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2016年11月

2016年11月22日 (火)

赤坂氷川神社

元准勅祭社東京十社の自分にとっては九社目となる赤坂氷川神社である。個人的には山王日枝神社とごっちゃになっていた時期がある。東京メトロ千代田線「赤坂駅」からスタートである。いろんなルートがあるが通勤に利用していて馴染みのあったからである。ところが下車したことはないので不安である。赤坂そのものがめったに来ない場所である。現役時一ツ木通りのバーや料理屋さんに接待で何度か行ったことがある位である。

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駅のホームで出口を確認して地上へ、鹿島建設があるはずだが、大きな看板を出している訳でないので分かりにくいビルの雰囲気で間違いなさそうと歩みを進める。「日大三中三高に跡地碑」がある。日大三高は現在町田市に移転しているが、ここが発祥の地らしい。次の角を左に回ると事前に調べていた「氷川坂」らしい緩やかな坂で突き当りを右へ行くと目的地と予想した。

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氷川坂頂上

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頂上間際右手に東参道が見えてきた。

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参道

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いよいよ氷川神社の鳥居

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参道を進むと鳥居の先、左側に稲荷神社が二柱、まずは正面に四社を合祀した四合(しあわせ)稲荷神社

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左に西行稲荷 西行五兵衛が稲荷のご神体らしき鉄像を拾い勧請したとの由来

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稲荷社とは反対の左手に赤い太鼓橋が彩をそえる庭園

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階段

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  狛犬

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本殿は築地塀の中、寺院では珍しくないが神社では初めてかもしれない。

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社殿は権現造り 

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ご祭神は
    素盞嗚尊(すさのおのみこと)
    奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)
    大己貴命 (おおなむぢのみこと)

創立の起源は、古い書物によると、天暦5(村上天皇 951)年武州豊島郡人次ヶ原(俗称…古呂故ヶ岡・赤坂4丁目一ツ木台地)に祀られました。

これよりおよそ百年後の治暦2(後冷泉天皇 1066)年、関東に大旱魃が発生、降雨を祈るとその霊験(しるし)があり、以来よく祭事が行われました。

江戸時代、幕府の尊信は篤く、八代将軍 徳川吉宗公が享保元(1716)年将軍職を継ぐに至り、同14(1729)年に老中岡崎城主水野忠之に命じ、現在地(豊島郡赤坂今井台)に現社殿を造営、翌15(1730)年4月26日に、一ツ木台地から現在地への遷宮が行われ、28日に将軍直々の御参拝がありました。

以後十四代家茂公まで歴代の朱印状を下附され、一層の御神徳を高め、開運・厄除・良縁の鎮守神として尊崇を深められました。

石標

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境内のイチョウの老巨木

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神輿庫か

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御朱印

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東京都心に居ることを忘れてしまう静寂で神聖な貴重な時間を過ごせた。

2016年11月 7日 (月)

菊花展

毎年訪れている菊花展鑑賞のために薬師池公園へ行ってきた。Img_8873
厚物

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管物

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丈短い厚物

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紫が妖艶

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国華宝亀か

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駿河の名刹

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懸崖に並んで盆栽仕立て

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ミニ盆栽

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遊んでるにゃん!

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最後に売店で花の苗や野菜を見て、昨年と同じ芋がら「ずいき」を購入した。皮を剥いて天日干しにしたのを頂くのが楽しみだ。

2016年11月 2日 (水)

元准勅祭社品川神社

品川神社

元准勅祭社東京十社を意識したのは今年4月花見を飛鳥山へ行った折である。飛鳥山に都電道を挟みあった王子神社にお参りした時である。改めて十社の参拝歴を確認したら十社の内7社が参拝済とわかったので今年中に残り三社を巡ることした。JR品川駅をスタート。駅の西側御殿山は駅前のホテル群は株主総会で毎年来ているが線路の東へは行ったことがない。西口を出て線路沿いに歩き八ツ山橋を渡った右に小さな公園があり観光案内地図がある。初めて訪れる者には大変ありがたい。

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京急電車北品川駅を左に見て進むと右手に凝ったデザインの立派な建物が見えてきた。品川女子学院だ。

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目的地は信号2つ目。 横断歩道を渡ると鳥居である。

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元准勅祭社として東京十社のひとつでもある。 また東海七福神の一社として、大黒天を祀る

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大黒天像の右に鳥居

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文治3年(1187)、源頼朝が安房国の洲崎神社から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、安房国の洲崎明神である天比理乃咩命を勧請して祀り、品川大明神と称したのに始まる。

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鳥居が変わっている。境内入り口の階段前に、門柱に龍の細工が施された石鳥居「双龍鳥居」がある。
左の柱に昇り龍、右の柱に降り龍が彫刻されている。

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結構きつそうな階段

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階段の左に富士塚がある。お約束通り「品川富士」

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富士塚にある浅間神社の祠。

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境内にも浅間神社

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掃き清められて静寂な境内は別世界だ。三十代女性ふたり連れの参拝者が丁寧にお辞儀をして鳥居をくぐっていく様子が「大和なでしこ」のようで美しく印象に残っている。

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鎌倉時代末期の元応元年(1319)に北条高時の臣、二階堂道蘊が「宇賀之売命(稲荷神)」を、さらに室町時代中期の文明十年(1478)に太田道灌が「素戔嗚尊(天王神)」をそれぞれ祀った。

拝殿

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慶長五年(1600)、徳川家康が関ヶ原の戦いへ出陣の祭に品川神社を参拝して戦勝祈願し、その後、祈願成就の御礼として仮面(天下一嘗の面)・神輿(葵神輿)などを奉納し、天正19年(1591)には徳川家康から5石の社領の朱印を受け、徳川家の尊崇する特別な神社として社紋も徳川家の家紋の「丸に三つ葉葵」と定め、「御修復所(神社の建物の再建・修復などは全て江戸幕府が賄う)」として徳川家の厚い庇護を受けた。 寛永14年(1637年)に三代将軍徳川家光が東海寺を建立した際には、境内の一部がその敷地となったため代替地を賜わり、神社の位置が東海寺の鬼門に当たることから、同社の鎮守とした。

明治元年11月8日、明治天皇が品川神社を准勅祭社と定め、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社の一つとした。明治5年、郷社に列した。また昭和50年には、東京十社に列している。

宝物館

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親子獅子像

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御朱印は左手社務所にて受け付けて下さる。

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阿那稲荷

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一粒萬倍の御神水万物は「天・地・水」の恵みをうけて生成化育し、米は一粒の種より萬倍の稲穂となる。

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当社稲荷は「上社」が「天の恵みの霊」を「下社」が「地の恵みの霊」と「御神水」をお祀りする。家門・家業の繁栄を祈り、印鑑・銭にこの水をそそぐが吉。また、持ち帰りて家・店の入り口・四隅にそそぎ、清く明るき心を持って暮らし、商売するが吉。

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品川は江戸湾に面し、中世以来の港町、宿場町として栄え、町をささえる漁業や農業も盛んでした。とくに、農業は、目黒川、立会川流域の低湿田地帯と   荏原台地に広がった畑地で、年貢のための稲作を中心に麦や雑穀を作る粗放的農業が行われていましたが、野菜は荏原郡の中でも最も早く産地として発展しまし   た。 

 江戸にネギが入ったのは天正年間(1573~92)に大阪方面からの入植者によって、砂村(現在の江東区)で栽培されたのが始まりですが、品川も同じで、入植者が持ち込んだネギの栽培は品川宿の周辺から広がり「品川ネギ」として産地化しました。

 また、文化元年(1804)に著された『成形図説』には越冬用漬物として栽培された長カブ「品川カブ」が記され、天保14年(1843)の「東海道宿村大概帳」によると、品川ネギ大井ニンジン戸越のタケノコが名産として記されています。

上記のことを英文も添えて開設した表示板が境内に設置されている。

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