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2014年11月

2014年11月28日 (金)

都立旧岩崎邸庭園~三菱財閥岩崎家本邸~

当初は鎌倉詣予定であったが、急遽銀行テラーでの用事もあり予て訪ねたいと思っていた旧岩崎邸庭園に変更した。

中央線で東京駅へ駅前にある某信託銀行本店で用事を済ませたら今度は大手町駅から湯島駅千代田線を利用したら近いと考えていたが、気がついたら東京駅丸の内北口の改札口でSUICAで通り過ぎていた。仕方なく御徒町駅からのスタートとなってしまった。

天神下交差点まできたら湯島天神を見たくなり春日通りの切通をそのまま上がっていった。

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湯島地方合同庁舎入口の公孫樹並木の黄葉が綺麗だ。

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旧岩崎邸の西側にある「三菱資料館」
土日祭日年末年始は休館 午前10時から午後4時半まで 入場料は無料

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「講安寺」門 旧岩崎邸の北側 

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講安寺の参道

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講安寺本堂 土蔵造りの寺は珍しい。火事の多い江戸での防火建築物
寺門、本堂、客殿と庫裏が往時の様式で保存されていて文京区指定有形文化財

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無縁坂 左は旧岩崎邸
坂の上にあったという「無縁寺」に由来する。講安寺にも無縁寺の庵あったそうだ。また森鴎外小説『雁』で主人公岡田青年は散歩道としてよく歩いていた。
さだまさしの同名曲も思い浮かぶ。
~♪母がまだ若い頃 僕の手をひいてこの坂を登る度 いつもため息をついた~運がいいとか 悪いとか人は時々 口にするけど めぐる暦は季節の中で漂い乍ら過ぎてゆく 忍ぶ 不忍 無縁坂 かみしめる様なささやかな 僕の母の人生♪~

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旧岩崎邸庭園正門 旧岩崎邸の周囲道路をひと回りしてやっと目的の地である。

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レンガ塀
煉瓦積み黒漆喰仕上げの塀で、桟瓦が葺かれていた。黒漆喰仕上げは耐水性と耐火性に優れた工法で商家や蔵に用いられることが多かった。

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正門入りサービスセンターへの坂道 石垣が綺麗だ

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ホトトギス 坂を上ったあたりに群生していた。

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サービスセンターと黄葉の公孫樹の大木

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開園面積は16,912.88㎡であるが、かつての敷地は3倍の約5万㎡で建物も20棟以上あった。
つまり西側の湯島合同庁舎、南側の湯島四郵便局や切通公園一帯を含んでいた。

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旧岩崎邸洋館正面
2001年(平成13年)10月1日開園
旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であった。明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、1878年に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が牧野弼成から邸地を購入したものである。
現存する建物は、岩崎財閥3代の岩崎久弥によってジョサイア・コンドルの設計で建てられ、明治29年(1896)に竣工。

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右手入口のタワー 北面を正面とし、正面玄関部分は平面四角形の塔屋となっている。

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指定管理者制度により東京都公園協会が運営している。三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を公園として整備したもので、園内の歴史的建造物は国の重要文化財に指定されている。下写真は洋館東側

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洋館南面は1階、2階とも列柱のある大きなベランダを設ける。晩年の作品に比べると装飾性が強く、内外装とも全体のスタイルや装飾は英国17世紀のジャコビアン様式を基調としつつ、南面のベランダにはコンドルが得意としたコロニアル様式がよく表れている。

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一階のトスカナ式列柱 コロニアル様式のベランダ

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二階イオニア式列柱

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客室の天井装飾、床のタイル、暖炉などの細部にはイスラム風のデザインを施すなど様々な様式を織り交ぜている。岩崎久弥の留学先であったペンシルベニアのカントリー・ハウスのイメージも取り込まれている。

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1915年(大正4年)にコンドルが作成した建替計画図が静嘉堂文庫に収蔵されている。鉄筋コンクリート造3階建・建坪348坪の大規模な洋館に立て替え、和洋併置をやめて家族の居室も洋館内に完結する計画であったが実施には至らなかった。

ベランダは英国の大好きなミントン製のタイルが敷き詰められているだとか。

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和館
和館を日常生活空間、洋館を公的な接客空間として使い分けることが多かった。岩崎邸においても、迎賓館としての洋館に対し、生活の場としては和館が使用された。

設計は大工棟梁の大河喜十郎と伝えられている。長大で良質な木材がふんだんに用いられている。釘隠しなど各所に岩崎家の家紋である三階菱の意匠が見られる。

1969年(昭和44年)に「大広間」の名称で重要文化財に指定されたが、同時期に和館の大部分が取り壊された。往時は550坪に達する大邸宅であったが、現存するのは大広間、次の間、三の間の3室と、茶室(待合室)、渡り廊下、便所のみである。

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和館前庭石の巨大さに驚いた。 MEGALITH 巨石群

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蹲と灯籠

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庭園
大名庭園の形式を一部踏襲する庭は、本邸建築に際して池を埋め立てて広大な芝庭とし、庭石・灯篭・築山などを配した和洋併置式の庭園として改 修された。現在の庭園は国有化以降の用地転用・売却により大幅に削り取られているが、今も残る下写真の雪見灯篭や亭跡の石敷が往時の姿を偲ばせている。

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池を埋めたという芝生の庭

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紅葉も綺麗です。庭にはパラソルに白い椅子も

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撞球室
木造ゴシック様式のビリヤード室。校倉造の外観はスイスの山小屋風。洋館と同じくジョサイア・コンドルの設計である。洋館の地下室とは地下通路で結ばれている。内壁には明治期の金唐革紙がはられている。外観のみ公開。

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屋根と煙突

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木組み

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建物の前に置かれた椅子がとても良くて座りたくなる。両脇の車輪が可愛いね。

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岩崎家縁の都立庭園の案内ポスター
清澄庭園、六義園、殿ケ谷戸庭園 9庭園の内4庭園が嘗て岩崎家所有だったのだ。

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帰りは不忍池の弁天島経由 桜の紅葉が美しい。

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弁天島の八角堂

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清水堂

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上野恩賜公園の桜並木を通り東京国立博物館平成館の「国宝展」へ

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2014年11月20日 (木)

特別名勝指定六義園~紀州の景観を再現

六義園には昨年5月旧古河庭園を見学した後に立ち寄るつもりが、暑い日で疲れてしまい
駒込駅より近いという上中里駅へ向い帰路についてしまい、来園できずにいた。
桜の頃にでもと思っていたが、一年半が経ってしまった。

サイト内リンク⇒旧古河庭園2013年5月~国指定名勝

今日はやっと外出できそうで、紅葉にも早い懸念があったが、気儘に外出できない身では詮無きこと、いざ六義園へ!。

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旧古河庭園の時とおなじ「JR駒込駅」からスタート。

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山手線を跨いでいる本郷通りを左側(南)へ2分程度歩くと右手にそれと判る門が見えてくる。
通常は閉まっているらしいが、紅葉のシーズンということで特別に開門されている。

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染井門。ライトアップの横断幕、本日から12月7日まで夜間21時までライトアップされ昼間とは違った紅葉や池の水面に映しだされる幽玄な様を見ることができる。

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駒込の一部は江戸時代 「染井」と呼ばれ, 巣鴨と共に花卉・植木の一大生産地であ った。
この地で数多くの園芸品種が誕生しており, 中でも「染井吉野」は, 当地の地名から名付けられたもので,
世界を 代表する桜の品種となった。近くに染井吉野桜記念公園があり、由来を説明する碑が建っている。

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加賀藩の旧下屋敷跡地を五代将軍徳川綱吉から元禄8年(1685)側用人柳沢吉保が拝領し、
7年の歳月をかけて造った大名庭園である。小石川後楽園と共に江戸二大庭園と呼ばれた。完成後綱吉も頻繁に訪れたことが記録されている。

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庭園の名称「六義」は、中国の古い漢詩集である「毛詩」に記されている「誌の六義」すなわち風、賦、比、興、雅、頌という六つの分類法の流れを汲んだ和歌の六体に由来。

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紀貫之が『古今和歌集』の仮名序で上記誌の六義にならって分類した和歌の六種の形態。
 ①諷喩(ふうゆ)する「そえ歌」、
 ②たとえずにそのまま詠んだ「かぞえ歌」、
 ③ほかの物にたとえて思いを詠んだ「なずらえ歌」、
 ④思いを自然の風物になぞらえた「たとえ歌」、
 ⑤正しい世の中を詠んだ「ただごと歌」、
 ⑥祝い祝福した「いわい歌
の六種。順に賦・比・興・風・雅・頌に相当するとされる。

六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっている。庭園は中の島を有する大泉水を樹林が取り囲み、万葉集古今和歌集に詠まれた紀州の和歌の浦の景色を始め、その周辺の景勝地や中国の故事にちなんだ景観が映し出されている。

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明治の初年には三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎が六義園を購入、維新後荒れたままになっていた庭園に整備が施され、このとき周囲が今日見る赤煉瓦の塀で囲まれた。その後は関東大震災による被害もほとんど受けず、昭和13年(1938)には東京市に寄贈され、以後一般公開されるようになった。東京大空襲の被害を受けることもなく、造園時の面影を残したまま今日に生き延びた六義園は、昭和28年(1953)に特別名勝に指定された。

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面積は87,809㎡でほぼ東京ドームの2倍の広さ。 下写真は「山陰橋

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六義園は躑躅の花でも有名、また正門庭園入口近くにある枝垂桜も名木として有名で、この枝垂桜の最盛期と紅葉の最盛期にはライトアップもされる。つつじ茶屋周辺の紅葉が綺麗とのことだがまだ早かったようだ。

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つつじ茶屋は素朴ながら凛とした佇まいが素敵だ。

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吟花亭跡 桜の木が沢山植栽されていて花見の場所で「吉野」にたとえられている。

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吹上松

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ホトトギス 吹上茶屋の前に密やかに咲いていました。

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イロハモミジ 

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雪吊り

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池には鯉が泳ぎ、ホシハジロ、キンクロハジロだろうか?水鳥たちも楽しそう。

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田鶴橋中の島

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藤代峠からの眺望 元々平坦な地に池を掘り、その土を積み上げて35メートル「富士見山」を造ったのだ。

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佐渡赤玉石かな?

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櫨の紅葉と松の緑

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渡月橋 大きな岩が交互に渡されている

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櫨の黄と七竃の赤

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巨大な石灯籠

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中の島 妹山・脊山 ここへは立ち入れません。

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渡れないと気になる「田鶴橋

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出汐湊から片男波を望む

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対岸から見える吹上茶屋

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指南岡  ここの景色がお気に入りだ。この右側に蓬莱島あり。

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玉藻磯 「出汐の湊」の横につながる荒磯を表現した汀

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心泉亭 

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心泉亭入口門

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宣春亭の一部 小さいながらも趣ある佇まいに一枚頂戴いたします。檜皮葺と瓦のコンビネーションも面白い。

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重厚ながら気品も感じられる雪見燈籠

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内庭大門

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六義園石碑

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新脩六義園碑 文化六年(1809)四代保光が修復工事を行い、失われていた八十八境の石柱を補い、この石碑を建てた。裏面に復旧工事の経緯、全面に「六義園八景」の名称が記されている。

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櫨の紅葉

 

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竹林の一本一本にもライトアップがセッテイングなされている。

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アズマネザサ 放っておくと厄介な笹もこうすると綺麗だ

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我が家の16歳老犬は後ろ足がコントロールできなく、散歩ができなくなった。お陰で介護の為家の門外へ出るのも殆んどなくなり、本日は久しぶりの外出となった。

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