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2016年7月29日 (金)

書寫山圓教寺(しょしゃざんえんぎょうじ)

姫路駅からスタート。神姫バスに乗りいざ書寫山へ。駅からも見えていた改修工事を終えて真っ白白鷺になった姫路城がどんどん大きく見えてくる。

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姫路城には書寫山圓教寺の帰りにパワー残量次第で立ち寄ることとする。

30分弱で書寫山が見えてきた。ロープウェイも見える。バスの乗客のマナーがとても好印象である。中でも下車時に運転手さんに感謝の言葉を言って降りていることだ。

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パンフレットによるとロープウェイ山頂駅までの所要時間は3分50秒、高低差は210.87m。姫路市営のようだが、従業員が必要以上に多く感じた。繁忙期用に採用しているのだろう。

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山上駅 

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志納所にて500円を納める。本坊寺務所裏までバスの便があるが、歩くことにする。同所で頂いたマップは重宝した。

Img274 東坂の両側には三十三観音像が居並ぶ西国巡礼の道になっている。
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三十三観音をご一体毎に拝み撮影して緩やかな参道を上っていく。途中姫路市内を望める絶景の場所もあったりで七十間近の爺様にも楽しく仁王門へ導かれた。

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仁王門

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約5分程歩くと平安末期に平家打倒を目論む後白河法皇が7日間参籠したと伝えられ山内でも最も格式の高い塔頭である壽量院。事前予約で精進料理が戴けるそうだ。

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参道で見掛けた石仏群 

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圓教寺会館 (金輪院跡)  林間学校の宿舎にもなっているらしい。境内で元気な子供たちの挨拶を受けて爺様も元気になったものだ。

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一際端正な建物 十妙院と思われる。壽量院をモデルに建立されていて左右逆ながらほとんど同じ平面構成で圓教寺独特の塔頭形式。平成8年半解体修理が行われた後は、圓教寺の迎賓館として用いられているそうだ。狩野永納作の襖絵でも注目だが、普段は公開されていない。

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弁慶のお手玉石 護法石の言い伝えもある。

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湯屋橋 お手玉石の近く石橋 近くに沐浴所があったそうな。「黒田官兵衛」ゆかりの地の幟旗も立つ。奥の「はづき茶屋」では参拝後に山菜うどんをいただいた。

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摩尼殿下 京都の清水寺のような印象

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摩尼殿柱組

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階段を上りと摩尼殿

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靴を脱ぎ中へ。お参りして御朱印を頂き、記念に線香(\1600)を買い求めた。

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現在写経時に使用している横浜鶴見曹洞宗本山總持寺にてもとめたものと同じ沈香らしい。

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摩尼殿の舞台 床は外側へ向い傾斜があるようで最初怖くかんじられた。

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「三つの堂」へは摩尼殿の右奥の通路を行く。

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途中に大仏様がおわします。

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橙色の「スミレモ」の解説案内あり。水中に生えるアオノリと同じ仲間

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三つの堂へ到着。静謐の中に凛とした緊張感が漂っている。ハリウッド映画トム・クルーズ、渡辺謙出演「ラストサムライ」、NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」、日本映画「駆込み女・駆出し男」、「黒衣の刺客」などのロケ地となったことが頷ける雰囲気を持っている。右から常行堂(じょうぎょうどう)、食堂(じきどう)、大講堂(だいこうどう)

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手前にある本田家廟所を先に見ることにする。

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本田忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の墓。忠政が池田家のあとに姫路城主となりその子である政朝が引き継ぎ、忠国は二度目の城主として福島より入封した。

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大講堂 花山法皇の勅願により創建されたもので書写山圓教寺の本堂にあたる。釈迦三尊像あり、国指定重要文化財。

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食堂 後白河法皇の勅願により創建。国指定重要文化財。二階建で、現在宝物館として使用されていて中で仏像など展示されている。僧侶が常駐していて御朱印もお願いできる。

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展示されている「不動明王」

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文殊菩薩像

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書写塗

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御朱印

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常行堂  本尊は阿弥陀如来で僧侶が常行三昧(ひたすら阿弥陀仏の御名を唱えながら本尊の周りを回る修行)をするための道場であった。国指定重要文化財で、北側の大講堂の釈迦三尊像に舞楽を奉納するための舞台が設けられている。上がろうとしたら「写経中につきお静かに」の貼り紙がありやめた。

奥の院へ向かう。途中にある鐘楼。袴腰付きで腰組を持つという由緒正しい鐘楼だ。

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榊原家の墓 江戸時代初期と中期に二度にわたり姫路城主となっている。

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松平直基の墓所 家康の孫で慶安元年(1648)姫路城主に命じられたが、山形から移封途上の江戸で発病死去。後に直基の子の松平直矩が城主となってからここに分骨された。

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根本薬師堂 正面一間、側面二間の宝形造り。根本堂とも呼ばれ書写山圓教寺に現存する最古の遺構。

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立派な築地塀で大切に囲まれている石仏 特に解説表示板等ないが気になるので撮影した。

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瀬戸内海を展望 家島群島なども確認できた。条件がよいと淡路島はもとより四国も望めるとか。

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金剛堂

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石垣の苔

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開山堂・刀出坂・金剛堂の案内板 西の比叡山といわれるだけの雰囲気がある。湿度の高さも伺える。

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「奥の院」への入口階段

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不動堂

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開山堂と神社護法堂 性空上人が寛弘四年(1007)98歳で亡くなった後、弟子の延照が創建、以来今日まで法灯を守り朝夕欠かさず勤行が行なわれている。

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護法堂拝殿 護法堂と向い合って建つ、俗に「弁慶の学問所」とも呼ばれ、弁慶が書寫山で修行していた時の勉強机が残っている。

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奥の院を出て東側を見ると近くに食堂が見える。ぐるっと回ってきたが三つの堂の裏側が奥の院であったのだ。食堂の北側大講堂との間に「弁慶の鏡井戸」という案内表示がある。

それによると昼寝をしていた弁慶の顔に喧嘩好きの信濃坊戎円がいたずら書きし、大勢の小法師たちと大声で笑った。目を覚ました弁慶はこの井戸に映る顔を見て激怒し喧嘩となり、それがもとで大講堂など山内の堂宇を焼き尽くしてしまったといわれている。

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帰りは南側の別ルートへ 途上林間学校の生徒達2~3百人から挨拶と元気を貰った。

大黒堂

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瑞光院 山門に通じる苔むしたスロープのアプローチと今にも崩れそうな土塀と共に趣があり心を奪われた。西国霊場巡りの参拝者の宿坊のひとつだったそうである。秋の紅葉が似合う。

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坂道をブレーキを効かせながらの歩行に疲れ始めた時左側の崖上に小さなお地蔵様が揃いの赤い装いで励ましてくれた。

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摩尼殿下に到着、水分補給し時計をみると11時55分。はづき茶屋にて腹ごしらえをした。

妙光院 宿泊休憩施設として一般の家族連れにも開放されている。仏間からの庭が見どころらしい。

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バス道を通りロープウェイ山上駅へ もみじの木が多く秋の紅葉も良さそうだ。

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