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2014年3月 4日 (火)

鎌倉五山第一位巨福山建長寺2014年弥生~龍王殿で座禅体験も

大本山 巨福山建長興国禅寺 

昨年秋の鎌倉史跡めぐりでお隣円覚寺から明月院のあと鎌倉アルプス天園ハイキングコースへ
進み瑞泉寺へ出たため予定していた建長寺をスキップしていた。
      ⇒ 史跡めぐり~秋の鎌倉 その1  史跡めぐり~秋の鎌倉 その3  

三ヶ月毎に訪れている鎌倉であるが、昨年参拝できなかった鎌倉五山の第一位の建長寺を
今回はゆっくりと参拝したいと出かけた。北鎌倉駅からスタートだが駅前は老若男女が大勢
仲間の待ち合わせや見学スケジュールの確認なども行い混雑している。円覚寺、明月院
左に見ながら約15分歩くと目前に建長寺が見えてくる。

鎌倉五山
五山制度は印度の五精舎にならい、中国南宗末期に禅宗の保護と統制のため
格式高い五つの寺を定めたことに由来する。鎌倉五山とは、鎌倉時代に中国の
五山制度にならって鎌倉の禅寺に設けられた五大官寺のこと。
   第1位 建長寺
   第2位 円覚寺
   第3位 壽福寺
   第4位 浄智寺
   第5位 浄妙寺 

京五山は別格として南禅寺がおかれ、天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺の順。

天下門(西外門)
東西に外門があったそうだが、現在はこの西外門だけになったそうだ。中に入ると駐車場に
なっている。既に観光バスが中学生らしき生徒を吐き出している。修学旅行らしい。

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天下門の扁額「天下禅林
人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意味で建長寺を象徴する語
東外門は駐車場造成時に撤去されたらしい。この東外門に掲げられていた扁額は
現在、法堂(はっとう)に掲げられている。

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天下門再建の碑
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総門
天明3年(1783)の建立。1943年に京都の皇室ゆかりの般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)から
移築されたもの。
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総門に掲げられている扁額「巨福山」 「巨」に点が打たれていて面白い。
建長寺10世住持で書の名手である渡来僧・一山一寧の揮毫と伝えられている。
この点があることによって字に安定感が出ているとされるが修学旅行の中学生達よ
試験では点を付けると点は貰えないよ。
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臨済宗建長寺派の大本山巨福山建長興国禅寺。鎌倉時代の建長5年(1253)の創建
上野寛永寺と同じ創建年代からの命名。ご本尊は地蔵菩薩、開基は鎌倉幕府第5代執権
北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で第二世は南宋の兀庵普寧(ごったんふねい)で
ある。兀庵は「ごたごた」の語源と言われている。

建長寺のある谷は地獄谷と呼ばれ、処刑場であって伽羅陀山心平寺という寺があり、
当時は地蔵堂が残っていたという

当時、承久の乱(1221年)を経て北条氏の権力基盤が安定し、朝廷の支配力は相対的に弱まり、
鎌倉が事実上、日本の首府で、北条時頼は熱心な仏教信者であり禅宗に深く帰依していた

総門・三門・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ伽藍配置は、創建当時の面影を残すものとされる。
なお、地形の関係で総門 - 三門間の参道は斜めになっている。

総門を潜ると右に拝観受付があり拝観料(\300)を納め、反対側で御朱印受付の案内が
あったのでお参り後頂けるようお願いした。

斜めの参道 両側は桜が植栽されている。
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三門(山門)
安永4年(1775)の建立で、2005年に重要文化財に指定されている。
銅板葺きの二重門(2階建て)で、関東大震災で倒壊し、再建される。

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初層には仁王像などを置かず、門扉も壁もない吹き放しとしている。
上層には宝冠釈迦如来像や銅造の五百羅漢像などを安置している。
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三門扁額「建長興国禅寺」
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三門解説板
三解脱門の略、空・無相・無作を表し、この門をくぐることによってあらゆる執着から解き
放たれることを意味します。」とある。
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いろいろな角度から観れば観るほどその魅力に惹かれていく。
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国宝梵鐘
北条時頼の発願により広く施主を募り、開山大覚禅師(蘭渓道隆)の銘文、関東鋳物師の筆頭である
物部重光によって建長七年(1255)に鋳造されたもので、銘文に「建長禅寺」とある。重さ2.7トン。
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鐘楼 茅葺
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この左奥に雲水の修行道場があるが非公開となっている。

柏槇(ビャクシン)
創建された建長五年(1253)開山禅師お手植えで、今年(2014)で樹齢761年以上といえる。
近年腐朽菌により劣化が認められており、劣化対策事業が実施されている。
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老樹の樹の幹を飽かず眺めていることができる。
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仏殿 北条時頼と開山大覚禅師の衆生済度の願いが込められている堂宇。

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重要文化財。 寄棟造で単層裳階が付く。
芝増上寺にあった、徳川秀忠夫人崇源院の霊屋を建て替えに際し、
譲渡されたもので、正保4年(1647)に建長寺に移築されている。

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香炉

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もともと霊廟建築として造られたものであるので、屋根や天井などの形式が
一般的な禅宗の仏殿とは異なっている。すなわち、屋根は入母屋造でなく
寄棟造である。また、天井は禅宗仏殿では平板な「鏡天井」とし、龍などの
絵を描くことが多いが、この仏殿の天井は和様の格天井(ごうてんじょう)である。

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堂内には本尊の地蔵菩薩坐像(室町時代の作、像高2.4メートル)を安置。
もとこの地にあった心平寺の旧本尊地蔵菩薩坐像、千体地蔵菩薩立像、千手観音坐像、
伽藍神像などを安置する。ここで暫く「般若心経」を黙読経させていただいた。

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彫刻 地蔵尊の両側 
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鳳凰と思ったら天女だった。
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仏堂扁額  (調査中)

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仏堂を出て堂宇の周りを回っていたら、仏堂右側に梵鐘を見つけた。意外な場所に驚かされた。

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法堂(はっとう)
重要文化財で、禅宗以外の寺院の「講堂」に相当する建物。
方三間、裳階付、銅板葺き。文化11年(1814)の建立である。

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法堂扁額「海東法窟
元々東外門に掲げられていた扁額。駐車場造成で東外門が撤去されその扁額を
法堂に移設したとのことだ。『崇禎元年十一月 竹西書』とあり、
天下門(西外門)の『天下禅林』の額と同時期同一人物による扁額。
さて「海東法窟」扁額のあった東外門は「海東門」と言われていたのだろうか?。

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華厳小宝塔 華厳とは宇宙全体を包括するという毘盧遮那仏のもとで、自然界に大小様々な花が
咲くように、我々一人ひとりも互いに輝く華となりこの世を一瞬一瞬を生き生きと美しく飾る世界。
建長寺では創建当初から大華厳塔があったもので、平成21年に「華厳小宝塔」が完成したとある。

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内部には千手観音坐像を安置する。鎌倉最大級の木造建築で2005年に重要文化財に
指定された。天井画は小泉淳作筆の雲龍図。国内では珍しい「五爪の龍」を採用。中国では
五爪は天子を象徴とされ、属国であった朝鮮半島の代々王朝は「四爪の龍」しか用いることが
許されず、日本はさらに一本少ない「三爪の龍」が伝えられていた。

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2005年愛知万博に陳列されたラホール中央博物館所蔵の釈迦苦行像のレプリカが
万博終了後パキスタンより寄贈され安置された。

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唐門
重要文化財で方丈入口の門。仏殿と同じく、芝の徳川秀忠夫人崇源院霊屋から移築したもの。

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関東大震災以来の大修理が2011年5月に終了し、移築当時の姿が再現された。下は方丈から撮影。

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庫裏

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入口

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方丈庭園見学の入口

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方丈 本来は住持の居住場所。
竜王殿」とも称する。総門と同じく、京都の般舟三昧院から移築したもの。現在は法要・座禅、
研修の場所として使用されている。

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写経場 膝が痛く正座できない方は右の椅子席もある。

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方丈内 暫し座禅の真似事をしてみた。瞑想し般若心経黙読経を試みた。

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方丈に掲げられている扁額「龍王殿

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庭園  国史跡
蘸碧池(さんぺきいけ)を中心とする庭園。開山大覚禅師の作庭。
池の周りに当初得月楼・大客殿・方丈があり、檀那や貴賓の応接に用いられた。

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蘸碧池とは緑の木々の色が青い水にひたって輝いていることを表す。
得月楼は創建750年を記念して平成14年に建設された。

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西来庵など塔頭
開山蘭渓道隆の墓塔を守る塔頭寺院である。三門の右手にある嵩山門(すうざんもん)が
入口だが、そこから先は修行道場のため、一般の立ち入りは禁止されている。
西来庵の他に、天源院、正統院、龍峰院、回春院、禅居院、妙高院、同契院、宝珠院、華蔵院がある。

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天源院への参道か

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奥院勝上嶽地蔵尊道 道標文政十一年

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河村瑞賢墓所への登り口案内石碑
茶店「招寿軒」を左に折れると河村瑞賢墓がある。
瑞賢は、江戸時代の豪商で土木・建築も手掛けた人物。 海運の発展に貢献し、
「西廻り航路」や「東廻り航路」を開いた人物としても知られている。
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半僧坊権現石碑
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達磨禅師坐像

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半僧坊への参道

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途中白梅が綺麗に咲いている。

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参道右に新しい石碑二基が目立つ

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半僧坊へは急峻な階段が続く。トレッキングシューズを履いてきて良かった。

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半僧坊へ上る石段の途中には天狗の像がある。

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半僧坊
境内のもっとも奥で山の中腹に建っている。建長寺の鎮守である。
半僧坊権現は1890年に静岡県引佐郡奥山の方広寺から勧請した神で、火除けや招福に
利益があるという。半僧坊権現とは、後醍醐天皇皇子の無文元選禅師(方広寺開山)の元に
忽然と現われて弟子入りした神通力を持つ白髪の老人で、無文禅師が死去と共に姿を消したという。

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半僧坊からの建長寺境内
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西側には富士山も望めた。頑張って登った者へのご褒美だ。
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半僧坊の右から更に登ると天園ハイキングコースの勝上嶽展望台から奥院勝上嶽地蔵尊へ行ける。
三門前の桜の蕾を改めて撮影。

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寒さ対策を講じていたが、半僧坊の階段上りはかなりの発汗で、コートの釦、ジッパーを全開して
下りることにした。総門左手社務所で御朱印を受け取り帰路へ。
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御朱印帳に挟まれていた「建長寺御本尊身代わり地蔵尊縁起和讃」が興味深い。

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駅への途中目にした「ミツマタ」

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けんちん汁は(諸説ありが)建長寺の修行僧が作っていたため、
「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれている。

ごたごた」は「秩序やまとまりのないさま。 もめごと。いざこざ」を表すが、
これは建長寺2世兀庵普寧(ごったん ふねい)に由来と言われている。普寧は
地蔵菩薩は自分より下位であるとして礼拝しなかったという。

当初明日の予定であったが、雨天予報とのことで急遽本日実施したもので正解であった。

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