« 七国山風致地区散策 | トップページ | 曹洞宗徳雄山瑞雲院建功寺 »

2016年9月14日 (水)

渋谷の地名の由来となった金王丸神社~「算額」で脚光

冲方丁の小説「天地明察」で話題の金王八幡神社を訪ねた。下北沢で京王井の頭線に乗り換えて、終点「渋谷駅」で下車。何年ぶりか思い出せない位に久しぶりの渋谷駅である。工事中の場所も多くて思った場所にすんなりと行けない。

大鳥居 本日から2日間、例祭が行なわれている。

Dscf0679_2

神輿庫か

Dscf0680
二の鳥居

Dscf0677

神門

Dscf0676
扁額

Dscf0670

手水舎

Dscf0671

ご神木

Dscf0664

拝殿  社伝によれば寛治6年(1092)現在の渋谷の地に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとされる。江戸時代には徳川 将軍家の信仰を得、特に3代将軍徳川家光の乳母春日局は神門、社殿を造営したとされる。なお、江戸時代末期まではこの神社に隣接する東福寺(天台宗)が別 当寺であった。当初は渋谷八幡と称していた。社名にある「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王 丸と称したことによるとされる。金王八幡宮が渋谷城の跡地だと言われている。

Dscf0657
神楽殿

Dscf0663

金王丸御影堂

Dscf0666
渋谷城の歴史は、八幡太郎の通称で有名な源義家が河崎基家に渋谷を与え、その孫にあたる金王丸(こんのうまる)が渋谷城の地で育ち、源義朝(頼朝の父)に仕え、義朝が平治の乱(1160年)に敗れ、敗走中に殺されると、自身は京都へ向かい僧となって主君を弔ったとされます。

当神社は冲方丁(うぶかたとう)氏の時代小説「天地明察」が2010年度の本屋大賞を得て非常に話題になった神社である。「天地明察」は江戸時代の天文学者渋沢春海(安井算哲)の改暦事業を扱ったフィクション小説で、神社の算額を通じ、渋沢春海が和算家関孝和を知るきっかけとなる神社である。

社務所 右側が宝物館となっていて自由に入れる。

Dscf0668

御朱印 社務所にて受け付けてくれた。例祭の準備で忙しそうであった。

Img283

算額のことを認識し実際の算額を見たいと神社に参詣の機会を希望していたものである。神社の宝物館には今から150年位前の幕末期に奉納された算額が3面 飾られている。色彩と共に問題内容も十分読み取れる美しい算額である。算額は、和算において、数学の問題が解けたことを神仏に感謝し、ますます勉学に励む ことを祈念して奉納されたと言われる。やがて、人びとの集まる神社仏閣を数学の問題の発表の場として、難問や、問題だけを書いて解答を付けずに奉納するも のも現れ、それを見て解答や想定される問題を再び算額にして奉納することも行われた。 参拝の栞も頂いた

Img282

宝物館内

Dscf0655

算術絵馬が二三あった。

Dscf0660
Dscf0661
Dscf0662
砦の石

Dscf0659

豊榮稲荷神社 

Dscf0682

御祭神:田中稲荷大神・豊沢稲荷大神 鎌倉時代の頃、渋谷家の祖河崎土佐守基家の曾孫渋谷高重によって創建。元渋谷川のほとり、渋谷駅の近くにあった。渋谷川が渋谷城の濠に利用されていたことから文化年間(1804-18)までは「堀ノ外稲荷」と称せられ、そののちに「田中稲荷」と称せられていた。また川の端にあったので「川端稲荷」ともいわれた。

Dscf0683

昭和31年に道玄坂上に鎮座していた豊沢稲荷を合祀。豊沢稲荷は元猿楽町京極家の下屋敷に祀られていたが。明治初年に道元坂上に遷座し、中豊沢にあった多くの稲荷祠を合祀したという。東京都の区画整理事業に伴い昭和36年に現在地に遷座し神託によって「豊栄稲荷神社」と社名を変更した。

Dscf0684

昭和47年に社殿造営。昭和50年に社務所・研修道場を建設。
境内には元田中稲荷神社境内にあった庚申塔が保存され渋谷区指定文化財となっている。

« 七国山風致地区散策 | トップページ | 曹洞宗徳雄山瑞雲院建功寺 »

史跡巡り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1766143/67602184

この記事へのトラックバック一覧です: 渋谷の地名の由来となった金王丸神社~「算額」で脚光:

« 七国山風致地区散策 | トップページ | 曹洞宗徳雄山瑞雲院建功寺 »