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2016年4月 5日 (火)

飛鳥山散策

江戸時代から庶民の花見の名所である飛鳥山は話には聞くが訪れたことがなかった。昨年花見のシーズンにテレビで紹介しており、来年は飛鳥山の桜を見ると家族に宣言していたものである。

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JR王子駅で下車、目の前に飛鳥山があり、よくありがちな道に迷いようがない。山とあるが丘の上がフラットで花を植樹したように見える。ケーブルカーのような乗り物が飛鳥山山頂に運んでくれる。なんと無料で、ジジババ達で大行列を作っていたので敬遠し、鍛えている脚を使いのぼることにする。

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昨日が雨で、地面は濡れている。今日もはっきりしないが、大丈夫と天気男の自信でやってきている。

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徳川吉宗享保の改革の一環として整備・造成を行った公園として知られる。吉宗の治世の当時、江戸近辺の桜の名所は寛永寺程度しかなく、花見の時期は風紀が乱れた。このため、庶民が安心して花見ができる場所を求めたという。開放時には、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設け、名所としてアピールを行ったそうである。

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桜賦の碑 - 1881年(明治14年)建立。佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟勝海舟の意で碑にしたもの。桜の賦(ふ)は、松代藩士で儒者であったが、後に西洋の学問を学び進歩的考えをとなえ、明治維新前後の日本に大きな影響を与えた佐久間象山(さくましょうざん)の作である。この賦で象山は、桜の花が陽春のうららかな野山に爛漫と光り輝き人々の心を動かし、日本の全土に壮観を呈しその名声は印度、中国にまで響き、清く美しいさまは他に比類がないと云い、当時象山は門弟吉田松陰の密出国の企てに連座(れんざ)松代に蟄居(ちっきょ)中であったので、深山幽閉中で訪れ来る人もないが自ら愛国の志は堅く、この名華の薫香のように遠くに聞こえると結んでいる。
この賦は象山50歳(万延元年1860)の作と云われ2年後の文久2年(1862)孝明天皇の宸賞(しんしょう)を賜った。象山は蟄居赦免(ほうめん)となり翌年京に上り皇武合体開国論を主張してやまなかったが一徹な尊皇攘夷(そんのうじょうい)論者によって刺され、元治元年(1864)7月11日54歳の生涯を閉じた。この碑は遺墨(いぼく)をもとに門弟勝海舟の意によって同門北沢正誠(まさなり)の文で書は日下部鳴鶴(くさかべめいかく)である。明治14年11月15日と刻まれている。この下に挿袋(そうたい)石室が埋蔵されている

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享保5年(1720) - 徳川吉宗がサクラの苗木を植える整備を行う。
元文2年(1737) - 江戸庶民に一般開放。
明治6年(1873) - 太政官布達により、上野公園・芝公園・浅草公園・深川公園と共に日本最初の公園に指定。

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児童エリア

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北区飛鳥山博物館
    地域の郷土資料を展示する博物館。

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紙の博物館
    世界でも有数の紙専門の博物館。日本最初の洋紙工場だった旧王子製紙(1949年分割)の収蔵資料を引き継ぎ、1950年に製紙記念館として設立。1998年に飛鳥山公園内に移転。

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他に同地に本邸を構えていた実業家渋沢栄一に関する資料を収蔵展示する博物館もある。

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降り口を探していたら「あすかパークレール」の乗り口に出た。幸い待っている人も少数なので待つことにした。車窓から撮影した王子駅周辺。

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時計台も情緒がある。

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多目的広場

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陸橋から都電を撮影。中国からの旅行者も熱心に撮影していた。

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満開の桜を堪能できた。来年は隅田川の桜を愛でたいと希望している。

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