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2014年3月26日 (水)

都区内最高峰愛宕山散策~萬年山青松寺・愛宕神社

曹洞宗江戸三箇寺 萬年山青松寺

日比谷線神谷町駅からスタート。地上に上がった場所に掲示された地図はストレンジャーには有難い。それでもイメージしていたランドマークが見えてこないと不安になる。

やっと確信が持てる青松寺の山門らしいものが見えてきた。
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青松寺は江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つであったことは昨年訪れた泉岳寺の時に知ったことで、その後芝増上寺参拝後にでも余裕があれば立寄りたかった寺院である。
  ⇒サイト内リンク泉岳寺、   ⇒サイト内リンク増上寺 

  曹洞宗江戸三箇寺とは青松寺、泉岳寺と板橋小豆沢の総泉寺

山門
青松寺の周辺一帯が再開発されて都心に存在する近代的な寺院として輝いているが、山門も端正ながら威厳も備えていて美しい。

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青松寺は太田道灌雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476)に創建。当初は武蔵国貝塚にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。長州藩、土佐藩、津和野藩などが江戸で藩主の菩提寺として利用した。

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山門には四天王像が睨みを利かせている。仏教世界観の中の須弥山の頂上に住まう帝釈天に仕え、仏法を守護することを念願としている。足元には、邪鬼を踏みつけている。

持国天
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多聞天
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増長天
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広目天
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山門を潜ると都心とは思えない静寂に身が引き締まる。

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観音像 山門右
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せんと君をデザインした彫刻家であるという籔内佐斗司氏の作品があるお寺である山門のの四天王様のほか本堂の五百羅漢様も。下写真は山門をくぐり左側にある「誕生童子と花祭り童子」

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中雀門と奥に本堂

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中雀門扁額

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本堂

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ご本尊様は釈迦牟尼如来、脇侍に文殊、普賢の両菩薩。中にも入れてもらい暫し黙読経した。

本堂扁額

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坐禅堂(聖僧堂)
本堂に向かって左手側の建物。修行僧は勿論一般の学びの場「獅子吼林サンガ」。その玄関頭上のガラスレリーフに「獅子窟」 は、江戸時代に青松寺内に栄え、幾多の人材を世に輩出し、駒澤大学の前身ともなったた学林の名に因む。獅子吼林サンガの中心が僧堂。泉岳寺本堂扁額は「獅子吼」であった。 ⇒サイト内リンク「泉岳寺」

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獅子窟学寮内に曹洞宗大学林専門本校を開校し、翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した。

   青松寺獅子窟、泉岳寺学寮、吉祥寺学寮「旃檀林」を江戸三学寮と呼ばれていた。

仏教ルネッサンス塾やボーズ・ビー・アンビシャス!!など開講。老犬介護がなければ受講したいのだが。

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本堂に向い右側の堂宇は礼拝堂で、観音様の優しいまなざしに包まれて、穏やかなときをすごすことのできる空間と説明されている。御朱印は受け付けていない

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本堂裏庭園

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観音堂の横中庭。竹が綺麗。
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鐘楼堂

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法輪観音像
坐禅堂の西側におわす観音菩薩様。法輪とは、「仏の教え」のことで「法輪」のお名には、世の中に仏教の教えが広く説かれるように、人々の心に届くようにとの願いが込められている。

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法輪観音像の裏竹藪の中になんと石像が鎮座している。 鑓持勘助の墓とのことである。美作津山藩主松平越後守宣富の足軽で、当時越後守の槍はとても長くて重く、倒せば打ち首になるという大変な代物。これを持つ苦労を後に残すまい と、義きょう心の強い勘助は槍の柄の下方を切り、自ら切腹して果てた。元禄14年9月のことであったという。松平家では再び切られるのを恐れて、槍の柄に 鉄の筋金を入れたという。勘助の墓は奴地蔵とも呼ばれ、下の病によく効くと願をかける人が増え、全治した人は竹筒にお酒を入れてお礼をしたという。

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法輪観音像の入口にある消災地蔵尊

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庭園
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都心では稀な貴重な水のせせらぎ 近隣のビジネスマンの癒しの場となっていることだろう。
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サンシュユ(山茱萸)の花

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トサミズキも綺麗だ

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庭園の石造たちも心和ませてくれる。
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下向きに可憐に咲いている桜の種類か?

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港区や森ビルによる愛宕地区再開発事業の一環として、2002年11月復興した。両脇には森ビルのツインタワーがそびえたつ中、僧堂を擁した都内屈指の近代的なお寺である。森ビル設計部の清水昭夫は、「約18年前、周辺の借地人による個々の建て替えが成される事で、由緒ある寺院のたたずまいが隠れてしまうことを危惧した青松寺から森ビルが相談を受けたことが一体開発のきっかけである」(「新しい都市景観の創造―歴史と融合した愛宕グリーンヒルズ」と述べている。「結果的には約70軒以上の権利者の敷地を統合し、青松寺傳叟院清岸院、日本放送協会(NHK)、光文社他3名と森ビルとの共同事業として進める事になった」としている。

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愛宕山へ向かう途中緑青の屋根が美しいお寺があり思わずシャッターを押した。曹洞宗愛宕山傳叟院(でんそういん)。青松寺の子院で1646年に開山とのことだ。大本山總持寺出張所を兼ねているそうだ。奥は三階建の立派なの堂宇である。

  サイト内リンク⇒横浜鶴見 曹洞宗大本山諸嶽山總持寺

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愛宕トンネル

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愛宕神社への入口
愛宕山は訪れたいと思いつつ実現していなかった場所である。現役時に松岡美術館まで来ていてその帰りに寄る予定が野暮用出現で叶わなかった記憶がある。東京都港区愛宕にある丘陵で標高は25.7mあり、天然の山で東京23区内最高峰なのだ。

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江戸の町並みや安房上総など房総半島までの眺望の素晴らしさは十分に想像できる。
鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」と歌われている。

  ♪~汽笛一声新橋を はや我汽車は離れたり
     ♪~愛宕の山に入り残る 月を旅路の友として

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急な石段である「男坂」は傾斜40度・段数86段
江戸時代の寛永11年1月28日、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅を見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣曲垣平九郎が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせたことから「出世の石段」と呼ばれるようになった。

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江戸以降にも男坂を馬で登り降りすることにトライをして、   明治15年・石川清馬(宮城県出身)大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道とした、 昭和57年・渡辺隆馬(スタントマン)「史実に挑戦」というテレビの特番にて挑戦したそうだ。
下写真は階段左の狛犬

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途中まで上り下や周りを見ると怖くなるのでひたすら目の前の一段だけを見て休み無しで上り切った。上から見ても怖くなる。二度目は別ルートで上るだろう。

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出世階段を登り切った右手には、三等三角点がある。新宿区にある箱根山は44.6メートルあるが、こちらは人造のため、天然の山としては愛宕山が東京都23区内で一番の高い山となる。

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愛宕神社
山手線内では珍しい自然に形成された山である愛宕山(標高25.7m)山頂にある。京都の愛宕神社が総本社である。防火・防災に霊験のある神社として知られる。主祭神:火産霊命(ほむすびのみこと)    配祀:罔象女命(みずはのめのみこと)・大山祇命(おおやまづみのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)

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1603年(慶長8年)、徳川家康の命により創建。また、徳川家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請し、愛宕神社を創建。同神社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことにはじまる。明治の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移されたが関東大震災で焼失。1934年の弘法大師1100年御遠忌記念として銅製で復元され、現在は、1997年に建設された真福寺・愛宕東洋ビル一階外側に祀られている。

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水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所であった。

大政奉還後の江戸開城の際には勝海舟西郷隆盛との会談場所になった場所でもある。勝海舟にここへ呼び出された西郷隆盛は、眼下に広がる江戸の町の見事な眺めに、江戸城の無血明け渡しを決意したとも伝えられ数多くの歴史の舞台となった場所でもある。

御朱印は本殿右手の社務所にて受け付けてくれる。

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屋根を葺替えたばかりのようだ。どのくらいで先に見た總持寺出張所のような緑青の屋根になるのだろうか。

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将軍梅 平九郎手折の梅樹とある。相当傷んでいる。樹木医の派遣が必要かも。

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触れると福が身につくといわれる「招き石」 どんな福が身についただろうか楽しみだ。

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小判水(児盤水)の滝という霊験あらたかな湧水の名残を今に伝える「愛宕の池」

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境内に艶やかに咲く大輪の椿

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NHKの前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年7月の本放送から1938年のNHK東京放送会館への移行まで、この愛宕山から発信された。

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NHK放送博物館
NHK発祥の地である愛宕山に世界初の放送専門博物館として昭和31年に開館。開館当時は東京放送局の局舎を使用していた。現在の塔屋付4階建てビルは昭和43年に新築されたもので、当時使われていた建物は現存しない。

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