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2014年7月13日 (日)

生田神社~神戸の地名の由来となった神社

所用で神戸へ帰省した。珍しくひとりでの帰省することになり久しぶりに新幹線を利用した。
実家の灘は兄が亡くなり義姉だけで、実姉が芦屋にいるが高齢で迷惑掛けたくなく
初めてホテルを予約した。所用後甥に送ってもらった。中山手通り2丁目生田警察の南隣り。

一階部分が蔦に覆われ入口が狭い。ここが予約したホテルか不安になる。 翌朝撮影したホテル入口
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生田神社西口辺りから撮影したホテル全景

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女性が好みそうなホテルの植栽

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ホテル部屋の窓から生田神社境内の本殿の横、生田池、生田の森、神社会館などが望めた。
明日廻る予定であったが、直ぐそばであり散歩がてら生田神社境内へ出掛けた。

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旧社格は官幣中社。兵庫県内の廣田神社、長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する。
生田神社は1800年以上の歴史を有する。生田の神を守る家、神戸(かんべ)が由来となって神戸という地名
となったそうだ。生田は元々は活田であり、活き活きとした生命力溢れる場所という意味。
神戸中心市街地三宮駅に近く訪れる参拝客も多い。有名女優が結婚式をあげたことで話題となった。

楼門

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現在の神戸市中央区の一帯がかつて社領であった。地元では「生田さん」として親しまれている。
私自身は高校時代まで灘区に住んでいたが、一度もお参りしていなかった。初詣は父と車で
京都伏見稲荷へお参りしていたからだ。

祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)である。
「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも妹とも和魂であるとも言われている。

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201年に神功皇后の三韓外征の帰途、神戸港で船が進まなくなった為神占を行った所、稚日女尊が現れ
「吾は活田長峡国に居らむと海上五十狭茅に命じて生田の地に祭らしめ。(=私は“いくた”の“ながさの国”
に居りたいのです。“うなかみのいそさち”に命じて生田の土地に祀らせて欲しい)。」との
神託があったと日本書紀に記されている。

当初は、現在の新神戸駅の奥にある布引山(砂山(いさごやま))に祀られていた。延暦18年(799)の
大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊するおそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から
御神体を持ち帰り、その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。

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平城天皇の806年(大同元年)には「生田の神封四十四戸」と古書には記され、現在の神戸市中央区の
一帯が社領であった所から、神地神戸(かんべ)の神戸(かんべ)がこの地の呼称となり中世には
紺戸(こんべ)、近年に神戸(こうべ)と呼ばれるようになった。

神階は859年(貞観元年)に従一位まで昇った。延喜式神名帳では「摂津国八部郡 生田神社」と記載され、
名神大社に列し、月次・相甞・新甞の幣帛に預ると記されている。

近代社格制度のもとで1871年(明治4年)に県社に列格し、その後1885年(明治18年)に明治天皇の
西国巡幸の際、初めて官幣社に列し官幣小社に、1896年(明治29年)には官幣中社に昇格した。

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社殿は、1938年(昭和13年)の神戸大水害、1945年(昭和20年)の神戸大空襲、
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災など何度も災害等の被害に遭い、
そのつど復興されてきたことから、「蘇る神」としての崇敬も受けるようになっている。

延暦18年の大洪水の際、社の周囲には松の木が植えられていたが、全く洪水を防ぐ役割を果たさなかった。
その故事から、今でも生田の森には1本も松の木は植えられていない。また過去には能舞台の鏡板にも
杉の絵が描かれ、元旦には門松は立てず杉飾りを立てる。

松尾神社 酒造の神様を祀る。灘五郷を控えているので納得。

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大海神社 海運業で栄えた地ならではか。

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鳥居の向こうに楼閣、本殿があるが、他にも脇社として蛭子神社および稲荷社、
弁天池などがある。また、「謡曲生田敦盛」の碑がある。

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灘五郷の酒造会社が寄贈した酒樽

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包丁塚  1993年(平成5年)10月25日に建立された。

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境内北側に鎮守の森が広がっており「生田の森」と呼ばれている。枕草子にも「森は大あらきの森…信太の森…生田の森…」とあり、平安時代から歌にも詠まれている。

  月残る生田の森に秋ふけて夜寒の衣夜半にうつなり  後鳥羽院

  汐なれし生田の森の桜花春の千鳥の鳴きてかよへる 上田秋成

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平安の雅の行事「曲水の宴」が行なわれているそうな。

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手を翳すとびんびんと気を感じるご神木の楠木の巨木

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生田の森出口 生田警察の前へ出る
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箙の梅 源平合戦の時、梶原源太景季が境内に咲く梅のひと枝を矢を入れる箙にさして奮戦した。

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謡曲「箙」と梶原景季」の解説板

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生田ロードを南へ歩くと鳥居

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更に南へ 近代的な高層ビルの中に古い洋館が残されている。 おしゃれなカフェのようだ。神戸らしくていい。

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写真は7月13日と翌14日二日間にわたり撮影した。

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