« 茗荷~今年初収獲 | トップページ | 夏野菜収獲~茄子、隠元豆、ピーマン、トマト »

2015年7月14日 (火)

目白不動詣~神霊山金乗院慈眼寺~高田馬場駅から徒歩

株主総会や雨天延期などのため40日ぶりの史跡めぐりである。梅雨明のような猛暑日で飲料や帽子など暑さ対策を講じて出掛けた。

5月に訪れた目黒不動尊に引き続き、今回は目白不動尊を参拝する。JR山手線高田馬場駅からのスタート。久しぶりの高田馬場である。以前に比べて居酒屋やカラオケ店が増えたように思う。

戸塚警察署を最初のランドマークで、順次神田川の高戸橋、都電学習院下、高南小学校の東隣りが目的地の目白不動・・・。いつもの様に頭に地図を叩き込み歩いた。学生時代高田馬場駅からキャンバスまで歩いたが、最短距離以外のルートは殆んど歩いていないので今回のはストレンジャーと同じである。

高戸橋交差点
高戸橋交差点で信号待ちを利用して小休止して水分補給、ついでにリュツクからカメラを出して撮影開始した。明治通りと新目白通りが交差しているのだが、都区内で車の運転はしないので全く認識なし。「高戸」とは豊島区「高田」と新宿区「戸塚」の両町名を合成したものと考えられている。場所は新宿区と豊島区の境目である。

Img_7398
交差点を渡ると神田川である。かぐや姫の「神田川」のメロディーが頭の中で流れて来てしまう。
神田川は井の頭池に源を発し東へ流れ、台東区、中央区と墨田区の境界にある両国橋脇で隅田川に合流する。流路延長24.6km、流域面積105.0km²と、東京都内における中小河川としては最大規模で、都心を流れているにも拘らず全区間にわたり開渠であることは極めて稀。

神田川分岐水路
東京都杉並区の妙正寺公園内妙正寺池に源を発し、途中中野区松が丘二丁目で江古田川を合わせ、新宿区下落合一丁目の辰巳橋付近で神田川高田馬場分水路経由でがここで神田川本流に合流しいる。

Img_7400

高戸橋から前方に見えていた都電「学習院下駅」 丁度三ノ輪橋行きと早稲田行きが並んでいた。

Img_7402

高南小学校に隣接しているのが目的のお不動さんのはずだが、金乗院の塀か?予想外広大さに驚かされる。後でわかったのであるが、建物は客殿・庫裏だそうである。

Img_7404
山門 約200年前の建立。昭和63年に檀徒の寄進により往時の銅板葺きに復元改修された。

Img_7409

門の扁額は山号。神霊山金乗院慈眼寺が正しい名称である。

Img_7417
山門左に建てられている教育委員会による解説板。真言宗豊山派寺院、開山永順が本尊の聖観世音菩薩を勧請して観音堂を築いたのが草創・・・。・・・護国寺の末寺、江戸三大不動・江戸五色不動。目白の号は三代将軍徳川家光の命によるといわれている。

Img_7410
「宿坂道」の解説板もある。 天保7年(1836)出版「江戸名所図会」には金乗院とともに「宿坂関旧址」が描かれている。金乗院裏門辺りにわずかな平地があり、立丁場と呼ばれ、昔関所があった跡であるとの伝承が記されている。・・・宿坂の関は関東お留の関で鎌倉街道の道筋にあったといわれている。鎌倉街道は高田馬場から雑司が谷鬼子母神方面へ抜ける街道・・・。江戸時代は竹木が茂り昼なお暗く暗闇坂と呼ばれ狐や狸が出て通行人を化かしたという話が伝承されている。

Img_7411
山門右手の石塔等

Img_7414
境内に入ると中央に本堂が左に客殿・庫裏、右手高台に不動堂。本堂裏手高台は墓地。
本堂…聖観世音菩薩などが祀られている。扁額は山門と同じく山号「神霊山」

Img_7406
不動堂階段をのぼっていく。

Img_7420
扁額

Img_7419
不動堂堂宇右前におわします石像 頭巾、前垂は真新しく綺麗だ。

Img_7422

目白不動尊は、元々は当寺院のものではなく、1キロほど離れた関口駒井町(現在の文京区関口)にあった新長谷寺という寺院にあった。後で頂く御朱印にも反映されている。

新長谷寺(しんちょうこくじ)は、山号を東豊山(とうぶさん)といい真言宗豊山派の寺院であった。当寺院にあった不動明王像は唐から帰ってきた弘法大師が出羽・湯殿山(一説には羽黒山)に行き修行を行っていた際に造られたといわれている像。参拝時お堂の中を見ようとしたが見ることはできなかった。下は頂いた栞の写真。

Img239
新長谷寺はその後第二次世界大戦による戦災で壊滅な被害を受け、1945年(昭和20年)に廃寺となってしまった。本尊の目白不動は金乗院に移された。

倶利伽羅不動庚申 寛文6年(1666)不動明王の法形を現した大変珍しい庚申塔

Img_7406_2
青柳文蔵の墓…江戸時代の公事師(現在の弁護士・司法書士などに近い職業)。仙台に1831年(天保2年)日本で最初の公共図書館といわれている『青柳文庫』を創設した。

Img_7426

丸橋忠弥の墓…江戸時代の武士で、由井正雪と共に慶安の変(江戸時代初期に起きた幕府転覆事件)に加担したとして処刑された。本姓は長宗我部秦氏で丸橋は出羽出身乳母の家を継いだため。宝蔵院流槍術の大家。

Img_7427
墓地からの坂道

Img_7430

客殿・庫裏 平成10年に再建。

Img_7405
客殿・庫裏の扁額は寺名「慈眼寺」

Img_7431
左橋の通常口から寺務所へ。御朱印をお願いした。

Img238

鐔塚 寛政12年(1800)建立。刀剣の供養塔

Img_7432
帰りは金乗院東の坂を上り、学習院の街を抜けてJR目白駅から帰路へ。

Img_7433
気温の割に歩き通すことができたのは風のお蔭か。



« 茗荷~今年初収獲 | トップページ | 夏野菜収獲~茄子、隠元豆、ピーマン、トマト »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/60760303

この記事へのトラックバック一覧です: 目白不動詣~神霊山金乗院慈眼寺~高田馬場駅から徒歩:

« 茗荷~今年初収獲 | トップページ | 夏野菜収獲~茄子、隠元豆、ピーマン、トマト »