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2017年1月

2017年1月31日 (火)

天台宗竹園山最勝寺教学院~目青不動尊

世田谷区太子堂にある寺院。寛永寺の末寺の一つである。通称「教学院(きょうがくいん)」、正式名称は「竹園山最勝寺教学院」。江戸五色不動「目青不動」で有名。小田急線「豪徳寺」で世田谷線に乗り換え終点「三軒茶屋」からスタート。いつものように平日10時過ぎにも拘わらず世田谷線の混雑は信じられないものであった。

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御朱印用に小銭を用意しておく為に自販機で缶コーヒーを買い、世田谷線を戻る感じで不安を抱えながら歩いていると、コンビニのファミリーマート三軒茶屋駅前店の隣に教学院の門が見えた。

Img_9025 後でわかったのだが、こちらの門は新参道だそうだ。東側に旧参道がある。

正面に見えるのが不動堂

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扁額

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閻王堂」の扁額も残っている

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縁起によれば、応長元年(1311)、玄応和尚によって江戸城紅葉山付近(現在の皇居内)に創建され、太田道灌による江戸城築城(康正3年・1457)により麹町貝塚に移転、のちに赤坂三分坂(青山墓地近辺)へ移転したという。その後慶長9年(1604)、青山南町(百人町)に3000坪の土地を与えられ移転し、明治42-44年(1909年-1911)、太政官布告により3カ年の期間を経て現在地に移転したという。

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目青不動は麻布谷町にあったという正善寺の本尊であったものが、同寺の廃寺にともない教学院に遷し奉られたものである。目青不動尊は慈覚大師円仁ご自作の尊像で、秘仏としてお厨子に納められている。座高1メートル余りの青銅製で寛永19年(1642)正月11日の銘がある。丸顔で上下の牙歯がなく微笑みを湛えて居るように見えるえくぼが女性的である。

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本堂にはご本尊阿弥陀如来

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江戸時代より五色不動のひとつに数えられ、東西南北の五方角と中央と五色を合わせたもので将軍家光の時代に成立したといわれている。
 青色 東方
 赤色 南方
 黄色 中心
 白色 西方
 黒色 北方

境内に「獣魂塔」食肉卸組合が寄進しているのが生々しくて頂けない。

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庫裏の「納経」はこちらの案内あり、こちらで御朱印を頂く

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教学院縁起にある「チシャノキ」 6月頃小さな花をつけ香りを放つそうだ。

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帰りは旧参道から帰ることにした。

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小規模な境内だが、よく清掃されていて気持ちよく参拝できた。最寄駅から近いので参拝者も多いようだ。意外だったのは若い女性グループのほか自転車で廻っている若い男性が目立った。
五色不動もあと黄色が残る。台東区三ノ輪と江戸川区平井にあるそうだが、平井の最勝寺を予定している。教学院と同じ寺名なのが気に掛かる。

2017年1月16日 (月)

曹洞宗諏訪山栴檀林吉祥寺&目赤不動尊

駒込古刹吉祥寺と五色不動のひとつ目赤不動尊を訪ねることにする。東京メトロ南北線「本駒込駅」からスタート。先に目赤不動尊に参拝することとする。地下鉄の駅員さんが出口やら道順など丁寧に案内して下さった。お陰様で、すんなりと南谷寺の門前へ行くことができた。

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天台宗大聖山東朝院南谷寺目赤不動尊 江戸五色不動のひとつである。お不動さまの12年に1度の総開帳の案内が目に入る。酉年はお不動様が守り本尊となるそうだ。

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本堂の本尊は阿弥陀如来

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早速不動堂のお不動さまを参拝する

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当寺院は、元和2年(1616)に比叡山の南谷にいた万行律師によって開かれた。彼は熱心な不動明王の信仰者であった。言い伝えによるとある夜、伊賀国(現在の三重県)の赤目山に行くよう夢でお告げがあり、赤目山の山頂で祈願していたところ、天から一寸二分ほどの黄金の不動明王像を授かったという。その後、江戸・下駒込の地(現・本駒込3丁目付近、東京都立駒込病院の近く)に庵を結び、不動明王像を安置した。この不動明王に対する人々の信仰は篤く、多くの参詣者が訪れた。この不動堂の前の坂道は「不動坂」と呼ばれ、現在は「動坂」と呼ばれている坂である。

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寛永5年(1628)鷹狩に訪れた三代将軍・徳川家光によりそれまで「赤目不動」と呼ばれていた、当寺の不動明王を目黒不動・目白不動にちなみ「目赤不動」と呼ぶように言われ、かつ現在の地を与えられ「大聖山東朝院」と号するようになった。天明8年(1788)に上野の寛永寺の直末寺になると同時に、「南谷寺」の寺号を与えられた。

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事務所にて御朱印を頂く

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次は吉祥寺、南谷寺前の道路を真っすぐ行けばいいはずだ。間もなく「吉祥寺前」の信号がそれを語ってくれた。今日は順調に予定の活動ができそうだ。

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歩みを進めていると立派な山門が見えてきた。

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「栴檀林」の扁額

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室町時代1458年(長禄2年)に太田持資(太田道灌)の開基で江戸城内に青巌周陽を開山に招いて創建した。道灌は、江戸城築城に際し和田倉付近の井戸から「吉祥」と刻銘した金印を得、これを瑞祥として青巌を請じて西の丸に建立した。山号はこの地が諏訪神社の社地であったことによる。

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のち徳川家康の関東入府にともなって駿河台(現在の都立工芸高校の周辺)に移り、明暦の大火と江戸大火によって現在の駒込の地に移転した

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江戸期には境内に後の駒澤大学となる学寮「旃檀林」(せんだんりん)が作られ、卍山道白が規則を制定して大いに繁栄し、幕府の学問所「昌平黌」と並んで漢学の一大研究地となった。多くの学寮(カレッジ)・寮舎を備え、常時1,000人余の学僧がいた。各寮には学徳兼備の者が選ばれて寮主となり、寮主はさらに役員を選び、役員によって学問の指導や日常生活が合議によって運営された。教科目は内典(仏教)と外典(漢学)で、江戸の中期以降は漢学が重視された。そのため僧侶以外でも、寺院に縁故のある旗本の子弟・寺侍が聴講した。

曹洞宗三学寮とは吉祥寺栴檀林と サイト内リンク⇒青松寺獅子窟泉岳寺

参道も立派 枝垂れ桜のようで、花期に再び訪れてみたいものだ。

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本堂

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客殿

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鐘楼

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経蔵

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参道左手に比翼塚 

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阿弥陀仏座像 吉祥寺大仏

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寺堂は近代まで七堂伽藍を誇っていたが、東京大空襲で焼失し、わずかに山門(1802年建造)と経蔵(1804年建造)を残すのみとなった。現在は復興され、本堂、客殿、庫裏などが点在する。

二宮尊徳墓

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小出浩平先生顕彰歌碑

明治30年(1897)8月14日新潟県南魚沼郡塩沢町仙石に生まれ舞子小学校高田師範学校を経て大正14年(1925)東京音学校卒業

南西海小学校・香川師範学校・東京赤坂小学校・同城東小学校歴任・昭和12年(1937)学習院教授に就任 皇太子殿下、義宮殿下の音楽御教育係拝命 昭和39年(1964)三室戸学院理事・東邦音楽大学副学長の要職につき日本教育音楽協会を始め多数の会の会長として活躍

この間に日本で最初の学年別基礎指導・レコードによる鑑賞指導・器楽指導・創作指導を音楽教育に取入れ我が国音楽教育を一変させた また唱歌・新教授法・合唱曲集・教育音楽等の多数の著書や雑誌の編集・こいのぼりおしし等の愛唱歌九百余の校歌の作曲・NHK・TBS・其の他多数のコンクールの創始・審査・更に放送講演等により日本の音楽教育を今日あらしめた功績は絶大である よって茲に歌碑を建立し顕彰する次第である。
 昭和54年(1979)11月18日 
 小出浩平先生顕彰碑建立実行委員会

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客殿前 梅の花が匂っている。

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庫裏の前に栴檀林の「センダン」の木があり、実を付けている。ボランティア活動していたフィールドにもあり、その実は春まで残っていることが多い。不味い実らしく、他に食べるものがある内は鳥も食べないそうだ。

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センダンの木

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御朱印は事務所にてお願いした。待っている間に暖かい緑茶の接待を頂いた。

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干菓子と線香「栴檀香」を土産に購入した

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吉祥寺は境内に入ると清浄な雰囲気が心地よく、いつまでも居たい気持ちになったものだ。

2017年1月 6日 (金)

初詣 總持寺

總持寺

初詣として總持寺へ。JR鶴見駅からスタート。昨年は仏教の正月である2月に總持寺へお参りしている。去年は参拝者が少なく少々寂しい感じではあった。今年は新年の拵えがあり、参拝者も多く賑やかだ。

三松関 さんしょうかん

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總持寺の総門。門前に立って、まず目に飛び込んでくるのが「三樹松関(さんじゅしょうかん)」と書かれた扁額(へんがく)です。總持寺中興(ちゅうこう)の祖といわれる石川素童(そどう)禅師(1841~1924)が揮毫(きごう)されたもので、總持寺の祖院がある能登には、みごとな龍の形をした三本の松樹があったことに由来しています。

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この総門は、禅宗寺院の第一門としては珍しく、特異な高麗門(こうらいもん)の様式で建てられています。

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総門には、棟つづきの右奥に「新到安下所(しんとうあんげしょ)」があります。仏の道を志す修行僧が、最初にワラジを脱ぎ、宿泊する建物で、細い縦看板がかけられています。

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三門
総門をくぐり、七堂伽藍の最初に出会うのが「三門」です。この三門は、木原崇雲氏が妻の菩提のために寄進され、昭和四十四年に落成した建物です。鉄筋コンクリート造りでは、日本一の大きさを誇っています。
三門には、左右に金剛力士(仁王)像をおくのが通例とされており、總持寺の場合も同様で、左右に元横綱・北の湖関15歳の姿をモデルにしたと伝えられている阿吽の仁王像が納められています。
三門楼上には、開創時からの因縁によって、観音・地藏の放光菩薩像と、十六羅漢像および四天王像が祀られ、毎月二日と十六日には羅漢供養の法要が修行されます。これらの像は彫刻家・阿部正基氏の作です。 

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三門正面の扁額「諸嶽山」は独住19世・岩本勝俊禅師が書かれたものです。

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三門潜り真っすぐのところに立派な石燈篭がある。

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向唐門 むかいからもん
總持寺は、後醍醐天皇から「日域無双の禅苑たるにより、曹洞出世の道場に補任す」との綸旨を賜り、以後、歴代天皇より勅願寺として仰がれましたので、「勅使門」の名を残しておりました。
禅師の入山式や、正月・7月のみたままつり・11月の御移転記念日の時に開扉されております。

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三松閣 さんしょうかく
三門に向かって右側に大きな切妻造り鉄筋コンクリートの堂宇がみえます。地上四階、地下二階、9400平方メートルの広さがあり、檀信徒研修道場、各種セレモニーの会場となっており、宿泊施設も整っております。能登・祖院にあった三本の龍形の松にちなんで「三松閣」と呼ばれています。
4階にある大講堂。正面に釈迦如来坐像 (木彫、像高0.87メートル)をお祀りしています。
全国より参詣される拝宿の皆様への法話も行われます。

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金鶏門 きんけいもん 
金鶏とは、星の中に住む想像の鶏、あけのとり、従って朝をあらわします。

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大祖堂 だいそどう
大祖堂は、一般的にいわれる開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿です。千畳敷の内中外陣と、982坪の地下室を有し、瓦葺形の銅版屋根は53トンに及びます。貫首禅師演法の大道場たるのみならず、諸種法要修行の場とされます。

この殿堂の内陣の奥には「伝灯院」として、高祖大師・太祖大師・二祖国師・五院開基の尊像及び独住禅師のご真牌が奉安されています。
太祖瑩山(けいざん)禅師高祖道元(どうげん)禅師、二祖・峨山(がさん)禅師をはじめとして、歴代の諸禅師の頂相を安置し、あわせて諸尊牌をも奉祀する靈場であります。孤峰(こほう)禅師筆の扁額「現身説法」瑩山・峨山両尊が、常に真理を説き続け、私たちを導いてくださる祖師方が常在される大道場なのです。

日々、歴代の禅師様が生きているがごとくお仕えして、徳恩に報いております。 明治41年(1908)、能登から現在の横浜鶴見が丘に御移東の官許を得て、移転の建設は着々と進行しました。しかし七堂伽藍の中枢であり、本山の最重要な大祖堂の建立は、幾多の事情から未建設でありました。昭和40年(1965)3月、二祖・峨山禅師の600回大遠忌を記念して、ようやく竣工・落慶しました。普蔵院・太源宗真(たいげんそうしん)をはじめとする妙高庵・通幻寂霊(つうげんじゃくれい)、洞川庵・無端祖環(むたんそかん)、伝法庵・大徹宗令(だいてつそうりょう)、如意庵・実峰良秀(じっぽうりょうしゅう)各禅師の尊像を配し、向かって左側には輪住、独住の諸禅師の尊牌を祀っています。

瑩山禅師が説示された「師檀和合の信念」がひとつに結晶して、巨額な浄財によって大祖堂が建立されました。タタミ千畳敷きの広さのなかで、朝夕の勤行、檀信徒の法要が親しく厳修されています。時に揺るぎない三国(インド、中国、日本)伝燈の大本山の霊場が、不断に脈打ち、現成されているのです。

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香積台 こうしゃくだい 総受付
香積とは、香気が充満している世界のことで、『維摩経香積品』が説くところによりますと、そこに住む如来の名でもあるとされております。転じて、禅門では食事を調理するところの庫院(くいん)、庫裡(くり)を意味します。「庫」は、物を貯える蔵のことです。
正面玄関には、独住第三世・西有穆山禅師が揮毫された「香積台」の扁額が掲げられています。
また、中央廊下のつき当たりに、日本最大といわれる木彫の大黒尊天が奉安されています。この像を祀ると開運福徳を授かると信仰されています。

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右手に総受付がある。最も入口よりつまり入って右側で御朱印を受け付けてくれる。昨年から番号札を貰い、左手売店の奥休憩所にて番号を呼ばれるのを待つやり方になった。今年も線香、胡麻豆腐、菓子セットを土産に買いもとめた。

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