« 江戸の潮風そよぐ浜御殿 特別名勝・特別史跡浜離宮恩賜庭園 | トップページ | "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その1観音寺(志方城跡) »

2014年4月15日 (火)

久米川古戦場と新緑に萌える八国山

久米川古戦場で歴史に思いを馳せ、新緑に萌える八国山散策で自然満喫 

鎌倉古道ワープの旅の取り敢えずの最終回として久米川古戦場と
隣接する緑地である八国山(はちこくやま)の自然を楽しむことにする。

Img184

無為庵の地元の七国山は「ななくにやま」であるが、若い人や地元の方でも
「しちこくやま」と読む人が多い。東京都から七国山風致地区に指定されていて、
七国山緑地保全地域緑地保全地域の第一号指定にもかかわらず宣伝PRが足りない
のではないかとイベントなどの機会を見つけては口頭で説明したり、配布文書では
るびを打つなどの活動を行ったものである。

本日は七国山(ななくにやま)を「しちこくやま」呼ばわりする元凶とも言えるかも
しれない八国山(はちこくやま)をこの眼で見てみようとの試みである。宮崎駿の映画
「となりのトトロ」のイメージ舞台となったのが大きな要因のようだ。八国山緑地が
トトロの森で、東京白十字病院がメイのお母さんが入院していた「七国山病院」だそうだ。

さて今回は登戸、府中本町、西国分寺、国分寺と東村山と五回乗換えて西武線所沢から
スタート。最初の目的地まで徒歩で20分弱で行けるが、丁度「西武園行き」バスがあり
4つ目の「勢揃橋北」から徒歩。バス停から前方に橋が見えるのが最初の目的地勢揃橋らしい。

勢揃橋

Img_5141
勢揃橋は新田義貞が鎌倉攻めの時に義貞の軍をここで勢揃いさせたと伝えられる橋で、
柳瀬川(旧久米川)に架かっている橋である。

Img_5140

橋の上から川を眺めると鯉が勢揃いしカルガモの援軍も見られる。

Img_5144

進行方向正面にこんもりと見えるトトロの森「八国山」と思われる。新緑に萌えている。

Img_5145
調整池では亀さんたちも勢揃い

Img_5146

調整池を一旦左手東に少し後南へ歩くと「勝陣場橋」をわたることになる。
かちじん橋と読んでいたら、この辺は「精進場」「将陣場」とも呼ばれるらしく、
「しょうじんばばし」と読むのだろうか。鎌倉古道上道もここを通っていたと思われる。

Img_5147

徳蔵寺
臨済宗大徳蔵寺派寿福山徳蔵寺、本尊は白衣観世音菩薩、開山年は元和年間(1615-1623)
の頃と推定されている。板倉氏の屋敷であったとのことで、新編武蔵風土記稿編纂の
頃は土塁や堀の跡が残っていたという。境内から中世の板碑が発掘され、本堂改築中に
宝篋印塔が数基発掘されている。写真正面が本堂、左手永春庵、左手奥供養宝塔。

Img_5165

徳蔵寺板碑保存館
徳蔵寺が保管していた板碑・石器・土器等を保存するために昭和43年に鉄筋校倉造り
二階建ての保存館が完成、平成15年に改修工事を行っている。

Img_5148

平日で拝観者も少ないのか、入館の方は社務所にとの貼り紙。
拝観時間は9時から17時まで、毎週月曜日は休館だとのこと昨日でなくてよかった。

入館には靴を脱ぐシステムで、トレッキングシューズのため着脱には少々苦労した。
1階は石器、土器、国分寺瓦、古銭など。2階が目的の板碑170基、宝篋印塔、五輪塔など

元弘の碑 国指定重要文化財
新田義貞は元弘3年(1333)5月8日上州生品(いくしな)神社で鎌倉幕府倒幕の挙兵をして、
鎌倉街道を南下5月11日小手指原で合戦し、12日久米川の合戦、15日第一次分倍河原の
合戦、16日第二次分倍河原の合戦、21日鎌倉稲村ヶ崎の合戦わ経て、5月22日東勝寺にて
北条高時と一族郎党は自害し壮絶な最期をとげ、鎌倉幕府は滅亡した。

Img_5154

板碑は分倍河原と相州村岡(藤沢市)での合戦の日時場所と新田陣戦死者、上野国碓氷郡の
御家人飽間斉藤一族三名の供養の為に造られたものである。飽間斉藤三郎は26歳、
孫七は23歳、孫三郎は35歳だったとか。主家に従い、いずれもこの若さでの戦死であった。
何故上野国の将士の供養板碑が武蔵国にあったのかはなぞのまま。 

Img_5163

小島法師が1370年頃加筆完成させたとされる「太平記」の記述内容を裏付け、
戦史を実証している板碑として有名となったものである。青みかがった緑泥片岩で、
高さ147cm幅44cmは貴重なる歴史のエビデンスである。

Img_5160

朝夕読経の中にある光明真言のマントラも刻まれていて人が少ないのをいいことに
声に出して二度までも唱えてしまった。碑の下には左右に 「勧進 玖阿弥陀仏、
執筆 遍阿弥陀仏」の銘がある。

     光明真言マントラ
 おん あぼきゃ べぃろしゃのぅ まかぼだら まに
        はんどま じんばら はらばりたや うん

宝篋印塔、五輪塔なども

Img_5157

板碑170基の展示は壮観で、その他比二基一対の比翼碑、獣脚付蔵骨器などは
東村山市有形文化財指定されている。

Img_5155

こんなもの展示している?金精様か特に説明はなし。

Img_5152
高蔵寺から西宿公園までの間、保育園の桜。八重の黄緑色で「鬱金」か?

Img_5167
久米川古戦場跡の碑 東京都指定旧跡
西宿公園の西隣りに密やかに建っている。折角植栽されたハナミズキが斜めに育ち
石碑の正面に迫り出している。しっかり管理されているとは言えないようだ。   

Img_5170    
新田軍は鎌倉街道沿いに南下し、桜田貞国率いる鎌倉幕府軍を5月11日小手指原の戦い
で撃破。幕府軍は久米川(現在の柳瀬川)で新田軍の南下を食い止めるべく、久米川の
南岸で迎え出た。

勢いにのる新田軍は、八国山に陣を張り、ここから指揮をとり麓の幕府軍への攻撃を
開始した。現在、この陣の跡地は将軍塚と呼ばれている。小手指原で敗れた幕府軍には
もはや勢いはなく、戦いは終始新田軍優勢に進み、幕府軍は多摩川の分倍河原まで
撤退することとなる。

八国山
いよいよ八国山へ入山。立派な案内板や太陽光発電で蓄電されての照明具も設置されて
いる。尾根道の北側が所沢市、南側が東村山市となっている。案内板は東京都が設置
したらしいが、北側所沢側の緑地分がカットされた案内図となっており何とも寂しい。
緑地部分をグリーン色表示しているのだが、訪ねたい将軍塚は埼玉県なので白地に
申し訳程度に「将軍塚」の文字。住宅街の中にあるのかと勘違いするのではなかろうか。

Img_5174
標高は89.4m三角点なし。、町田の七国山128.6mで三等三角点あり。いずれも山かと問われることが
多いが、間違いなく自然山ではある。またいずれも山頂から当時の国名で七カ国或いは八カ国
見えることが名の由来というのは同じである。そしてその国のほとんどは同じである。

Img_5175

七国山は東側安房、上総、下総、北に上野、下野、常陸、西に相模、伊豆、駿河、
甲斐、信濃などが挙げられており、文献により信濃、常陸が抜けたりしている。
房総半島の三カ国が特色であろうか。今でも七国山からも南アルプスも望める。

Mapz

八国山は相模国大山伊豆国箱根の山甲斐国丹波山信濃国の浅間山
上野国赤城山下野国男体山常陸国筑波山、そして駿河国富士山
八つの山が見えたからが一般的のようだ。緑地は東西に長く尾根道は約2キロ

Img_5176

民家に近い場所は高木が軒並み伐採されている。住民から落ち葉掃きが大変との
ことで行政に要請したのであろうか。町田市の七国山緑地保全地域でもあること
ではあるが、八国山は大規模であり、倒木被害をも懸念していようにも見えた。

クマザサが繁茂している。Img_5177

将軍塚
新田義貞が白旗を立てたと言われている塚。小手指原古戦場の白旗塚と同じだ。

Img_5180

石碑の裏には
  元弘三年 新田義貞公鎌倉討伐ノ際 白旗ヲ建テラレタル遺蹟
    昭和十二年四月十五日 吾妻村史蹟保存會 石工佐藤観平

Img_5183
将軍塚の手前に「元弘青石塔婆所在趾」の碑がある。
高蔵寺で見学した元弘の碑「板碑」があったことを示している。

Img_5179
歴史探訪は終了。新緑の八国山の尾根道をのんびりと散策することにする。間伐や下草刈り
しっかりと手入れされているようだ。木の下闇になっている場所も殆ど無く、理想的な明るく
木漏れ日の森で、女性が一人で歩いても大丈夫そうに思えた。

Img_5189
70歳前後と思しき男性がトレイルランニングをされている。鎌倉アルプスで若い人のは見たが恐れいった。余りの益荒男ぶりに、触発されるどころか健康や怪我を心配してしまった。

Img_5186
おおぞら広場でトイレ休憩。トイレも二箇所設置されており七国山と違い「公園」となっている。

Img_5187
トイレ済ませて南を見ると病院らしき建物。これが「七国山病院」となった東京白十字病院だ。

樹皮が美しいカバノキ科「イヌシデ」か。ウグイスの鳴き声も聞こえてくる。

Img_5190

ヤマツツジが美しい。

Img_5192
コンクリートのベンチより木造のがずっといい。ただの公園でなく緑地なのだから。

Img_5191

暫く尾根道を進んだ後ふたつ池を目指すことにした。一つ目の池

Img_51961
ふたつ目の池

Img_52012
ころころ広場 桜が咲いていて花見している人がいる

Img_5204
西武線が隣を走っている。

Img_5203
西武園駅近くの菜の花

Img_5205
遊園地がお休みで閑散とした中を多摩湖へ。お腹が空いて力が沸かない。
八重桜と観覧車

Img_5208
多摩湖(村山貯水池) 給水塔の近くまで行き撮影したかったが諦めた。

Img_5209

西武遊園地駅から乗って帰ろうとしたら、掬水亭の案内が目に入.る。レオライナーで一駅
とのことで掬水亭にて食事することにした。

Img_5214
レオライナーは意外な程速い。
「おとぎの列車」の愛称で親しまれていた山口線が1985年に新交通システムに生まれ
変わったものだそうだ。1両8mと小型車体の4両編成でゴムタイヤで走行する省エネ、
ハイテク車両で一駅しか乗らなかったが、快適であった。
Img_5219
掬水亭6階で眼下の多摩湖や春霞にぼんやりと確認できる大山など眺めながら遅目の昼食を頂いた。

Img_5220

疲労感は残ったものの、一年の内寒からず暑からずの最高のお天気の中、以前から訪ねたかった
史跡・緑地を見学できてよかった。

新田義貞鎌倉攻め関連として群馬県太田市生品神社、所沢市小手指原古戦場跡
府中市黒鐘公園内伝鎌倉街道、府中市分倍河原古戦場跡、東京都町田市野津田
上ノ原遺跡、町田市七国山(ななくにやま)緑地保全地域内を南北に縦断する鎌倉古道、
神奈川県鎌倉市化粧坂稲村ヶ崎東勝寺跡など当ブログなどに公開している。
今回の久米川で予定していた新田義貞鎌倉攻め鎌倉古道ワープの旅はひとまず
終了とする。多摩市関戸や藤沢市村岡もあるが体調と都合つけば訪ねることとする。

 ⇒サイト内リンク生品神社(太平記の里ひとり旅 その1)
 ⇒サイト内リンク小手指原古戦場跡(埼玉県所沢市小手指原2014弥生)
 ⇒サイト内リンク黒鐘公園伝鎌倉街道(東山道武蔵路)
 ⇒サイト内リンク分倍河原古戦場跡(史跡 めぐり分倍河原その2)

 ⇒サイト内リンク井手の沢古戦場(井出の沢古戦場)
 ⇒サイト内リンク化粧坂(早春の鎌倉散策 その2)
 ⇒サイト内リンク稲村ヶ崎(鎌倉史跡めぐり2013年皐月その1)
 ⇒サイト内リンク東勝寺跡(史跡めぐり秋の鎌倉その3)
  ⇒サイト内リンク九品寺(史跡めぐり猛暑の鎌倉南東部)

 

« 江戸の潮風そよぐ浜御殿 特別名勝・特別史跡浜離宮恩賜庭園 | トップページ | "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その1観音寺(志方城跡) »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/55807268

この記事へのトラックバック一覧です: 久米川古戦場と新緑に萌える八国山:

« 江戸の潮風そよぐ浜御殿 特別名勝・特別史跡浜離宮恩賜庭園 | トップページ | "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねる その1観音寺(志方城跡) »