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2014年4月27日 (日)

"軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その1観音寺(志方城跡)

光姫生誕の地 櫛橋家の居城 志方城跡を守る 宝積山観音寺

岳父十七回忌法要参列の為神戸へ帰省したので、帰京前に是非訪ねたいと計画したもの。
西の法隆寺とも呼ばれる「鶴林寺」、加古川評定の加古川城址「称名寺」とここ「観音寺」
の三箇所である。可能なら姫路まで足を伸ばし「書寫山圓教寺」を希望していたが今回は断念した。

志方城(しかたじょう)は播磨国印南郡(兵庫県加古川市)にあった平城である。
現在、本丸跡は宝積山観音寺の境内、二の丸跡は加古川市立志方小学校になっている。
事前に調べた所JR加古川駅又は宝殿駅から神姫バス西牧行きで「志方西口」下車徒歩五分。

しかし時刻表によると便数が極端に少なく、バスで行っても見学後帰りの便までの待ち時間が
長くなりそうで、徒歩にて宝殿か加古川駅まで戻ることも考えた。見兼ねた義兄が宝殿駅まで
送るよといいつつ、結局志方城跡見学も付き合い次の加古川城跡称名寺まで送ってくれた。

狭い道が続き不安になってきた所で「てるひめちゃん」幟旗が見えて目的地が近いことを知る。

駐車場は他にあるか確認できていないが三台くらいしか駐車できそうにない。


事前案内で見ていた山門や階段が見えない。境内の堂宇も工事中。駐車場左からの入口は
門を新たに建造中らしい。

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真新しい石門山号が刻まれている。奥が墓地をはさみ志方小学校の校舎が見える。

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本堂大悲殿改修工事中で古い屋根瓦が鐘楼の横に展示されていた。

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鐘楼

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梵鐘

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観音寺は曹洞宗の寺院で、本尊は観世音菩薩、寺院一帯は志方城跡。
志方城は市易城とも呼ばれていた。内堀で本丸を囲み、さらに二の丸、西の丸が囲んでいた。
城郭の遺構は下写真にあるように観音寺山門脇の高い石垣に僅かに残っている内堀跡を
残すのみとのことである。

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事前の案内で見ていた山門

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光姫は志方城主櫛橋伊定の娘で、黒田官兵衛の主君小寺政職の姪にあたる縁者。
名前は「光(みつ)」だが雅号である「幸圓(こうえん)」でも知られている。
観音寺周辺の幟旗にも「櫛橋幸圓」の文字がある。

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官兵衛の才能を見込んだ小寺政職が官兵衛の父職隆(もとたか)に養女を嫁がせ、息子
官兵衛に姪を嫁がせている。一説では櫛橋伊定が画策していて婚姻の一年前から
官兵衛に接近して武具などを寄贈している。官兵衛愛用の兜「如水の赤合子」も
櫛橋伊定がこの時期に贈ったものとして知られている。

主君や親などによる政略結婚の官兵衛と光姫ではあったが、ふたりの相性は良く周囲が
羨む程の夫婦仲だった。子が長政と熊之助二人だけを心配した周囲が官兵衛に再三に
わたり側室を持つよう勧めるも、官兵衛は生涯にわたり光だけを愛し続け妻とした。

屋根瓦

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明応元年(1492)、櫛橋則伊によりに築城された。その後四代に渡り存続していたが、
志方城は天正六年(1578)織田勢に攻められた。四代城主の政伊の時、羽柴軍の
北畠信雄が、7500余騎をもって志方城に迫り、城兵はわずかに1,000余でしかも
櫛橋側の兵は半数以上赤痢に倒れているという状態であったとか。天正7年城主
櫛橋伊定は降伏した。司馬遼太郎「播磨灘物語」では官兵衛は秀吉を通じ命乞いを
したとある。そのお蔭か城主らは助命されている。
親兄弟さえも敵味方となり争った戦国の世でも妻の実家とは重いものなのだろう。

「黒田家譜」によると光は容姿が美しく教養も高く、家臣たちからも信頼されており
才色兼備とも才徳兼備ともいわれている。官兵衛と光には共通の和歌という趣味が
あり夫婦仲を良くするものとなっていて、関ヶ原合戦の後に福岡城三の丸に
質素な隠居所を建て夫婦水入らずで趣味の和歌を楽しみ暮らしたとのこと。

志方城落城の後、1587年(天正15年)、宝岩宗珍和尚が城主の墓碑を守るために
城の本丸跡に観音寺を建立し現在に至る。

大河ドラマ放映の影響は大きいらしく、こんなに交通事情の悪い中少人数ながらも
複数の団体が訪れていた。「かんべえくん」と「てるひめちゃん」が並んだ幟旗や
案内板も沢山見掛けた。

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山門を上がった本堂と思しき部分は工事中で、社務所のインターフォンを押して
住職の奥様に御朱印をお願いした。待ってる間にスタンプも。

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事前準備印刷物に押したスタンプ

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駐車場から上がった広場の左にトイレがありその奥にも古い門がある。

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光姫の墓 奥の建物は志方小学校

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墓地から見た観音寺全景

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法事のお供えされていて頂いた菓子にも「光姫」で大変な経済効果であろう。

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帰りは何と読むかと思っていた投松(ねじまつ)交差点を南下し加古川本町の加古川城址「称名寺」へ

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