« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その2称名寺(加古川城跡) | トップページ | 元准勅祭社東京十社根津神社~2014つつじ祭 »

2014年4月27日 (日)

"軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねて その3鶴林寺

官兵衛が守った「西の法隆寺」天台宗刀田山(とたさん)鶴林寺(かくりんじ)
本尊は薬師如来、聖徳太子開基伝承をもつ寺院である。

妻の実家が檀家のため、結婚後数回訪れている。ひとりでお詣りしてたのは初めてで
宝物館や仁王門階上堂の見学もした為所要時間は三時間も要した。

平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を有し、「西の法隆寺」とも
播磨の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺。刀田の太子さんと親しまれている。

Img_5362
6世紀半頃仏教への迫害から逃れるため播磨に身を隠していた高麗僧恵便法師の教えを
受けるため聖徳太子が来訪し、16歳時秦河勝(はたのかわかつ)に命じ、崇峻天皇2年
(589)に精舎を建立し「刀田山四天王寺聖霊院」が前身とされる。
養老2年(718)に七堂伽藍が建立され、さらに天永3年(1112)に鳥羽天皇によって
勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改名され、勅額を下賜している。

Img_5300
建築の様式は禅宗様(唐様式)と大仏様(天竺様式)に和様式が折衷した折衷様式(新和様式)で、
本堂の内部、柱などに特徴を見ることができます。

現在は堂塔16棟国宝2重要文化財18、県指定文化財10、市指定文化財16、
計46件のほか、寺宝200余点を蔵する充実度、聖徳太子を祀っていることから
「播磨の法隆寺」とも称されている。

推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田
百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったと想像される。
鶴林寺には、現に飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造聖観音像があり、本堂本尊の
薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像である。

現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には聖人化して祀る
「太子信仰」が広がり寺坊だけで30以上寺領2万5千石規模であったとのことだ。

下配布資料

Img192 戦国時代には織田信長羽柴秀吉らから弾圧を受けたが、官兵衛の勧めで寺領を差し出し
危機を乗り越えた。

天台宗では大講堂-非行非坐三昧、法華堂-半行半坐三昧、阿弥陀堂-常行三昧、
楼門-常坐三昧の四種三昧堂を形成するのが基本伽藍である。鶴林寺には全て揃う。

仁王門 県指定文化財
三間一戸楼門で入母屋造、本瓦葺常坐三昧堂である。下層の両脇に阿形と吽形の仁王像

Img_5299
階上には釈迦・摩訶迦葉・阿難、十六羅漢の全19体を祀る。行者はこの階上で90日間
食事とトイレ、軽い眠気さましの歩行以外は坐禅し続ける。

Img_5303

今年初めて公開。4月6日から6月29日の毎週日曜日。拝観料200円で楼上へ。

Img_5354
中の仏像は撮影禁止であったが、材の虫食いが目につき撮影した。阪神淡路地震の
後に、補強工事は施工しているとのことだが、対応策講じなくてよいのか心配してしまう。

Img_5356
本堂 国宝   
仁王門から正面に見える。
室町時代。入母屋造、本瓦葺き。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間。堂内の宮殿
(くうでん、厨子)の棟札(むなふだ)銘から応永4年(1397年)の建築とわかる。
和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作で、桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)を
多用する点が特色である。内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像二天像を安置する。
宮殿と厨子の扉は5つともに閉められていて像を見ることはできなかった。

Img_5310
本堂は明治34年に国宝(国指定文化財)となり、その内陣宮殿(厨子)の棟札に
室町時代の応永4年(1397)に再建されたことが記されている。

本堂右手詰所にて御朱印を受付けてくれる。四種類ほどあるそうで、次回は別のをお願いするとしよう。

Img186

本堂の前左右に菩提樹沙羅の木が植栽されている。鶴林寺の鶴林とは釈迦涅槃の
「沙羅双樹の林」を意味する。寺の御詠歌にも

  

いにしえの 鶴の林に 散る花の  匂いを 寄する 高砂の風

Img_5321    
太子堂 国宝
平安時代。本堂の手前右方に建つ。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と
呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と
対をなしている。本堂と仁王門を結ぶ縦線に対し太子堂と常行堂を結ぶ横線で十字となる。

Img_5314
屋根は宝形造(四角錐形の屋根)、檜皮葺き。桁行、梁間とも3間の主屋の前面に
梁間1間の孫庇(礼堂)を付した形式になり、側面から見ると、主屋と孫庇の境で
軒先の線が折れ曲がる「縋破風」(すがるはふ)の形になる。

宝物館内の模型写真

Img_5342
屋根板の鎌倉時代の墨書から天永3年(1112年)の建築と分かる。
堂内には本尊釈迦三尊像を安置する。

建築とともに、堂内の壁画も平安時代絵画の稀少な遺品として重要である。
東側壁面に描かれた聖徳太子像は、中世から厨子で覆われ、秘仏扱いとされている。
昭和51年(1976)煤に覆われた来迎壁(本尊背後の壁)を赤外線写真撮影したところ
九品来迎図仏涅槃図が描かれているが判り報道された。

宝物館展示されている涅槃図想定復元模写図 (入口売店にて購入)
枕で仰向けのお姿や鳥や小動物が少ないなどの特色がある。

Img188

常行堂 - 平安時代

Img_5320

鐘楼 - 室町時代、応永14年(1407)

Img_5312
行者堂 - 室町時代、応永13年(1406)

Img_5351
鳥居と行者堂の間には聖徳太子会式法要の痕跡がある。

Img_5353  

護摩堂 - 室町時代、永禄6年(1563)

Img_5331

新薬師堂

Img_5346
薬師如来坐像

Img_5347

講堂

Img_5345

三院の内最も大きな西の浄心院さん、中央は宝勝院、東は真光院 

Img_5343

東の真光院では牡丹、君子蘭、沙羅双樹の花を見ることができた。

Img_5327
Img_5328
Img_5329
子安地蔵

Img_5344

経蔵

Img_5359

三重塔 大日如来像が安置されている。

Img_5305    
Img_5307

宝物館
黒田官兵衛が守ってくれた鶴林寺の寺宝の数々を近くで見ることが出来る。
聖観音立像、十一面観音立像、聖徳太子絵伝、釈迦三尊像のほか
太子堂内で赤外線撮影して確認され想定復元された九品来迎図と仏涅槃図なども
興味深く拝見した。更に今回特別展として「黒田官兵衛と鶴林寺」は官兵衛との
関わりが解り興味深いものであった。父親の代から親交があり、官兵衛は九州侵攻時祈願し
勝利し、大名になり、千貫文(約1億円)送っていたという書付もある。

新宝物館は鉄筋コンクリート平屋約442平方メートル。3億6千万円の巨費を掛け2010年8月末に完成した。旧宝物館にはなかった館内の温度と湿度を管理する設備を備えている。

2002年7月、旧宝物館の鉄製の扉がこじ開けられ、掛け軸8幅(約1億7500万円相当)が盗まれている。犯人は逮捕され、7幅は同寺に戻ったが、国の重要文化財「阿弥陀三尊像」の掛け軸は見つかっていない。そのため、新宝物館には周囲に赤外線の侵入警報機を設置。各所に防犯カメラを設け、収蔵室の鉄の扉は約20センチの厚みがある。

鶴林寺公園に咲く藤の花

Img_5295

« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その2称名寺(加古川城跡) | トップページ | 元准勅祭社東京十社根津神社~2014つつじ祭 »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/56004097

この記事へのトラックバック一覧です: "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねて その3鶴林寺:

« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その2称名寺(加古川城跡) | トップページ | 元准勅祭社東京十社根津神社~2014つつじ祭 »