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2014年4月27日 (日)

"軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その2称名寺(加古川城跡)

"加古川評定"の加古川城跡真言宗山頂山称名寺
兵庫県加古川市加古川町本町313 JR神戸線「加古川駅」徒歩15分
本尊は阿弥陀如来です。寺の付近一帯が加古川城跡。

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加古川城
平城で寿永3年(1184)に糟谷有数が築城した。現在城遺構はほとんど消滅してない。
加古川城の歴史は古く「寛政重修諸家譜」によると、 糟屋氏を藤原北家良方流と
している。相模国糟屋荘に生まれ糟屋氏を名乗る様になったもので、播磨での糟屋氏は
「加須屋」とも書かれる。平安時代末糟屋有季が寿永3年(1184)平氏追討の宇治川の
戦いに戦功をおさめ、 源頼朝より加古川町付近を与えられ糟屋有数の代に加古川城を
築き初代城主となった。

加古川評定
天正5年(1577)に開かれた中国の毛利氏討伐のために秀吉がこの城に播磨の城主たちを
集めて開いた軍議
のことで、戦国時代の播磨の運命を決めるものとなった。
播磨では三木の別所氏、御着の小寺氏、龍野の赤松氏の三大勢力が小競り合いを続けて
いた。官兵衛が働きかけ、一旦は織田側につくことになっていたが、この加古川評定の
際、秀吉の家柄を軽んじた別所山城守賀相が秀吉の不興を買ったために軍議が決裂した。
三木城主別所氏は毛利側に付くことになる。当時、播磨で最大勢力であった別所氏が
毛利側に付き、更に多くの城主たちも毛利側に傾くことになった。

織田信長は毛利に翻った播磨の諸城主を容赦せず、猛攻撃を仕掛ける三木合戦となる。
当時多く(鶴林寺住職の話によると約50名)の僧兵を抱えていた鶴林寺(かくりんじ)は、
官兵衛の説得を受け入れ秀吉軍についたため、戦火を逃れた
と言われている。

天正5年秀吉が糟屋の館へ立ち寄った折、当時の城主加須屋助右衛門は秀吉について
小姓頭となり、賎ヶ岳七本槍(しちほんやり)で武名をあげている。

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総門か立派な石の門 近年建立したものらしい。

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大公孫樹が既に見える。樹齢300年になる大イチョウが3本あり幹は大人4人から
5人で手がまわる太さ。昔はこの地域のランドマークだったとか。

まっすぐ伸びた参道 生け垣の外は両側とも墓地となっている。

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山門の前に石橋があり下は堀跡に見えなくもないが不明で屋根瓦が展示されている

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理観大徳遺跡 佛頂山 稱名寺の石塔 山門手前
台座に家型石棺の蓋が使用されている。 長さ131cm・幅73cm・厚さ27cm

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山門は両側に築地塀のついた四脚門 右は庫裏

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山門を入るといちょうの大木があり、今は刈り込まれていますが、
このいちょうの木は昔から加古川の町の目印となっていたそうだ。

左に武士の忠義を今に伝える「七騎顕彰碑
この碑は、撰文も書も頼山陽の筆になるもので、文政3年に建立。
これは南北朝時代、出雲守塩冶高貞が加古川で追手に襲われた際、主君を守ろうとして
奮死した従臣七名を供養するため建てられたもの。後に塩冶高貞は、人形浄瑠璃等の
代表的な演目「仮名手本忠臣蔵」に登場する塩冶判官のモデルとして取り上げられ、
忠義話として紹介された。

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称名寺は聖徳太子により開山されたと伝えられる。開山当初は西光寺と号した。
鎌倉時代、雁南庄領主であった糟屋有教が、加古川城を築いた時期から糟屋氏の
菩提寺とした。延文3年(1358)に大洪水により七堂伽藍がすべて流失し、貞治2年(1363)
有教の曾孫である保連が再建した。その後高野山遍照院の寛海上人が勝名院に改名した
が、後の時代に称名寺と再度改名された。その後再度火災に遭ったが、元禄4年(1691)
に現在の伽藍が再建された。

不動堂(本尊 不動明王) 

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2階に欄干 屋根には相輪。 堂の左は太子堂で、前に弘法大師像あり。

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2層の屋根は二軒(ふたのき)本繁垂木(ほんしげだるき)の扇垂木(おおぎだるき)
1層は疎垂木(まばらだるき)部は護摩壇になっっていて2層部分は煙出し

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大師堂(本尊 弘法大師)不動堂の左側 

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観音堂(本尊 聖観音菩薩)

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阿弥陀堂(本堂 本尊 阿弥陀如来)

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本堂の右側に毘沙門堂があり、その右側の方丈

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火伏せ八幡 横から見ると拝殿幣殿本殿が一体となった権現造りとわかる。

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火伏八幡の前に石楠花が華やかに咲いていた。

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社務所と思われる所で御朱印をお願いしたが「(書く人が)出掛けて居ないので・・・」と孫を抱えた奥様に断られた。残念でした。

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