« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねて その3鶴林寺 | トップページ | 深川のお不動さんと八幡さま参詣 昼食は深川めし&丼 »

2014年5月 2日 (金)

元准勅祭社東京十社根津神社~2014つつじ祭

本日は小田急最寄り駅から一本で行ける地下鉄の根津駅からスタートし、根津神社が目的地。
谷根千ブームのはしりの頃、行きつけのスナックで話題となりマスターが募り週末に歩こうと
いうことになり誘われたが、土曜日はゴルフ日曜日はテニスをやっている時代で断ったが、
気になっている場所ではある。今回躑躅の頃にと思い4月末に計画していたが雨天のため
順延し本日となってしまった。

Img191

地下鉄駅から上がると大きな通りの「不忍通り」で左矢印付きで案内表示板があり
歩道には「根津神社つつじ祭」のペナント幟と立て看板も賑やかに迎えてくれる。

Img_5370
沢山の種類のつつじの花写真のポスターも根津駅のホームからあちこちに貼られている。

Img_5371

交差点「根津神社入口」を左折する。民家の玄関先の鉢植えなど下町の雰囲気を垣間見れる。

Img_5372

昨年末から今年に掛けベル麻痺でお世話になった日本医科大学の大学院の建物があり
その先が神社入口の様だ。

Img_5373

その手前に「旧根津須賀町」の解説板がある。それに拠ると
元甲府宰相松平綱重(徳川家光の子)の屋敷があった。綱重の子の綱豊(後に六代将軍家宣)
がここで生まれた。団子坂上にあった根津神社が産土神さまであった。将軍を
継いだ時に江戸城に移った。
綱吉は宝永三年(1706)根津神社を甲府屋敷の跡に移し、華麗な社殿を造営した。
また町屋が開かれ、根津社地門前と称した。明治二年町名を「根津須賀町」とした。
「根津」の由来には「鼠」の謂れ、台地の根にあって舟の泊まる所など諸説ある。
「須賀」は根津神社の祭神素盞嗚尊が出雲の須賀に宮居を定め、
「我が心須賀須賀須」と言われたことによる。

今年4月訪れた浜離宮も綱重の別邸であった。
   ⇒サイト内リンク江戸の潮風そよぐ浜御殿 特別名勝・特別史跡浜離宮恩賜庭園

右側に神社の大鳥居が見える。鳥居の前の神社名石碑も立派だ。

Img_5376
神社略記を記した立派な屋根付き解説表示板

Img_5377

鳥居を潜り参道を進むと、正面につつじ山、右には写真で見ていた楼門

Img_5381

階下には左右に随神像が安置され「随神門」となっている。

Img_5384
扁額

Img_5385

美しい屋根骨組み 

Img_5388
楼門を潜ると右手に「舞殿

Img_5387

大きく「国宝」とあり社殿と唐門が当時国宝指定されたことが解る。 昭和6年12月とある。

Img_5391s6

水盤 三百年前に真鶴産本小松石の一枚岩から切出して造られたもの。

Img_5390

唐門 重文 両妻側に唐破風のある平唐門

Img_5392
唐門の屋根

Img_5393

Img_5394

透塀 重文 社殿の周囲をぐるりと囲んでいる塀。三百年経つが全長200m全く狂いが
ない。最近の調査によると内側全体地中約8mの深さまで基礎工事が施してあるそうだ。

Img_5395

社殿 重文
手前の「拝殿」と一番奥で御祭神の「本殿」をつなぐ「幣殿」が一体化した権現造り
なっている。

Img_5403

根津神社は今から千九百年余の昔、日本武尊が千駄木の地に創祀したと伝えられる古社で、
文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が
定まった際に現在の社殿を奉建、千駄木の旧社地より御遷座したことは旧根津須賀町の
解説板で読んだ通りである。明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、
国家安泰の御祈願を修められる等、古来御神威高い名社である。

Img_5404

元准勅祭社東京十社とは東京遷都時後東京近郊の主だった神社を准勅祭社と定め、東京の
鎮護と万民の安泰を祈る神社としたもの。十社は下写真の通り。
  ⇒サイト内リンク江戸鎮守府神田神社

Img_5455

御祭神
 主祭神
     須佐之男命(すさのおのみこと)
     大山咋命(おおやまくいのみこと)
     誉田別命(ほんだわけのみこと)
 相殿
     大国主命 (おおくにぬしのみこと)
     菅原道真公 (すがわらのみちざねこう)
Img_5401
社殿のあちこちに卍印が気になる。

Img_5400

狛犬

Img_5402

唐門を入り右のテントで御朱印を頂けた。

Img190

本社大神輿
正徳四年(1714)天下祭に造られた。つつじ祭の期間中展示されている。

Img_5397

西門 重文  棟門という形式の二脚門。

Img_5452

西門を出たところの通路に様々な露店が出ている。しかしこの種の店は国内外問わず苦手だ。

Img_5454

森鴎外碑銘水飲場
根津神社は、森鴎外の『青年』や夏目漱石の『道草』などの文学作品にも登場している。
陸軍軍医であった森林太郎が日露戦争で持ち帰った戦利砲弾を奉納した時の台座を
リサイクルし水飲み場としている。

Img_5448

文豪の石
夏目漱石や森鴎外も氏子で、境内を散策時に腰を下ろした作品の構想を練った。

Img_5446

乙女稲荷神社 鳥居と奥に見える舞台は池を見下ろすことができ、その左に穿たれた
穴の中に祠がある。

Img_5405

千本鳥居参道 乙女稲荷に通じる。

Img_5408

篤志家から奉納された赤い鳥居が並びトンネルとなっている。

Img_5411

乙女稲荷祠前の池を見下ろす舞台

Img_5416

駒込稲荷
徳川家宣が生まれた屋敷の守り神さまで根津神社より古い。屋根に葵の御紋あり。

Img_5412

珍し狛猫?まさかお稲荷さんだから狐です。すましてなく動きがあり可愛い。

Img_5413

塞大神碑(さいのおおかみ)道を守る神様。元駒込追分の一里塚に建てられていたもの。

Img_5414

六代将軍家宣胞衣塚 境内は家宣が誕生した徳川綱重下屋敷跡で胞衣(エナ 胎児を包んだ
膜と胎盤)を納めた塚。大きな石がゴロゴロ積んであるだけ。

Img_5418

つつじ苑
根津神社ホームページによると境内にある約2000坪のつつじ苑には、約100種
3000株のツツジが植栽されている。残念ながら盛りは過ぎていて早咲き種はもう
終わっていて、寂しい状態の箇所もあるが、まだまだ頑張っている。

Img_5430

入苑料200円寄進は整備事業費用に充当すると半券にある。

Img_5432
つつじの山を見ると小学一年の頃故郷のつつじ山での写生会を思い出してしまう。

Img_5427
第45回文京つつじまつりは平成26年4月5日~5月6日開催中

Img_5439

これが黒躑躅のカラフネかな?

Img_5420
ハナグルマ
Img_5423
黄色い レンゲツツジでいいのかな。

Img_5434
ハナグルマの白か、遠目には仙人草の花に見える

Img_5437

帰りに甘酒を神池の傍で腰掛けて頂いた。

Img_5445

根性亀さん
神池へ近づいたら甲羅干し中の亀たちが一斉に池へ逃げ込んだ。ところが一匹だけ
こちらを睨んで動こうともしない。一団のリーダーなのだろうか、いい根性している。

Img_5444

帰り際改めて社殿を見るに、参拝客の大行列ができていた。ロシア系など外国人旅行客も目立つ。

Img_5450

« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねて その3鶴林寺 | トップページ | 深川のお不動さんと八幡さま参詣 昼食は深川めし&丼 »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/56045579

この記事へのトラックバック一覧です: 元准勅祭社東京十社根津神社~2014つつじ祭:

« "軍師官兵衛"ゆかりの地を訪ねて その3鶴林寺 | トップページ | 深川のお不動さんと八幡さま参詣 昼食は深川めし&丼 »