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2014年4月11日 (金)

江戸の潮風そよぐ浜御殿 特別名勝・特別史跡浜離宮恩賜庭園

名前を見聞きしたり、傍を通ることはあっても一度も入園を果たせていなかった
浜離宮に初めて訪れることができた。新橋駅からスタート。汐留高層ビル群の間を
縫ってふたつの出入口のひとつである「大手門口」が見えてきた。

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大手門橋の左手にある案内板

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大手門口

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大手門と庭園の門にも関わらずお城の門の名前をつけた門なのは何故だろう。
江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の別邸・庭園だからだ。
上の写真にあるように石垣がそれと示してくれている。

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出城とは戦術的必要に応じて、中心となる城から離して設けた城

サービスセンター

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受付の配布資料によると承応3年(1654)徳川将軍家の鷹狩場に四代将軍家綱の弟
松平綱重が海を埋立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てた。その後、綱重の子
綱豊が六代将軍家宣になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、「浜御殿
と呼ばれるようになった。

その後歴代将軍によって幾度かの造園と改修工事が行われ、十一代将軍家斉の時代に
ほぼ現在の姿の庭園が完成したとのことである。

受付で入園料300円を支払おうとしたら65歳以上半額の150円とのことで運転免許証を
出そうとしたら申し出だけでよいとのことであった。

入園者は日本人より外国からの観光客の方が圧倒的に多い。

特別名勝六義園も指定されているが特別史跡指定とダブル指定は
関東では小石川後楽園と浜離宮の二件だけである。

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昭和21年4月1日に開園、25haの広さ、樹木数  高木で約6千本

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パンフレットのマップを見ながら園内見学しようとしたが、北が下になっていて変な感じ都webの地図がいい。

Photo

まずは「三百年の松

六代将軍家宣が庭園の大改修をした折に、その偉業を讃えて植えられた松の木。
太い枝が低く張り出して堂々とした風格をもっている。枝には支柱が必要。

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三百年の松の根本
園内で戦前から残る唯一の樹木。

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横から見ると

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内堀 やはり単なる庭園ではなくお城だったのだ。

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内堀への海水出入口

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明治維新の後は皇室の離宮となり、名称を「浜離宮」と変更された。
昭和20年に東京都に下賜され、翌21年4月から「浜離宮恩賜庭園」として公開された。
海水を取り入れているので潮の干満で景色の変化を楽しめる回遊式築山泉水庭

清澄庭園旧安田庭園の池なども嘗ては潮入の池であったが、現在では淡水化され
ているので、浜離宮の潮入の池はとても貴重な存在である。

 サイト内リンク⇒清澄庭園、  ⇒旧安田庭園

複数の茶屋の復元計画が進められており、2014年度に「燕の御茶屋」が完成予定である。シートで覆われていたがかなり大きそうに見えた。

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延遼館跡 解説板に拠ると
外国要人の迎賓館として明治2年5月落成した我が国最初の洋風石造建築物であった。
明治12年米国グラント将軍夫婦が世界周遊の途中に来日の際約2ヶ月滞在するなど、
多くの外国貴賓を迎えた由緒ある建物であった。しかし明治20年の地震による損壊が
激しく明治22年に取り壊された。

舛添東京都知事は4日、定例記者会見で、2020年東京五輪・パラリンピック
までに東京に和風の迎賓館を整備する考えを示した。候補地として浜離宮恩賜庭園が
挙げられていることに注目している。

小生も予予、外国から貴賓を饗すのに西洋式迎賓館やフランス料理はおかしいと思って
おり、京都迎賓館の建物や京都の老舗の料理人が当番制で担当している料理など
素晴らしいと思っていたので東京でも是非実現して欲しいと願っている。

花畑
残念ながら菜の花は花期の盛りを過ぎていて残念。盛りを想像して楽しんだ。

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旧稲生神社 桜花が残っている。

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椿も美しい。

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道路の両側が梅。既に実がなっている。

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浜離宮からは、日の出~浅草を結ぶ隅田川ラインが運行されている。
10時から15時それぞれ25分と50分と16時45分が最終で計13便出ている。
関西からの親族に東京観光のメニューに浅草から隅田川ラインを入れたものだ。

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桟橋

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灯台跡

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将軍お上り場 将軍が舟に乗降りする船着場
昭和24年キティ台風で階段の一部が崩れて海中に沈んだそうだ。

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レインボーブリッジが望める

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池と東京湾を繋ぐ水門

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干満によって水位は変動差は2mにも達するそうである。

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池のまわりには八重の桜が数種類咲き誇っている。

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八重桜 関山

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珍しい黄緑色の桜「鬱金

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海手お伝い橋

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樋口山

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横堀

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細い水路に桜の花弁がびっしり。花筏

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中の橋と桜

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中の橋から中島の御茶屋を望む

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御亭山 「おっちんやま」と読む。

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御亭山から中島の御茶屋を望む

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松の御茶屋

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中島の御茶屋、1707年の建設したのがはじめ。その後、皇室の離宮となっても国賓接待に使用。
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南から望むと

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馬場跡

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鴨場小覗き 鴨猟をしていた施設、鴨場の跡。

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小覗きから見てみると

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吉宗時代にベトナムから贈られた象を飼育

享保13年(1728)ベトナムから牡牝2頭の象が江戸将軍家に献上されることになった。
牝は上陸3ヶ月後の9月11日に死亡した。ほぼ1日3~5里(12~20キロ)長崎から江戸まで歩いた。
徳川実記』によれば、徳川八代将軍 吉宗は江戸城大広間から象を見たという。
幕府御用絵師狩野古信が現在東京国立博物館にある「亨保のゾウ」を描き、江戸は大騒ぎ、
巷には色々な草紙や双六まで出版された。中村平五撰『象誌』、智善院撰『象のみつぎ』、
林大学頭撰『馴象談』。井上道熙撰『馴象俗談』、一枚刷りの『広南霊象図』、
漢詩集『詠象詩』などの本である。また、歌舞伎の「象引」が創られた。
赤坂山王日枝神社の祭礼にて張り子の象山車までも登場した。
その後ここ浜離宮で飼育された後、民間に払い下げられ、見世物にされ糞が売られたりしたそうだ。

芝生庭に紫色の花。ムラサキツルゴケのわうだ。

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水面に桜の花びらと思いきや・・・、花菖蒲池で水が干上がっている。お陰て花弁が綺麗。

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藤の花が間もなく咲きそうだ。

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ツツジもスタンバイ。

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浜離宮の出入り口は大手門と中の御門の2か所あるが、新橋駅からの帰路となるので
大手門口から出ることにした。浜離宮と芝離宮がごっちゃになっていたものだが、今日で解決。

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