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2016年4月

2016年4月 5日 (火)

旧准勅祭社十社王子神社と王子の狐で有名な王子稲荷

王子神社前の公園の整備は素晴らしい。

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御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」。 飛鳥山からの王子権現様。
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創建は詳らかでないが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていた。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれている。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれている。

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徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。
三代家光公は寛永11年(1634年)、新たに社殿を造営、林羅山に命じて縁起絵巻「若一王子縁起」三巻を作らせて当社に寄進しました。その後も五代綱吉公が元禄16年(1703年)、十代家治公が天明2年(1782年)、十一代家斉公が文政3年(1820年)と造営修繕された社殿は秀麗な権現造りで、境内には神門、舞殿などをそなえ、摂末社も17社を数えていました。
特に八代吉宗公は紀州徳川家の出自で、この地に紀州ゆかりの当社があることを大いに喜び、元文2年(1737年)に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて江戸庶民遊楽の地としました。これが今に残る花の飛鳥山(現 飛鳥山公園)の基となったもので、現在も桜の季節には多くの花見客で賑わっています。

明治元年、明治天皇は新たに首都となった東京を守護し、万民の安寧を祈るため、准勅祭社を定めました。当社もこの東京十社に選ばれ、以来、東京の北方守護として鎮座しております。
戦前は「太田道灌雨宿りの椎」と伝えられる巨木を始め、多くの樹木が茂り、勝海舟も修行したと伝えられますが、戦災で東京都指定天然記念物の大イチョウを残し、ほとんどを焼失したことは誠に残念なことです。

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末社 関神社
全国でも珍しい「髪の祖神」。御祭神は百人一首でも有名な蝉丸公で、姉「逆髪姫」のために髢・鬘を作ったという伝説により、髢、鬘や床山業界の方々の信仰厚い神社です。また蝉丸公は琵琶の名手でもあり「音曲諸芸道の祖神」としても崇敬されています。戦災で焼失したものを、髢、鬘、床山、舞踊、演劇などの関係業界の御尽力により、昭和34年に再建されました。境内には毛髪報恩のための毛塚も建立されています

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王子稲荷
東国三十三国稲荷総司との伝承を持ち、落語『王子の狐』でも有名。関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきました。 大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあります。

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狐様

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神楽殿

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拝殿

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正面鳥居

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お石様 持ち上げようとしたが腰に響きそうでやめた。

Dscf9965 狐様の祠穴

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年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっています。 また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれています。
国認定重要美術品の「額面著色鬼女図」、谷文晁の龍図を所蔵しています。 境内にある「狐の穴跡」は、落語「王子の狐」の舞台にもなっています。

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御朱印 三百円お納めしようと用意していたら四百円と言われた。

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飛鳥山散策

江戸時代から庶民の花見の名所である飛鳥山は話には聞くが訪れたことがなかった。昨年花見のシーズンにテレビで紹介しており、来年は飛鳥山の桜を見ると家族に宣言していたものである。

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JR王子駅で下車、目の前に飛鳥山があり、よくありがちな道に迷いようがない。山とあるが丘の上がフラットで花を植樹したように見える。ケーブルカーのような乗り物が飛鳥山山頂に運んでくれる。なんと無料で、ジジババ達で大行列を作っていたので敬遠し、鍛えている脚を使いのぼることにする。

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昨日が雨で、地面は濡れている。今日もはっきりしないが、大丈夫と天気男の自信でやってきている。

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徳川吉宗享保の改革の一環として整備・造成を行った公園として知られる。吉宗の治世の当時、江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、花見の時期は風紀が乱れた。このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めたという。開放時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行ったそうである。

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桜賦の碑 - 1881年(明治14年)建立。佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟勝海舟の意で碑にしたもの。桜の賦(ふ)は、松代藩士で儒者であったが、後に西洋の学問を学び進歩的考えをとなえ、明治維新前後の日本に大きな影響を与えた佐久間象山(さくましょうざん)の作である。この賦で象山は、桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人々の心を動かし、日本の全土に壮観を呈しその名声は印度、中国にまで響き、清く美しいさまは他に比類がないと云い、当時象山は門弟吉田松陰の密出国の企てに連座(れんざ)松代に蟄居(ちっきょ)中であったので、深山幽閉中で訪れ来る人もないが自ら愛国の志は堅く、この名華の薫香のように遠くに聞こえると結んでいる。
この賦は象山50歳(万延元年1860)の作と云われ2年後の文久2年(1862)孝明天皇の宸賞(しんしょう)を賜った。象山は蟄居赦免(ほうめん)となり翌年京に上り皇武合体開国論を主張してやまなかったが一徹な尊皇攘夷(そんのうじょうい)論者によって刺され、元治元年(1864)7月11日54歳の生涯を閉じた。この碑は遺墨(いぼく)をもとに門弟勝海舟の意によって同門北沢正誠(まさなり)の文で書は日下部鳴鶴(くさかべめいかく)である。明治14年11月15日と刻まれている。この下に挿袋(そうたい)石室が埋蔵されている

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享保5年(1720) - 徳川吉宗がサクラの苗木を植える整備を行う。
元文2年(1737) - 江戸庶民に一般開放。
明治6年(1873) - 太政官布達により、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定。

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児童エリア

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北区飛鳥山博物館
    地域の郷土資料を展示する博物館。

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紙の博物館
    世界でも有数の紙専門の博物館。日本最初の洋紙工場だった旧王子製紙(1949年分割)の収蔵資料を引き継ぎ、1950年に製紙記念館として設立。1998年に飛鳥山公園内に移転。

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他に同地に本邸を構えていた実業家渋沢栄一に関する資料を収蔵展示する博物館もある。

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降り口を探していたら「あすかパークレール」の乗り口に出た。幸い待っている人も少数なので待つことにした。車窓から撮影した王子駅周辺。

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時計台も情緒がある。

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多目的広場

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陸橋から都電を撮影。中国からの旅行者も熱心に撮影していた。

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満開の桜を堪能できた。来年は隅田川の桜を愛でたいと希望している。

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