学問の神様として若者にも知られている。受験シーズンには多数の受験生が合格祈願
訪れている。息子の中学受験時にも参拝し絵馬を奉納したものだ。

古くから神様の乗り物として馬が神聖視され、お祭りや祈願のときに神馬といって
生きた馬を奉納する風習があり、その代わりとして、板に馬を描き奉納するようになったのが
「絵馬」の始まりと言われている。シーズンとあって境内数カ所に膨大な絵馬が奉納されている。
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湯島天神は雄略天皇二年(458)勅命により創建と伝えられている。
天之手力雄命を奉斎したのがはじまりだが、正平十年(1355)郷民が菅公の御偉徳を慕い、
文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀したとある。

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狛犬 台座も素敵なのであるが次回の機会に撮影することした。

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将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心
していよいよ湯島天満宮を崇敬したものである。
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元禄十六年(1703)の火災で全焼したが、翌年宝永元年(1704)将軍綱吉公は金五百両を
寄進して再建。近年では明治十八年に改築された社殿も老朽化が進み、平成七年十二月
後世に残る総檜造りで造営された。本殿(下写真)と拝殿(上写真)が幣殿で結ばれている
権現造り」で再建。純木造のため近代的な防災設備を整え関係機関の審議を経て
特別に許可されたものである。用材は樹齢250年といわれる木曽檜

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本殿と社務所をつなぐ渡り廊下

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道真公は天穂日命の末、野見宿禰を祖とし、御父は菅原是善公、御母伴氏は
神代以来の名門大伴家の出である。承和十二年(845)御誕生になり、五才の時、
庭前の梅花を見て和歌を詠じるなど秀才ぶり発揮、三十三才で文章博士となり、
四十二才の時讃岐守として四国に赴任、農耕・畜産に尽力された。その政治力を
認められて宇多天皇の信任を得重用されて、位階も昇進の一途をたどり、
醍醐天皇にも道真公はいよいよ信任あつく、昌泰二年(899)、左大臣藤原時平
並んで右大臣兼右近衛大将に任ぜられ(御歳五十五歳)、ついで同四年正月には
従二位に叙せられるに至りました。しかし、時平の中傷によって太宰権帥
左遷された。配所にて没す。

道真公はたいへん詩文に長じており。御著の詩文集に「菅家文草」「菅家後集」が
あるほか、「三代実録」「類聚国史」「新撰万葉集」などの編著にもあたった。
世に「菅公」・「菅丞相」とも呼ばれ、「学問の神さま」とも呼ばれている。

天神さまは五歳の時、梅の花を見て

 うつくしや 紅の色なる 梅の花 あこが顔にも つけたくぞある

と和歌をよまれている。藤観賞に訪れた亀戸天神に「五歳菅公像」があり上記歌も刻んである。

太宰府に行かれる時、自宅の紅梅殿でよまれたという次の歌は学校でも習ったものだ。

 東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ

上記名歌の中の梅の木が道真公を慕って一夜のうちに太宰府に飛来したと伝えられる
飛梅伝説など 道真公と梅にまつわる話が多く残っている。下写真は裏門扉の神紋。

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加賀の前田侯は大の菅公ファンで家系を菅原姓に結びつけ家紋を梅鉢とし特に
加賀梅鉢と呼ばれています。当神社の神紋も加賀梅鉢となっている。神紋の隣らは親子牛に梅。

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天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがある。当神社の境内には嘉永二年
(1849)石造りの臥牛と平成二年製の銅造りの牛ががある。頭と足を撫でさせてもらった。

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道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の
丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて
人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて
安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれている。

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拝殿にて参拝後、社務所にて御朱印を頂いた。書いてもらう間、梅園の梅を観賞。

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社務所 手前社務所で左は「参集殿」

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宝物館 神楽殿と併設して平成11年開館された。銅鳥居側から撮影。

Dscf9140 一階には壮麗なる本社神輿など展示されている。

地階では「絵馬」横山大観、「白梅」安田靫彦、「早春」奥村土牛、「紅白梅」前田青邨
「おぼろ月」竹内栖鳳、「江戸名所」広重、「梅」伊東深水などじっくり鑑賞できた。

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西側の鳥居 石造
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鳥居の左に駐車場 二階建て

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裏門 入って右が「梅園」左手に「参集殿」「社務所」と続いている。

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王貞治「努力碑」授与所の左側

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梅まつりに奉納された梅鉢

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男坂 下から撮影した方が雰囲気が伝わったかもしれない。
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女坂

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巨大な菅公一千年祭碑 明治三五年建立。明治三筆のひとり日下部鳴鶴の隷書。
三筆とは、日本の書道史上の能書のうちで最もすぐれた3人の並称であり、
平安時代初期の空海・橘逸勢・嵯峨天皇はあまりにも有名であるが次の三筆もある。
 寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛信尹・松花堂昭乗)
 黄檗の三筆(隠元隆琦・木庵性瑫・即非如一)
 幕末の三筆(市河米庵・貫名菘翁・巻菱湖)
 明治の三筆(日下部鳴鶴・中林梧竹・巌谷一六)

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泉鏡花筆塚 
里見弴久保田万太郎らが集り「鏡花生前愛用の筆墨を瘞(うずめ)の石を建てて之を表す」と記されている。

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湯島天神の境内には5基のガス燈あった。明治40年に発表した「婦系図」で主人公の
早瀬主税が、結婚者のお蔦に別れを告げるシーンがこの湯島天神の境内でした。
昭和17年長谷川一夫山田五十鈴で映画化され。その主題歌「湯島の白梅」の
2番の歌詞「青いガス燈 境内を出れば本郷 切通し」と歌われている。
ガス燈は昭和40年頃にすべて撤去されたが、昭和56年に1基のみ復活された。

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新派創立九〇周年を記念した「新派碑 川口松太郎氏揮毫。

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いろいろな人達と訪れた懐かしい老舗「江知勝」

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江知勝玄関アプローチ 牛鍋を囲み歓談した知人や友の顔が浮かんでくる。

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旧司法研修所。現在は合同庁舎になっているんだ。

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石川啄木歌碑 本郷三丁目交差点の床屋に間借りしており朝日新聞勤務時にこの坂を通っていた。
 

 二晩おきに 夜の一時頃に切通の坂を上りしも 勤めなればかな

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切通坂解説板

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湯島商店街による「梅まつり」幟
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美術商「羽黒洞」のギャラリー「天神下はぐろ洞」。何ともあやしげな魅力を放っている。

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一眼レフはバッテリー切れの為本日はコンデジのみで撮影している。

2014年2月12日 (水)

川崎大師金剛山金乗院平間寺 2014年如月

川崎大師 金剛山金乗院平間寺(こんごうざん きんじょういん へいけんじ)

真言宗智山派大本山。川崎にあり「川崎大師」で有名
正式名は山号金剛山院号金乗院平間(へいけん)寺。尊賢を開山、平間兼乗
開基とする。寺院の名前は音読みなのでこの平間(ひらま)が寺院名の由来なのだろう。
南武線に「平間(ひらま)駅」があるが平間兼乗との関連も推察される。

文化十年(1813)に徳川幕府第11代将軍家斉が厄除に訪れた事から「厄除け大師
として広まり、初詣参拝客の賑わいはメディアに取り上げられている。近年では
300万人近い参拝者を数えており、全国でもトップ3に名を連ねる常連である。

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妻と初詣に川崎大師を初めて訪れたのは10年以上前だろうか、今回はひとりで
南武線川崎駅から京急川崎駅まで歩き京急大師線に乗り川崎大師駅から歩く。
駅前に表参道の「厄除門」が出迎えてくれる。
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向かって右側西に「ごりやく通り」の門もある。
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表参道には名物くず餅やせんべいなどの土産店や飲食店などある。下写真の門を右へ入る。

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仲見世門

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仲見世ではトントンと飴切りの音が景気良く聞こえてくる。飴屋のほかだるま屋さんも目立つ。

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仲見世まで入ると正面に大山門が見えてくる。
昭和52年(1977)11月落慶。開創850年記念事業。京都東寺の四天王像を模刻安置。
上層部分は経庫になっており、同寺で行われる「写経会」で写経された経文や、
奉納された写経が収められている。四天王像も撮影したかったが改修工事中で断念。

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大提灯

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扁額は山号の「金剛山」

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川崎大師平間寺は崇徳天皇の御代、平間兼乗(ひらまかねのり)という武士が
諸国を流浪して、 この川崎の地に住みつき、漁猟で生計を立てていた。
42歳の厄年に夢で告げられた弘法大師が自らを彫り刻んだという木像を引き揚げ、
供養しておったそうな。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗の
もとに立ち寄り、お像と、霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、
大治3年(1128)一寺を建立し兼乗の姓平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、
御本尊を厄除弘法大師と称した。これが、大本山川崎大師平間寺の縁起。

前回は初詣で訪れていて大混雑だったため大本堂でお参り後はそのまま境内を出て
門前でくず餅を子どもたちへのお土産として購入し、表参道の蕎麦屋で食事して帰路へ
ついたものだが、今回は時間があるので当寺院のサイトから印刷したマップを用意して
全部を巡ることとする。

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大本堂
昭和39年(1964)5月落慶。本尊厄除弘法大師を祭る。
稚児大師、救世観音像、不動明王、愛染明王、金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅を奉安。
毎日、晨朝護摩供から始まり日中も護摩が行われ諸願成就が祈願される。
勅願寺として大本堂大棟には菊花の紋章が許されている。

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大本堂扁額「厄除 遍照殿

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本堂にて般若心経を黙読経すべくお経を持参していたが、昇殿に並んでおり
大きな賽銭箱の左隅で暫し読経祈願した。その後本殿左手の御札場にて御朱印を
お願い出来ると思い尋ねたら、本殿右側にて受付ているとのことで元に戻りお願いした。
御朱印にこれほど並んだのは初めてだ。当寺院では本堂のほかに不動堂と薬師殿で
それぞれの御朱印を頂ける。

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御札場にて求めた十二神将御守護 欲しかった沈香は薬師殿にて販売とのこと。

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十二神将
薬師如来および薬師経を信仰する者を守護するとされる十二体の武神である。
昨秋寛永寺参詣東京藝術大学美術館にて開催された仏頭展にて興福寺の

十二神将立像間近で鑑賞している。

 宮毘羅大将 くびら 弥勒菩薩         亥神(子神)
 伐折羅大将 ばさら  勢至菩薩       戌神(丑神)
 迷企羅大将  めきら  阿弥陀如来  酉神(寅神)
 安底羅大将  あんちら 観音菩薩   申神(卯神)
 頞儞羅大将  あにら  如意輪観音  未神(辰神)
 珊底羅大将  さんちら 虚空蔵菩薩  午神(巳神)
 因達羅大将 いんだら 地蔵菩薩      巳神(午神)
 波夷羅大将  はいら     文殊菩薩   辰神(未神)
 摩虎羅大将 まこら     大威徳明王  卯神(申神)
 真達羅大将 しんだら 普賢菩薩     寅神(酉神)
 招杜羅大将  しょうとら  大日如来  丑神(戌神)
 毘羯羅大将  びから  釈迦如来      子神(亥神)


名前、持ち物、姿、十二支の割り当てなどは諸説あるそうだ。
上記は興福寺で、川崎大師は()でまるで逆になっている。

福徳稲荷堂
大本堂の左に「中書院」と「不動堂」に挟まれている。
境内諸堂で唯一、太平洋戦争を潜り抜け残った堂宇。
中書院は昭和41年(1966)5月落慶。南側「光聚庵」と北側「心月庵」「静嘉軒」
からなる。正月期間中などは、信徒接待にも使用とのこと。

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不動堂
明治23年(1890)創建。現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたもの。
本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請。関東三十六不動霊場第7番
武相不動霊場第1番札所

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清浄光院 檀徒菩提所。一般の信徒は立ち入りができない箇所となっていて遠くから撮影した。

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西解脱門 右に見えるのは信徒会館

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大本坊
主に職員や僧侶が所属する寺務所が存在する。廊下の途中には稚児大師
祀られており、一般信徒でも観ることができる。また、若い僧侶のための
柏寮という寮も存在する。

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信徒会館
一階ロビーは涅槃図、成道図などのステンドグラスと噴水が設置されている。
通称「ステンドホール」と呼ばれる。 地下「大講堂」。300名収容のホール。
大日如来像を奉安。  二階、三階は主に信徒接待等に利用される。
3階には「吉祥殿」という結婚式場がある。

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本日は一階ステンドホールにて御開帳写真展開催中。平成26年5月1日から5月31日までの
一大イベント大開帳奉修を記念して、「写真で見る平間寺大開帳の歴史」と題して、
写真展を開催中。江戸時代から平成まで、大開帳の歴史を美麗な写真で紹介されている。

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古賀政男像  なぜこの国民栄誉賞受賞者の像があるのだろう?
説明板によると熱心な信者で「川崎大師賛歌」を作曲したことで信徒会館前に先生像建立とのこと

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至真門 この門を潜り左に信徒会館で正面に見えているのは薬師殿

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薬師殿 (旧自動車交通安全祈祷殿)
昭和38年(1963)12月創建。昭和45年(1970)11月、現在のインド風の堂宇になる。
祈祷殿の中央大塔には法輪が掲げられている。弘法大師、不動明王、
般若守護十六善神が奉安されていた。

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お札場にて購入した十二神将御守護の大きい方に氏名日付と願い事を記入して
こちらに納め参拝し、その後御朱印も頂いた。沈香も此方で購入予定であったが
不動門の左にある信徒休憩所あたりまで来た所で思い出し、信徒会館にもあるとの
ことで信徒会館までもどることにした。下のは持ち帰り用で一年間自宅で保管。

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薬師殿の御朱印

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中興塔八角五重塔
昭和59年(1984)、弘法大師1150年御遠忌・大開帳記念として落慶。
八角形が特徴の堂宇。毎月第一日曜日と21日の縁日に限り内部が拝観できる。
二層に恵果和上像弘法大師像興教大師像両界曼荼羅を安置。
初層に真言八祖の図像金剛界五智如来像、地下の大師地区慰霊堂には
釈迦如来が奉安されている。
昨年秋のひとり旅で訪れた信州の鎌倉~塩田平の国宝安楽寺八角三重塔
思い出した。

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鐘楼堂
大晦日の除夜法楽のほか、6月10日の時の記念日、8月6日の広島原爆忌、
8月9日の長崎原爆忌、8月15日の終戦の日に梵鐘が打たれる。

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遍路大師像
弘法大師の立像。菅笠・錫杖という遊行・遍路姿をとる像の周囲に新四国八十八ヶ所
札所の石柱が立ち、貫首が四国遍路をした際の砂が埋設されている。

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「祈りと平和」の像
像全体は金色。中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフとした女神、
周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女。中央の女神が「祈り」、周囲の天女が「平和」を
表している。文化勲章受章者の円鍔勝三の作品。

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不動門
戦後、第43世隆超和上により福島県の有縁の地より山門として移設された。
現在の大山門建立に伴い不動門として移設。

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大本坊と信徒休憩所の間にある「つるの池」は現在改修中で鉄板で囲われていて見ることができなかった。土産にくず餅でもと思ったが夫婦ふたりで食べきれないのでやめにした。のど飴でも
買えばよかったかな。唯一のみやげになったお香「沈香」は写経時用に求めたもの。

古戦場見学(1/15 2/5)と川崎大師(2/10)が共にお天気等の為に延期していたもの
である。本日も老妻はこんな寒い日に出かけなくてもと言われたが2月の天気と
しては最高の日和であった。2度延期の小手指原古戦場は今月最終週に予定

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