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2017年5月

2017年5月30日 (火)

内藤新宿総鎮守 トウガラシ栽培している花園神社

参道につながっているのではと勘違いして入り込んだ繁華街には珍しい遊歩道

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心和ませてくれるこんな像もある

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神社参道は見えず、飲み屋街があらわれた。これがゴールデン街なのかな。たまたま撮影クルーと遭遇した。

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株主である日清食品のビルが見えるところに出た。初めての土地ではよくあることだが遠回りしている。

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やっと神社の入口を見つけた。やれやれ。

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狛犬

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千本鳥居

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神輿庫

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「花園神社は、徳川家康の江戸開府(1603)以前から新宿の総鎮守として重要な位置を占めていました。徳川氏が武蔵野国に入った1590年より前に、大和吉野山より勧請されたとされています。
花園神社は寛永年代(1624~1644)までは現在の場所より約250メートル南、今の伊勢丹デパートの付近にありました。しかし、寛政年代に朝倉筑後守という旗本がこの周辺に下屋敷を拝領したため、社地は朝倉氏の下屋敷の中に囲い込まれてしまったのです。そこで幕府に訴えたところ、現在の場所を拝領することになりました。その場所は、徳川御三家(将軍家に次いで格の高い尾張藩・紀州藩・水戸藩)筆頭の尾張藩下屋敷の庭の一部で、たくさんの花が咲き乱れていたそうです。この美しい花園の跡に移転したので花園稲荷神社と呼ばれたのが社名の由来とされています。」(花園神社ホームページより)

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江戸時代このあたりの農家でトウガラシの栽培が盛んで一帯がトウガラシで真っ赤になっていたそうだ。

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社務所と拝殿の間には立派なコンクリート製プランターで内藤トウガラシが栽培されていて、神職姿で水遣りもされていた。

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御朱印

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宝物殿

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2017年5月24日 (水)

帰省 東名-新東名-伊勢湾岸-新名神-名神-阪神

大正生まれの義母をピックアップする為に妻の実家へ、前回は婿の車だったので愛車プリウスでは久しぶり。婿殿はナビの言う通りのコースとりで新東名を通らなかった。

関西出身なので、富士山が見えると無条件に嬉しくなりラッキーと思う。

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愛車のナビは新東名へと導いてくれた。

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以前はナビの地図上では海の中を進んでいた「伊勢湾岸通り」であるが、外の風景は海上だ。

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翌日 鶴林寺を再訪。

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御朱印は前回「医王殿」を頂き、全部で四種あることを後でご住職に伺っていた。残りの三種。
「刀山の太子」

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「聖観音」

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「御詠歌」 いにしえの鶴の林に散る花の 匂いをよする高砂の風

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2017年5月12日 (金)

乗蓮寺東京大仏

東京メトロ副都心線神宮前から乗り地下鉄赤塚駅で下車。副都心線は初体験であったが途中駅を見て知ってると便利な線だと気が付いた。

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20分近く知らない土地を歩くとこの道で目的地に着くのか不安になる。途中で尋ねたら真っすぐ歩くと見えてくると回答され安心した。

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目的地ではないが立派な寺院があり解説板を読むと曹洞宗松月院とのことだ。植栽の手入れも行き届いており参拝させてもらった。

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当寺院は、房総に勢力を持っていた武将・千葉自胤が康正2年(1456年)に現:千葉県の市川から赤塚城に移り、その後1492年に当地にあった古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、松月院と名を改めさせたのが始まりであるといわれている。

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江戸時代には、当寺院は徳川家康に認められ、40石の朱印地が与えられた。他歴代の将軍からも保護を受け発展した。幕末には、砲術家として名高い高島秋帆が1841年に近隣の徳丸ケ原(現在の高島平付近。高島平の名は高島秋帆にちなんでいる)で西洋式の砲術訓練を行った際に本陣がこの松月院に置かれた。この訓練は当時の大名などを驚かせ、高島秋帆に大きな名声を与えたものであった。またこの松月院の名を有名なものにもした。

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本堂の右手にある寺務所のインターフォンを押して御朱印をお願いした。

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御朱印

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松月院の坂を下りていくと左手に目的の乗蓮寺が見えてくる。門前には観光バスの駐車場もあり人気スポットなのだと知れる。実際に平日だが、複数のグループの他小学生が教師に引率されて行儀よく階段を上っている。

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門の右手に「焔魔堂」

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堂内には閻魔様と奪衣婆

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山門

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山門表には金剛力士像が寺をお守りしている。 阿形像

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吽形像

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山門裏には「広目天」

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多聞天

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本堂

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境内庭園

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応永年間(1394年 - 1427年)に了賢無的が山中村にて人々に教えを伝えるために創建したと伝えられている。当時は孤雲山慶学院乗蓮寺と称していた。後に慶学山乗蓮寺になった。その後首都高速道路の建設と国道17号の拡幅により、昭和48年に現在の赤塚城二の丸跡に移転した。山号も赤塚山と称した。そして昭和52年、かつて東京を襲った関東大震災や東京大空襲など、悲惨な震災や戦災が再び起きないよう願いを込め当寺院の代名詞にもなっている東京大仏が建立された。国民栄誉賞も受賞した冒険家である上村直巳は1984年にマッキンリーにて消息を絶ち遺体等は発見されなかったが、彼を供養するための墓が当寺院の境内にある。

乗蓮寺の異称ともなっている「東京大仏」日本第三位の大きさとのことである。一位は奈良東大寺、二位は鎌倉高徳院

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境内におわします「布袋さん」

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御朱印をお願いしたところ、住職が不在の為、予め用意したものに日付を入れてもらい頂いたもの。

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