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2016年12月12日 (月)

白山神社 旧准勅祭社東京十社コンプリート

無為安静風にとって旧准勅祭社東京十社巡りのラストは文京区にある白山神社。昨年NHK大河ドラマ「真田丸」で真田家でも「白山権現」の掛け軸がありきになっていたものだ。地下鉄三田線「白山駅」からスタート。

地上に上がった所で案内図があったので目的の白山神社を確認するが曲がるのが一回なので助かる。鳥居が見えて来て安心する。こちらは東参道。

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社務所 参拝後ここで御朱印を頂いた。

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拝殿

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天暦2年(948)、加賀国の白山比咩神社から勧請を受けて、武蔵国豊島郡本郷元町に創建された。元和年間(1615-1624)に将軍徳川秀忠の命で巣鴨原(現 小石川植物園内)に移ったが、明暦元年(1655)、その地に館林藩主徳川綱吉(後の5代将軍)の屋敷が作られることになったため、現在地に遷座した。その縁で綱吉とその母桂昌院の崇敬を受け、以降、徳川将軍家から信仰された。

本殿 幣殿拝殿が一体となった権現造りとなっている。
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白山神社は、全国に約二千社あるそうな。ご祭神は菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命

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狛犬

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白山信仰については、民俗学者の柳田國男や折口信夫が、発表しており朝鮮渡来とのことだ。
朝鮮半島に近い石川、岐阜、新潟など北陸地方に多いのも頷ける。富士山などとともに、日本三大霊山の一つとされ、元来山岳仏教である。

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南側の表参道

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八幡神社

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松尾神社

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御神木 旗桜 この桜木は旗桜と言い、八幡太郎義家御旗を立給いて祈願せられた時の桜木にて、(古木は社務所に)若木を育てたものであり、花の真に旗の形なる花弁ある名花なり。

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境内の一角に孫文のブロンズ製レリーフ(胸像額)をはめ込んだ石碑がたっている。上部に「孫文先生座石」と書かれており、石碑の下に置かれた黒っぽい横長の石が孫文の座った石ということらしい。

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由緒書によると、それは明治43年(1910年)5月中旬のことで、孫文は当時、白山神社近くの小石川原町(現白山四丁目、五丁目と千石一丁目の一部)にあった滔天宅に身を寄せており、2人はこの石に腰掛け、中国の将来や革命について語り合った。しかも、その時、夜空に光芒を放つ一条の流星が現れ、孫文は祖国の革命を心に誓ったという。


勅祭社(ちょくさいしゃ)とは、祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる(これを勅祭という)神社のことである。ただし、毎年五大祭(月次祭を除く)に勅使が遣わされる伊勢神宮は別格とされて勅祭社に含めない。東京十社(とうきょうじっしゃ)とは、元准勅祭社12社の内から、1975年(昭和50年)に定められた東京近郊の10の神社のことである。

明治維新が成り東京に奠都した明治天皇は、1868年(明治元年)10月17日、氷川神社の例大祭を新たに勅祭に定めた。それに続いて11月8日、それまでの畿内二十二社などの勅祭社に併せて東京近郊の主だった神社を准勅祭社と定めて東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社とした。当初は12社(日枝神社・根津神社・芝神明宮・神田神社・白山神社・亀戸神社・品川神社・富岡八幡神社・王子神社・赤坂氷川神社・六所神社・鷲宮神社)であった。しかし早くも1870年(明治3年)9月1日には廃止され准勅祭社の制度は一時的なもので終わった。該当神社は府社あるいは郷社となる。第二次大戦後は政府による社格そのものが廃止された。

1975年(昭和50年)、昭和天皇即位50年を奉祝して関係神社が協議を行い、准勅祭社から遠隔の府中町六所宮と埼玉県鷲宮町の鷲宮神社を外し、23区内の10社を巡る「東京十社巡り」が企画され、七福神巡りなどとともに観光的な要素を濃くして現在に至っている。

旧准勅祭社東京十社サイト内リンク根津神社神田明神亀戸天神(藤)、富岡八幡宮王子神社品川神社氷川神社日枝神社芝大神宮  、亀戸天神(梅)

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