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2015年2月11日 (水)

皇居東御苑~江戸城本丸・二の丸・三の丸

行幸通り(ぎょうこうとおり) 
地下鉄千代田線「二重橋前駅」下車し大手町側から地上へ。右を見ると100周年を迎え改装なった東京駅駅舎の赤レンガが見える。東京駅から皇居まで日比谷通りと交差する「行幸通り」。以前大使 交替に伴う公式行事で皇居に向かうアフリカの国と思われる外国人を乗せた儀装馬車と警備の騎馬警官の一隊を見たことがある。正式名称は「東京都道404号 皇居前東京停車場線」。皇居前の和田蔵門交差点から内堀通り、日比谷通りを横切り東京駅丸の内中央口前の広場に通じる街路である。この行幸通りは、関東大 震災の震災復興事業の一環として整備され、4列の銀杏並木を持つ皇居から東京駅へ通じる通りとして、大正15年に完成している。中央車線は天皇の行幸と信 任状捧呈式に向かう外国大使の送迎の車馬が通行する時にのみ使用される専用道となり一般車の通行は禁止された。信任状捧呈式の外国大使は車か馬車を選択で きるそうだが、ほとんどが馬車を選択するとか。

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日比谷通りを大手町方面へ歩くと「銀行協会」が嘗ての外観を残している。
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今回は「和田倉橋」を渡ることにした。渡ると噴水公園で丁度レストランがあった所が工事中である。見た目以上の大工事らしい。橋を渡った所に枡形石垣があり、橋と一体で門を構成していた。

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「和田倉噴水公園」を横切り和田倉門交差点で内堀通りを渡り巽櫓を左に見て東御苑の入口のひとつである「大手門」を目指す。下写真は桔梗濠に映る巽櫓。「櫓」は矢を格納しておく蔵の意で矢倉、矢蔵、兵庫などの字も当てられる。

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大手門 東御苑が開園しているので開いている。

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大手門後ろを見ると高麗門様式とわかる。

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突き当り築地塀前に大手門渡櫓屋根にあったという鯱が展示されている。姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物。それを模した主に屋根に使われる装飾・役瓦の一種。大棟の両端に取り付け、鬼瓦同様守り神とされた。建物が火事の際には水を噴き出して火を消すという。展示されている鯱は「1945年戦災で消失した旧大手門渡櫓の屋根に飾られていた鯱で、頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから明暦の大火(1657)で消失した後、再建された際に製作されたものと推定される。」と解説板にある。

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大手門渡櫓は平成23年3月11日東日本大震災で建物が大きく変形するなど被害がを受けたので伝統的な外観を維持し、今後想定される大規模地震にも安全性を確保出来るよう耐震補強工事をしているとのことだ。床面積367.1㎡工事期間は平成27年9月までの予定で現在シート等で覆われている。

工事中の大手門渡櫓を潜り左手へ発券所にて白いプラスティク製入園券を貰い入園する。手前で財布を出そうとしている外国人がいた。無料で入園できるということは余り知れ渡っていないらしい。券の裏は英文で"Admission Ticket Please return this ticket at the exit"とある。退園時に返却するシステムになっている。無料なのにこの様なコストを掛けて入園券を発券している。閉園時間後入園券の回収が不一致の場合まだ園内に居ることになり探して摘み出す為んのか、一定数以上入園制限する為なのか理由を知りたくなる。

三の丸尚蔵館の手前に八重咲きの桜が咲いている。「ジュウガツザクラ」だ。これをよく冬に咲いている桜だから「フユザクラ」と言う人がいるが正式ではない。「フユザクラ」は一重咲きである。

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この時期「ボケ」の花も見つけると嬉しくなるものだ。

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三の丸尚蔵館

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宮内庁所管の美術品、絵画など貴重な品々を展示している。1993年開館。入館料は無料。

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1月10日から3月8日まで「明治天皇 邦を知り国を治める ー近代の国見と天皇のまなざし」というタイトルで近代国家として歩み始めた我が国を明治天皇が明治5年九州・西国を皮切りに全国を巡行されており写真などその記録が展示されている。

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 右側つまり大手門に近い建物が「宮内庁病院」天皇・皇族に加えて、宮内庁・皇宮警察本部の職員とその家族、さらに職員の紹介を受けた者のみが受診可能とされている。皇族の多くが治療や出産の際にこの病院を使っており、皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王、眞子内親王、佳子内親王、敬宮愛子内親王はこの病院で誕生している。

尚蔵館の前の緑色の屋根の建物は済寧館(さいねいかん)皇宮警察の武道館。明治天皇の命で明治16年に竣工。館名は「詩経」大雅文王篇「済々たる多士、文王以て寧し」から採られた。華族、宮内官、皇宮警察官の武道稽古に使用されている。尚蔵館の前に入口があるが一般はオフリミット。

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尚蔵館を出て右へ進むと「大手休憩所」でトイレ記念品土産など売店もある。そこに欲しかった東御苑の案内パンフレットが配布用に置かれている。外国語のも用意されている。よく見ると「宝くじの社会貢献広報事業としての助成」で作成されたものとある。宝くじはボランティア活動していた緑地の苗木助成やパンフレット制作の助成もあり幅広くやっているのだと驚いた。

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東御苑はかつての江戸城の本丸などがあった場所で、明治時代から戦前までは宮内庁や皇室関連の施設があった。戦後の1960年に閣議決定により一般公開される運びになり、1963年に特別史跡に指定、1968年から一般公開されるようになったものである。面積約21万㎡の庭園で2014年7月27日に開園以来の来場者数が2500万人を達成された。

同心番所 警備の詰所。「同心」が詰め主として登城する大名の供の監視にあたっていた。以前はこの番所の前に橋があり、御三家を除くすべての大名・役人はここで乗り物から降りて徒歩で本丸へ登った。同心とは江戸幕府の下級役人のひとつ。諸奉行・京都所司代・城代・大番頭・書院番頭・火付盗賊改方などの配下で、与力の下にあって庶務・見回などの警備に就いた。

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巨大石による石垣

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百人番所 大手三の門を抜けたところの左手にあるのが、長さ50メートルを超える百人番所です。江戸城本丸御殿最大の検問所でした。鉄砲百人組と呼ばれた根来組、伊賀組、甲賀組、廿五騎組の25名による4交代で詰め忍者が警護を担っていた。

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ミツマタ 開花はもう少し先になりそう。

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果樹古品種は皇后陛下が提案されて実現。写真の日本最古の甘柿の品種と言われている「禅寺丸」柿であることから「王禅寺丸」と呼んでいたが、元禄の頃より単に「禅寺丸」と呼ばれるようになったとされる。晩生の品種であり、果実はやや小さい。果皮色は赤い。

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シナマンサク

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富士見櫓 江戸城旧本丸の南東端に位置する櫓で現存唯一の三重櫓。天守閣が明暦三年の大火で焼失した後は再建されなかったので富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられている。どの方向からも同じ形に見える為八方正面の櫓とも呼ばれたという。写真は北東からフェンス越しの撮影。来月皇居参観時には南や西からの富士見櫓を見るのが楽しみである。

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松の大廊下跡 赤穂義士討入の原因となった元禄14年(1701)3月14日浅野内匠頭長矩による吉良上野介義央への刃傷事件「殿中でござる!」のあった所。廊下に沿った襖戸に松と千鳥が描かれていたのが「松の大廊下」の由来。江戸城で2番目に長い廊下で板敷きではなく畳敷きの立派な廊下であった。

サイト内リンク⇒赤穂義士廟所泉岳寺   都指定旧跡吉良邸跡~本所松坂町公園

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富士見多聞 
多門とは防御を兼ねて石垣の上に設けられた長屋造りの建物で「多聞長屋」とも呼ばれる。鉄砲や弓矢を格納し、戦時には格子窓を開けて狙い撃つことができた。名称の由来は、最初に松永久秀が多聞城にこの長屋形式の櫓を建てたことからと楠正成が渡櫓内に多聞天を祀ったからなど言われている。金沢城では「三十間長屋」「五十間長屋」というように多聞櫓を長屋と称し、熊本城では十四間櫓や北十八間櫓と長さで称している。櫓の間を繋ぐように建てられたものは「渡櫓」という。門の上のものは「櫓門」、櫓門から連続した多聞櫓は「続櫓」と呼ばれる。平時には住居や物置も兼ね、江戸城のように武士の名簿を保存してあったという例もある。写真は西側からのもので、来月予定している皇居参観で坂下門や宮内庁庁舎など南側から見るのが楽しみだ。

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石室 抜け穴、金蔵など諸説ある。大奥御納戸の脇にあることから非常時の大奥用調度などを保管していた場所と考えられている。内部は20㎡あり、伊豆半島産安山岩である伊豆石で造られていて、天井には長い石の板が使用されている。

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桃華楽堂 香淳皇后の還暦を祝い、1966年に建てられた音楽堂。八角形の建物で屋根はテッセンの花弁を形どっている。八つある壁面は各面ともに大きく羽ばたく鳥を中央に、それぞれ日月星、松竹梅、楽の音などをイメージした図柄が陶片で描かれている。香淳皇后のお印である「桃」にちなんで命名されたもの。

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書陵部庁舎 40万点に及ぶ皇室関係の文書や資料などの管理と編修、また全国に存在する陵墓の管理を行っている。

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天守台 慶長11年(1606)の家康、元和8年(1622)の秀忠、寛永15年(1638)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であった。かつて天守閣は地上から58メートル建物は45メートル外観5層、内部6階建てであった。明暦の大火で消失後、再建の話もあったそうだが、平和な時代に不要論が幅を利かせ沙汰止みになっている。城のシンボルであり、建造費用は莫大かも知れぬが、得るもの受けるものは更に膨大と考える。再建実現を期待している。

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天守台から北の丸にある「武道館」を望む。武道館の屋根の傾斜は富士山を象徴しているとか。天守台には明治15年(1882)当時の気象台が設けられ大正12年大手町に移転するまで風速計など設置されていた。

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天守台の石垣 地震で歪んだのか

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天守台前の桜 蕾が春を待っている。

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天守台から本丸跡と大奥跡 昭和天皇崩御され大喪の礼は新宿御苑で行われ今上(きんじょう)天皇即位時の「践祚大嘗祭」は本丸跡で執り行われたそうである。

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天守台 南東から望む

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汐見坂 ここから海が見えていた。地震の影響かかなり凸凹があり、石垣にネットが張られている。

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汐見坂石垣修復 新しい石を入れ修復された石垣

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白鳥濠

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白梅 全国から寄せられた「都道府県の木」や「雑木林」もあり、歩いていると都心であることを忘れてしまう。植物観察会なども開催されているようなので、春や秋にも来園したいものだ。

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二の丸庭園「諏訪の茶屋

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日本庭園

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ヒレナガコイ

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菖蒲田 明治神宮菖蒲田から株分けとのことだ

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正門石橋に掲げられていた電飾燈

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ソシンロウバイ」が綺麗に咲いていて若者グループがしきりにシャッターを押していた。春を告げる佐保姫の使いはここには来たらしい。

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大手門から退園し桔梗濠こしに見える「旧枢密院」の建物。 今皇宮警察の本部に使用されているそうだ。

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初めての東御苑は内容アクセスなど大変よくて、有料でも入りたくなるものであった。二の丸庭園は花期に合わせて観察に来てみたい。3月の皇居参観を楽しみにしている。

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