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2015年1月

2015年1月19日 (月)

二重橋前散策

明日火曜日に皇居東御苑見学を予定していたが、老妻から通院予定を月曜日から火曜日にしたいとのことで、特に仲間と待ち合わせしている訳でないからと急遽本日月曜日に変更して出掛けた。ここ丸の内は大学卒業後サラリーマン人生の殆んど全てを過ごした場所である。リタイアする頃から丸ビル・新丸ビルが建て替えられたり、仲通りに面した店舗も有名ブランドが入居するなど様変わりし始めていたものである。

丸の内仲通りは昨年末にも訪れているが、今回は現役時近くに居ながら叶わなかった旧江戸城を見てみようという試みである。宮内庁のホームページで調べたら事前予約で皇居内参観ができることが解った。皇居東部分は旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部などを昭和43年から「東御苑」として公開されているので、まずは東御苑の見学をとすることとした次第である。

小田急最寄り駅から千代田線乗入れの電車で「二重橋前駅」で下車、現役時は「馬場先門」側に出ていたが本日は「和田倉門」側へ。日比谷通りを隔て東側は東京駅正面の赤レンガ駅舎が望める。100周年を迎えている東京駅は改めて訪ねたいと考えている。

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この交差点は「和田倉門」で南側が馬場先門というかつて石垣に囲まれた枡形門があった場所。明治時代に撤去され、現在は交差点名として残るのみ。ここから馬場先門までの濠が馬場先濠

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白鳥やキンクロハジロなどの水鳥たちが優雅に泳いでいます。以前に気の強い黒鳥もいたが本日は見えない。またユリカモメの大群に驚かされたことがあった。

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持病の潰瘍性大腸炎の食事療法のために愛妻弁当を持参していたので、お天気の日には下写真の皇居前広場の芝やベンチで食べていたものだ、気が向くと日比谷公園や和田倉噴水公園まで足を伸ばすこともあった。

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和田倉濠は皇居外苑の外側、日比谷通りに沿って馬場先濠の北に続く濠。道三濠といい、今の東京駅北方のJRの線路を越えたところで外濠(呉服橋付近)に通じ、この水路により江戸城と隅田川、さらに江戸湾が結ばれていた。江戸入府の家康がまず掘削させたのがこの濠で、築城に必要な物資の運搬に利用された。明治42年には埋立てられてしまった。

皇居のお濠に架かる木橋として残されている和田倉橋。この橋より内側は、大手門や内桜田門(桔梗門)から入場する大名や武士が通行する橋であった。

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和田倉噴水公園

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今上天皇の成婚を記念し、1961年(昭和36年)に開園。その後、現皇太子の成婚を記念して整備され、1995年(平成7年)に現在の姿になる。

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高さ8.5mまで吹き上げる大噴水やその周りを彩る小噴水は芸術的である。夜になるとライトアップされ、幻想的な雰囲気になる。現役時マイナスイオンを求めて弁当持参で時々来ていたものだ。

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巽櫓は本丸から見て東南(辰巳)の濠の角にあることから名づけられた。隅角に造られた現存する唯一の「隅櫓」で、「桜田二重櫓」ともいわれている。狭間や石落としが備わっており、実戦的な櫓となっている。

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桔梗濠と巽櫓

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大手門
旧江戸城の正門で、慶長12年(1607)藤堂高虎が建造。大名や役人が本丸に登城、下城する際の正門で、枡形門形式の門となっている。元和6年(1620)外様大名の伊達政宗相馬利胤の御手伝普請で築造されたものであった。三百諸侯が威儀を正して登城した門。
東御苑入園の発券所のひとつである。発券は他に平川門と北詰橋門でも行なわれる。写真の通り門は閉じられて「月曜日と金曜日は休園日」。事前に調べて火曜日に設定したものを妻の申し出に簡単に承諾変更したことを後悔するも、いつでも来れると直ぐに切り替えて皇居の外を見学することにした。

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桔梗門
別名「内桜田門」ともいい、三の丸の南門。主に幕府の要職者が登下城する門。正月と天皇誕生日の一般参賀の時の出口の1つとなる他、事前申込による皇居一般参観の集合場所に指定されている。三の丸の南側入口にあたり、高麗門と右の渡櫓門からなる枡形形式である。

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坂下門
蛤濠二重橋濠の間に架かり、皇居外苑から皇居(旧江戸城西丸)に通じる土橋坂下門橋を渡った先にある門で、西の丸の北側入口で、高麗門とその左の渡櫓門からなる枡形形式だった。文久2年(1862)1月,老中安藤信正が水戸浪士によって襲撃され負傷した「坂下門外の変」の現場である。 乾濠越しの坂下門

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西の丸に皇居が移るとその重要な入口の一つとなり、明治18年に高麗門が撤去され、同20年に渡櫓門のみが角度を90度変え東表面を向いて建て直された。現在は宮内庁通用門となっており警備は厳重で土橋にすら入れない。正月・天皇誕生日の一般参賀の際の出口の1つとして指定されており、一般人が通れるのはこの機会以外にはない。坂下門と右奥に見えるのが宮内庁舎

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二重橋 正門鉄橋

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皇居正門から宮殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋で、正式名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。通常一般人は二重橋を渡ることはできない。ただし、事前に手続きをして皇居の参観をする場合は、鉄橋を渡ることができる。新年や天皇誕生日の皇居一般参賀時には正門が開放され渡ることができる。

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皇居前広場側から見て手前の「正門石橋」と奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。「二重橋」とは正しくは奥の正門鉄橋の呼称で、正門は普段は閉じられており、天皇の即位大礼、天皇、皇后、皇太后の大葬儀など特別な行事のある時や国賓来訪の際以外は使われない。使用される時は皇居前広場→正門石橋→正門→正門鉄橋→宮殿というルートをたどる。

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正門石門の上にある外灯

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正門鉄橋は江戸城の西丸下乗橋のあった位置で、木造橋時代に橋桁が上下二段に架けら「二重橋」と呼ばれた。手前の石橋は江戸城の西丸大手橋があった位置で、現在の石橋は明治20年の建造である。二重アーチ構造とはなっている。同じ濠に2つ重なって架かる橋だから二重橋というのだと思い込んでいた時期がある。正門石橋と伏見櫓

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相変わらず東京観光の記念撮影場所の代表の地位は不変のようだ。以前の違うのは外国からのお客さんが多いことだろうか。

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桜田門
大老・井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)で有名な桜田門。正式には外桜田門といい、枡形門が完全な形で残っている。枡形門とは防備のための二重の門。刑事ドラマには欠かせない警視庁の建物は正に桜田門の前にある。

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桜田門外の変とは万延元(1860)年3月3日、大雪の朝、井伊直弼は上屋敷から60名ほどの供を従えて登城する途上、外桜田門を目前にして水戸の藩士らに襲撃され、暗殺されたのです。高麗門様式とわかる裏からの桜田門  サイト内リンク⇒井伊直弼の墓

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木材の太さや金具が如何にも頑丈に見える。

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警視庁側から見た桜田門

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楠正成像

別子銅山開山200年を記念して住友家が企画し作製され、宮内庁に献納されたもの。1904年(明治37年)に完成した、東京都内の代表的な銅像。作成者は正成像が高村光雲、馬は後藤貞行

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楠木正成
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。鎌倉幕府からは「悪党」と呼ばれた。後醍醐天皇の側近として名和長年、結城親光、千種忠顕らとともに「三木一草」とよばれた。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880)には正一位を追贈された。

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サイト内リンク⇒湊川神社

東京駅舎北側ドーム

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四角ドームは荷物の出入り口だとか。

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化粧煉瓦の目地 中央がかまぼこ型に膨らんでいる。日本独自の技

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本日は残念ながら旧江戸城内へ入れなかったが、来月には来たいと思う。近代建築の父である辰野金吾の設計による東京駅は改めて外観駅構内含めて細かく見て行きたいと思っている。

2015年1月 7日 (水)

初詣 日本一の大黒尊天~鶴見 諸嶽山總持寺

曹洞宗大本山諸嶽山總持寺にお詣りしてきた。混雑している場所が苦手で初詣で今年初外出である。昨年より三日早い初詣とはなっている。2012年秋から近隣の神社仏閣巡りをしていて主要な寺院は参拝済みであるが、迷うこと無く總持寺を初詣先とした。

JR鶴見駅からスタート。今年は線路沿いを南下した。昨年は西口からバス通に出て南下した。ほんの僅かではあるが、膝への負担を減らしたく最短コースとした。

参道に入ると両側の特に左側の樹木が強剪定されている。大雪や強風で痛められたからなのか、その予防措置として伐採されたのかもしれないが、スカスカとして寂しい感じはある。

参道には七福神の幟旗も目立つ。

今年は開山瑩山紹瑾(佛慈禅師 弘德圓明國師 常濟大師)没後690年、第2世 峨山韶碩(大現宗猷國師)没後650年である。境内は大祖堂改修工事・二祖峨山韶碩六百五十回大遠忌記念事業の伽藍(天真閣・祥雲閣・仏殿裏地上回廊)工事が施工中で大祖堂も下の写真の通り立ち入り出来ない。

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大祖堂と仏殿の間に「エドヒガンサクラ」育苗の看板あり、三年後には立派な花が見られることだろう楽しみなことだ。

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仏殿では園児たちも御本尊である釈迦牟尼如来にかわいい両手を合わせていた。扁額は「大雄宝殿」

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仏殿にてお参りさせて頂き、香積台へ向かうこととする。写経時に焚く線香、写経用紙を求め、御朱印を頂くためである。

香積台(こうしゃくだい)(総受付)の正面奥には、木彫りで日本一大きいといわれる高さ約180センチメートルの大黒尊天がお祀りされている。

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この大黒尊天とは、もともとインドの神で、古くから寺院の守護神・飲食を司る神などとされてきた。中国で台所の神となり、日本では農産、福徳の神である大国主神と習合し温和な福の神となる。のちには開運をもたらす神々とされる「七福神」の一人として、願いを叶え福を授ける神となり、江戸時代以降お正月にこれらの神々を祀る社寺を巡拝する「七福神参り」の風習も生まれた。

  サイト内リンク⇒初詣2013~浅草名所七福神

御朱印は大黒天に向かって右側の最も入口に近い場所で受付けて下さり、目の前で丁寧に書き朱印を押して下さる。昨年も頂いたが、今年のは「二祖峨山韶碩六百五十回大遠忌」が奉拝日付の左に入る。年月日の数字と中央の「太祖常済大師」以外はスタンプ印字になっている。スタンプ使用は上野東照宮も同じであった。

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長距離歩行後ふくらはぎのこむら返りが頻発していたが予防策として事前に漢方の芍薬甘草湯を飲みバッグにも入れて望んだ。今回は歩幅を狭くし歩行距離も短縮したため歩行中は発症せずに済んだ。しかし残念ながら帰宅後自宅で寛ぎ中に発症した。神社仏閣巡りで土産を買うことは無いが今回「胡麻豆腐」を購入した。

参照;サイト内リンク⇒横浜鶴見 曹洞宗大本山諸嶽山總持寺 (平成26年1月10日参詣時)

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