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2017年2月21日 (火)

幸田露伴「五重塔」モデル天王寺&徳川慶喜公廟

日暮里駅からスタート。昨年の谷中散策以来二回目であるが、谷中霊園は初めてでやや不安。平日にもかかわらず外国からの観光客らしき一団のほか見学者が多い。

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墓苑を抜けて大通りに出ると、天王寺の山門が見えた。

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境内は小奇麗に整備され掃き清められていて気持ちよくお参りできる。

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大仏 「大聖釈迦牟尼如来」の銘板 谷中大仏とも呼ばれている

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日蓮の弟子・日源が法華曼荼羅を勧請して開山した長耀山感応寺。元禄11年(1698)天台宗に改宗となり、「護国山天王寺」へ改号した。

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白梅と本堂

Img_9067 庫裏 御朱印は左手にボタンがあり押すと窓を開けてお願いした

Img_9082 庫裏から見た本堂

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庫裏横の庭 手入れされ気持ち良い

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幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとしても有名。五重塔跡 放火心中で焼失したそうで、在りし日の五重塔の写真とともに燃えている写真、消火活動後の残骸の写真も展示されている。

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御朱印

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江戸時代「江戸の三富」として目黒不動湯島天神と共に賑わったそうである。

慶喜公の墓参へ 園内図のほか案内標示もあり迷わずに済んだ。

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立派な塀に囲まれ、門は鉄製で葵の御紋が輝いている。

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顕彰碑

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徳川慶喜の墓は、5,600平方メートル余の墓域のやや西南寄りに葺石円墳状の墳墓としてあります。顕彰碑の後方左手が慶喜で右は夫人 子供23名全員ではないが数人と側室も埋葬されているそうである。写真の慶喜の円墳の左に小さな円墳は側室だそうだ。

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15代将軍慶喜は寛永寺・増上寺の徳川廟に埋葬されなかったのか。
朝敵とされた自分を赦免した上、華族の最高位である公爵を親授した明治天皇に感謝の意を示すため、慶喜は自分の葬儀を仏式ではなく神式で行なうよう遺言した。このため、慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、谷中霊園に神式で円墳の墓が建てられたとのことである。

徳川歴代将軍の廟を整理すると  

    第一代 徳川家康 日光東照宮
    第二代 徳川秀忠 増上寺
    第三代 徳川家光 日光輪王寺
    第四代 徳川家綱 寛永寺
    第五代 徳川綱吉 寛永寺
    第六代 徳川家宣 増上寺
    第七代 徳川家継 増上寺
    第八代 徳川吉宗 寛永寺
    第九代 徳川家重 増上寺
    第十代 徳川家治 寛永寺
    第十一代 徳川家斉 寛永寺
    第十二代 徳川家慶 増上寺
    第十三代 徳川家定 寛永寺
    第十四代 徳川家茂 増上寺
    第十五代 徳川慶喜 谷中霊園

サイト内リンク⇒上野寛永寺 芝増上寺

昨年の谷中散策で訪れた朝倉彫塑館の朝倉文夫の墓が偶々目に入ったので撮影した。

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川上音二郎の墓は形が変わっている。

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ゆうやけだんだんから谷中銀座

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