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2015年10月22日 (木)

鎌倉史跡巡り~本覚寺・妙本寺・常栄寺

本覚寺
永享8年(1436)建立、日蓮宗の本山(由緒寺院)。山号は妙厳山。本尊は釈迦三尊像

この場所は鎌倉幕府の裏鬼門にあたり、源頼朝が鎮守として夷堂を建てた所であり、日蓮が佐渡配流を許されて鎌倉に戻り、布教を再開した際に住まいにしたと伝えられている場所。

その後鎌倉公方足利持氏がこの地に寺を建て日出に寄進したもので、二代目住職の日朝が身延山への参詣が困難な老人や女性のために身延山から日蓮の骨を分けたので「東身延」と呼ばれる所以である。

元々は中本山であったが昭和49年に本山(由緒寺院)に昇格している。

日朝は「眼を治す仏」といわれ、本覚寺は眼病に効く寺「日朝さま」の愛称で知られている。十月には「人形供養」、正月には福娘がお神酒を振舞う「初えびす」でにぎわう。名刀工「正宗」の墓がある。

山門(仁王門) 江戸時代のもの。明治初期に三浦半島の寺院より移したという。

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夷堂 前身となった天台宗の夷堂は、本覚寺の創建時に境内に移されたが、明治の神仏分離令によって寺とは分離され、地区の七面大明神、山王台権現を合祀して蛭子神社(えびすでなくひるこじんじゃ)となった。昭和56年(1981年)に本覚寺境内に再び夷堂が再建された。

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鐘楼 応永17年(1410年)銘の梵鐘がある。日出が木更津八幡宮の別当寺で法論に勝ち、従者に持ち帰らせたと伝えられている。

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日蓮御分骨堂 身延山より移した日蓮の分骨を祀る。

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斜めから見た日蓮御分骨堂 威厳ありながら気品がある。

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分骨堂横に黄色の柵があるように本堂は工事中

夷堂橋

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本覚寺門前の滑川に架けられている橋は「夷堂橋」と呼ばれ、鎌倉十橋の一つに数えられる。

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鎌倉十橋
鎌倉を流れる滑川・逆川・山ノ内川などにかかる橋のなかで、古くから伝説が残る十の橋のこと。十井などと同じく、江戸時代になって言われるようになった由。
①歌ノ橋 ②夷堂橋 ③勝ノ橋 ④ 裁許橋 ⑤ 逆川橋 ⑥ 十王堂橋 ⑦ 筋違橋 ⑧ 針磨橋 ⑨ 琵琶橋 ⑩ 乱橋

長興山妙本寺
文応元年(1260)建立 日蓮聖人を開山に仰ぐ、日蓮宗最古の寺院。開基は、比企能員の末子で、順徳天皇に仕えた儒学者比企大学三郎能本

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比企の乱の時、まだ幼少で京都にいたため生き延びたのが比企大学三郎能本で、能本は、鎌倉の町に立って生命がけの布教をされている日蓮聖人に出会い、「わが一族の菩提を弔って下さるのは、このお聖人しかいない!」と決心し、自分の屋敷を日蓮聖人に献上したのが妙本寺の始まりと言われている。

日蓮聖人は、文応元年(1260年)比企能本の父・能員と母に「長興」、「妙本」の法号をそれぞれ授与し、この寺を「長興山 妙本寺」と名付けられた。

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この辺一帯の谷を比企谷といい、源頼朝の重臣・比企能員らの屋敷があった。比企一族は二代将軍頼家の後継者争いの際、北条氏を中心とした軍勢にこの地で滅ぼされた。

惣門

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総門の屋根 木組みや装飾金具も美しい

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方丈門

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階段を上ると奥に本堂、手前に寺務所が見えてくる。

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本堂 なんとも雅で美しい

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寺務所

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寺務所と本堂の間に展示されている屋根瓦

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本堂の屋根

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本堂右手にある 七重石塔

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鐘楼

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二天門 持国天と多聞天の二像が安置されている。

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二天門右手に建つ石碑

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二天門正面を飾るカラフルな浮彫

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獅子や象の彫刻も

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二天門の持国天象

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祖師堂Img_7860jpg
祖師堂の屋根木組

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日蓮上人立像

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祖師堂左奥高台墓地入口あたりから見た祖師堂

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蛇苦止堂 方丈門手前をひだりに進み突き当り 二代将軍源頼家の側室であった若狭局(能員の娘)は、家宝を抱えて井戸に飛び込み自害したと伝えられている。
  『吾妻鏡』によれば、1260年(文応元年)、北条政村(のちの七代執権)の娘は、比企判官能員の娘に祟られ、蛇のような狂態を見せるようになったが、鶴岡八幡宮の隆弁による加持祈祷によって快復した。 のちに政村は、比企の邸跡に、若狭局を蛇苦止明神として祀る社を建立したという。それが蛇苦止堂といわれている。

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常栄寺
創建は1606年(慶長11年)。

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 開山の日詔が開設した宝篋院檀林という僧侶の学問所だったが、のちに檀林は武蔵の池上本門寺に移された。 鎌倉時代、この地に住んでいた「桟敷の尼」が龍ノ口刑場(藤沢市片瀬)へと護送されていく日蓮に「胡麻入りのぼた餅」を捧げたという伝説から「ぼたもち寺」と呼ばれている。 寺号は「桟敷の尼」の法号「妙常日栄」にちなんだもの。 日蓮が法難に遭った9月12日には、「ぼたもち供養」(龍口法難会)が行われる。

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寺社仏閣を巡るときの楽しみのひとつが御朱印を頂くことであるが、本日は御朱印帳を持参し忘れていて残念なことである。次の機会の楽しみに残しておこう。

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