博物館等

2013年4月10日 (水)

ユトリロとロダンを堪能 西山美術館

町田市へ引越し後ずっと気になっていた西山美術館に行ってきた。
芝溝街道「綾部」交差点を北に曲がって直ぐ、野津田公園と繋がる綾部原古戦場で
狼煙台跡ほか須恵器や土師器も多数出土している様な場所である。高台にあり街道を
走っていると丘の上の大きな建物ゆえに「何だろう」とかねがね思っていたものだ。

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開館時間が11時から17時、月曜日と火曜日が休館日とのことで、当初前週を
予定していたが、春休み中で子供連れの混雑騒がしさを避けて本日とした。

開館時間まで余裕があリ過ぎたので、本日は車でなくゆっくり歩いていくことにした。

西山美術館については自宅そばのバス通りにそのポスターが必要以上にベタベタ
貼っていて不快な思いをしたことがあったが、いつの間にか剥がされていた。

綾部交差点の鉄工所だろうか鉄板塀にその悪名高きポスターが貼ってある。
経年劣化か太陽光線や雨風に晒されて退色している様に見えるがしっかり
貼り付いている。

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交差点を曲がると直ぐに門が見えて安堵するものの、そこから美術館までの
アプローチが急坂なのを目のあたりにして竦んでしまう。車で来るんだったと。

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駐車場の案内は特に見ていなかったが、美術館前の第一と左手の第二があるようだ。

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西洋シャクナゲの大木が出迎えてくれて植物好きには嬉しい。前週だと急坂で枝垂れ桜が
励ましてくれたかもしれない。

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美術館前は何やら工事をしていて騒がしい。事前に美術館の建物を写真で
見ていたがロダンの考える人が金ピカになっている。

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更にパワーストーンとやらを世界各地から購入搬入していて「ナリキン」と
叫びそうになる。いずれも立派で億単位と思われる。ピンクハート型は愛のパワーストーンか美術館左はオーナーである西山由之氏の私邸。

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入館して直ぐのエントランスホールもパワーストーンをこれでもかと展示。

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自由に手で触って「気」を感じて下さいとの案内表示を見る前から手を翳して
波動を感じていた。

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本日の目的はユトリロがメインであり、1階奥の受付インフォメーションで説明を聞き
パワーストンとロダンはフリーでユトリロギャラリーの4階5階は有料との
ことで4階のエントランスバーを開けるコインを貰い左奥の階段を使い2階へ。

2階3階はロダンギャラリーとのことだが、ひき続きパワーストンも展示されている。
あまりにも有名な「考える人」はさすがにケースに入れての展示だ。

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館内鑑賞マナーとして写真撮影はNGだが、パワーストーンを撮影していて
ロダンもいくつか撮影した。

永遠の青春

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青銅時代

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バスティンルパージュ

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バルザック胸像 仏文芸協会から氏の功績を讃え製作を依頼されて以来多くの
作品、習作を残している。バルザックの写真ほか服の大きさを仕立屋の型紙資料
までも収集して臨んでいたとのことだ。腹を突き出した像を他で観て
印象に残っている。

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首なし裸のバルザック 習作のひとつと思われるが素晴らしい像だ。

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ミニヨン(可愛い人)はローズフーレ夫人像でロダンの愛が感じられる像だがケース入り。

ユトリロギャラリーの入口 ここでコインを入れて入場。

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部屋全体が暗い。絵画の絵の具が光で退色しないよう配慮とは解るがもう少し
明るくして欲しい。パリは若い時に地下鉄のカルネ(回数券)で廻っていて
サクレクール寺院などを描いた作品では懐かしくなる。

珍しいのは壷に描かれた「ベルリオーズの家」、白い壁の家や教会を描いたものが多いが、「ガブリエル・デストレの家」「ミミパンソンの家」「トルシアンヴァロワの教会」「村の教会」が印象に残っている。

作品へのサインの変遷などまとめてあり、大変興味深く拝見した。

4階に横綱輪島関の写真や優勝杯なども展示していていかにも個人美術館。

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最後に2階でコーヒーを。女性の賑やかな声がして躊躇したがマイセンでの
コーヒーに惹かれて入る。ケーキセットの場合予約が必要とのことで
コーヒーのみを注文した。コーヒー豆を挽く音がして数分後花柄マイセン
で出してくれた。チョコレート菓子も小皿でつけてくれた。

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美味しく景色も愛でながら頂いていると、改めて豆を挽く音がして
女主人が改めて別のカップで出してくれた。今度は小皿にカステラも。

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写真左のカップが後で出してくれたマイセン恐らく60万円か右のは白地に花がらで30万位かと想像しながら頂いた。

2階の入口にあった荻原碌山作「女」明治43年作原型は国立近代美術館に
収蔵されていて昭和42年国の重要文化財に指定されているもの。

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喫茶コーナーからも見えていた建設中の六角屋根について一階の受付
インフォメーションに立寄り改めて尋ねたら、水晶を安置してお客様に見て頂く
「六角堂」を建設しているとのことだ。

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近くにより確認したら既に大きな水晶柱が備えてある。

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初めて訪れたが、小島資料館、自由民権資料館や野津田公園などのあとに時間に余裕があればまた来てもいいかな。庭園散策もできるらしいが今回は割愛している。

2012年11月20日 (火)

北斎と広重 版画展

「北斎と広重 きそいあう江戸の風景」
開館25周年記念として町田市立国際版画美術館にて今月25日まで開催されており
10時の開館を待ち午前中鑑賞してきた。葛飾北斎と歌川広重は江戸時代浮世絵師
で『富嶽三十六景』、『東海道五十三次絵』で教科書にも掲載され、幼少より
馴染み深い江戸時代の画家との認識である。

地元の美術館でしかも世界にも数少ない版画専門美術館で、棟方志功の展覧会や
シャガール展覧会などの版画の他、ボランティア仲間の絵画が市展など出展した時
などしばしば足を運んでいる。

同美術館は谷戸地に造られた「芹が谷公園」内にある。原町田と高ヶ坂の境に位置し
南北に細長い谷戸で、周囲には雑木林で、豊富な湧き水のせせらぎや水の広場など
市民の憩いの場となっている。
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一階ホール左手の受付で入館料を支払い幅広い階段をのぼり二階が企画展の会場だ。
二階左手に常設展示場となっていて本日は右手へ。朝一にも拘わらず予想外に
かなりの入館者数である。絵によっては近づいて細部や細かい文字を確認したい
場合もあり、空いていることを期待して平日朝一にしたが残念でした。それでも
様子を見ながら見る順番を変えたり臨機応変に移動して鑑賞することができた。
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改めて大胆な構図に感嘆することしきり、風景画中心と思っていたが、北斎の
美人画「風流なくてななくせ遠眼鏡」には驚ろかされた。広重の「庄野」は
やはりすごい。庄野は山道のように描かれているが三重県伊勢平野とのことだ。
激しい雨を表現するために敢えて斜めの雨を強調している。

自宅に現役時某銀行から毎年広重の東海道五十三次の版画を数枚づつ頂いており
保管していることを思い出した。

百人一首とのコラボも面白く、誇張して描かれている太鼓橋の他に印象深いのは佃島、
滝、箱根湖水図、丸子・・・など。十分堪能できました。ありがとう(合掌)。

2012年11月 9日 (金)

香山(かごやま)園 美術館&庭園

横浜市から町田市へ引越して以来20年目にしてやっと香山園を訪れることができた。
小田急線鶴川駅前にあり、その気になればいつでも来れるとの意識があったのだ。
恥ずかしながら「香山園(かごやまえん)」を「香具山(かぐやま)」と思い込んでいた。

  春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
      衣ほすてふ 天の香具山 
(持統天皇)    の「香具山」だ。

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無為庵の近くには「三輪」緑山(町田市)、「奈良」(町田市と隣接の
横浜市青葉区)があり、何かあるぞと思っていたからだ。大和朝廷から
派遣されたグループがこの辺一帯に住み着いたのではないかとの推定からだ。
また最近某講演会で伺ったことであるがその住まいの玄関先に「イトヒバ」を
植えているという熊野武士団説も興味津津で実地見学を予定している。

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市観光コンベンション協会が発行しているガイドブックによると
香山園は7世紀後半の横穴墓群があった場所で、現在では「瑞香殿」という美術館と
庭園で構成されていて、瑞香殿は神蔵家24代甚左衛門盛清が天文13年(1532)に
建立、現在の建物は明治39年に建てられ「大笠館瑞香殿」と日本庭園「直ケ谷之郷」
からなり、敷地面積は13,432㎡(4,070坪)。
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受付で入館料を支払い、上のパンフレットの他に名称の由来と歴史、
見所等の案内と展示品リストを頂き丁寧なご案内をして頂いた。
靴を脱いで玄関ホールから神棚の間アルバムコーナーへと進み、
そこで香山園がNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」、「ちい散歩」、
今年BS時代劇「薄桜記」の撮影ロケ地となったとの
紹介チラシ、絵葉書の見本などを椅子に座り見せて頂いた。

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洋室大広間では富岡鉄斎の屏風絵「花鳥山水人物図」が出迎えてくれる。
この様な屏風絵で人物が斯様に大きく描かれているのが「大津絵」を
連想してしまう。一般的な山水画や横山大観の作中などは人物が小さく
描かれているとの認識があり、常駐されている館長さんにお尋ねしたら、
鉄斎では珍しくないと他の作品を書籍で示しながら説明して下さった。

序に「神蔵家」の出身地について入口案内板の「越後」と石碑「神ノ倉龍蔵之碑」にある
熊野」の豪族について統一されていないことについて新編武蔵風土記
天竺摩訶陀国」から乱を避けて中国経由で日本に来たことを承知で質問させて頂いた。

館長さんも一族の方で、顕祖加牟羅が凡そ2000年前インドから唐の「ショウカ」へ出国し
その末裔具来淀は楽浪を経て朝鮮半島へ。その末裔具世経は日本出雲に上陸後、
筑紫国鈴之御前に登り、筑紫より「天香山命(あまのかごやまみこと、別名高倉下)」に
従い諸国を巡り丹後国を経て熊野に至り、その後紀州田辺、南部、紀の川河口の
直川(のうが)郷、更に越後に移住した。新潟県の弥彦神社熊野速玉神社の祭神
である「香山」を武人の神と崇めている。

手許にある風土記のコピーによると具世経の「世」が「青」の「具青経(グ・セキョン)
となっている。また日本上陸地は「薩摩国鈴乃岬」となっている。

上記直川(のうが)から香山園あるこの地を能ヶ谷になったことは容易に想像できる。
近くに白洲次郎・正子が暮らした武相荘(ぶあいそう)があるが、この地に決めたのは
正子が「能楽」が好きだったからではないかとの説もある。

観音菩薩椅像は観音様が片膝立てで奇異な印象だが、高台寺の坐像も片膝立で、
室町時代には女性もこの姿勢がごく一般的とのことだ。そういえば昔観ていた韓国

時代劇「チャングムの誓い」の中でもあったね。酒器提子(ひさげ)も興味深く見学した。

取次の間の衝立表の「八幡太郎出陣合戦図」も迫力あり、裏面の大鷲図も味あり
望月玉泉の作で川合玉堂の師匠だ。川合玉堂の作品にも人物が小さく入っている。

藤原定家による「小倉色紙」、白薩摩焼「狆」、乾隆帝時代の「黄墨、赤墨、緑墨」、
古墳出土品である「須恵器」「勾玉」「鉄剣」など5世紀から7世紀、聖徳太子孝養像
小堀遠州「茶杓」、「古萩茶碗」と最後に「宮家誕生雛」は日本に2セットしかない
貴重なものだそうで興味深く拝見させて頂いた。

美術館を出る時に印象に残った絵葉書を10枚購入した。鉄斎自画像、八幡太郎

出陣図、宮家誕生日雛、聖徳太子孝養像、藤原定家「小倉色紙」、蒔絵文箱、
聖武天皇の筆によるとされている「大聖武」と庭園写真など
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後から入場された方に抜かれてしまう位じっくりと約1時間掛けて見学させて
頂いた。美術館の後は庭園にも別の入口から入園させて頂き散策しつつ
撮影もさせて頂いた。瑞香殿の建物にはこの庭園しかないと思う程にマッチして
素晴らしい庭だ。紅葉ベストには数日先かと思われた

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本日は念願叶って香山美術館と庭園を訪れることができて良った。
帰路は先月駅前に開館した図書館で予約していた書籍三冊借りて、
更に銀行経由。

2012年10月20日 (土)

民権の森、石阪昌孝の墓、自由民権の碑、自由民権の像など

先日自由民権資料館に初めて訪れて触発された訳でもないが、本日は
野津田神社、町田民権の森、ボタン園、薬師池公園の自由民権関連を
巡ることにする。

まずは野津田神社
いつ頃できたのかは不詳。元禄13年(1700)湯花の神事について
「野津田村年代記」に記されていて亨保年間には「五社明神」と
呼ばれていた。明治21年(1888)地元他の3神社と合併して
「野津田神社」に社名変更。
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本殿前にある亀の上に乗った灯籠は石阪昌孝が奉納したものだが
亀の謎はまだ解けていない。1862(文久2)年に、灯籠を奉納。
向かって右側の灯籠には、正面に「威霊光被」、裏面には「文久二年」
「継二 先考昌吉君之遺志一不肖嗣子邑長石阪吉利謹建」とあり、
左側の灯籠の正面には「闔郷安穏」、裏面には「壬戌仲秋」
「石阪伝左衛門吉興同半右衛門建」とある。
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境内には町田名木百選の三本がある。コウヨウザンタブノキ
ヤブツバキ。コウヨウザントイレの前、他は下写真本殿右手後ろ樹名板あり。
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境内左側から東京都指定「町田民権の森緑地保全地域」への入口がある。
ネット上「公園」表示が散見されているがNG。町田市有地と東京都有地とからなり
総面積18、968㎡とそんなに広くはない。中途半端な手入れで十分ではない。
市の委託を受けて地元農家の方々が組合を組成し農閑期暇な時に手入れをしているらしい。
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2年ほど前に仲間と某企業環境担当部署の10名程を案内した時は
組合の方が自家製竹箒で通路を掃いた跡がありその竹箒も放置されていた。
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久しぶりに森に入ったが、相変わらず暗い森の印象は変わらない。
シラカシ、アラカシ、イヌツゲ、ヒサカキ、シロダモなどの常緑樹が多い。
それらを伐採したような形跡もない。その常緑樹は樹径10センチ未満が
多く、少し伐採するだけでも印象ががらりと変わるのにもったいない。

途中にある祠 その1
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祠 その2
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雨風に朽ちた枝が落ちているのがそのままで原生林の様子。

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フットパスのルートになっているようだが、枯れ枝が
いつ落ちてくるか危険この上ない。組合の方々はそういう
安全管理の認識は皆無か。市の公園緑地課なり東京都が責任とれということらしい。
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コンクリート製の擬木によるベンチが通路沿いに合計8基設置しているが、
こんな暗い所で座ってみようと気持ちにはなれない。

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視界が開け広い場所に、アザミに似ているが棘のない
タムラソウ」の群生地になっている。Img_1840

ここなら座って一休みできそう。
以前はこの場所から南アルプスを望めたが、本日は確認できず。
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一休みして先を見ると、「石阪昌孝の墓」が見えてきた。
お花のひとつもあげられていない。
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ボタン園からも直接お墓に来られる様にはなっているが
五回程訪れているが今まで開いていたのは一度だけだ。
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墓の隣に町田市による「民権の森」の案内板
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墓を過ぎると下り坂。
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ボタン園側の「町田民権の森入口」
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ボタン園正面
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右側の森が民権の森で、牡丹園正門の左側に駐車場と駐輪場があり
その奥がボン園側から民権の森への入口となっている。
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自由民権の像北村透谷・美那子出会いの碑
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「石昌孝先生墓所」矢印通り階段をまっすぐ登っていけば
お墓の前まで行けるが、フェンスの扉があり鍵が掛かっていることは
前述通り。フェンス越しの墓参・見学となる。一旦出て右へ進み
駐輪場の奥にある「民権の森入口」から入ると近い。
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上の写真は何故か「七国山自然を考える会」が設置した案内板。
「石阪」のサカが「坂」になっているのが笑える。
そう言えば薬師池公園東南周回道路沿いでも同会の古い制札看板が
ある。同会によると活動フィールドは都指定「七国山緑地保全地域」が
メインであるが、七国山緑地保全地域以外での自然環境保全に関する
啓蒙活動なども実施している。

七国山(ななくにやま)緑地保全地域約10haは1975年12月に指定。
同保全地域、薬師池公園、ボタン園、民権の森緑地保全地域、
薬師池北緑地保全地域、薬師池西公園予定地などを含む125haは
1961年に美しい自然景観の風致を維持するために
七国山(ななくにやま)風致地区」に東京都が指定している。

ボタン園から東南の「薬師池公園」へ移動。
薬師池北駐車場
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北側駐車場の南大賀ハスの池と薬師池の間に
自由民権の像
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自由民権の像建立記念碑文

自由や権利という言葉が、人びとに新鮮な感動を与え、人間の精神の
内に秘めた活力を呼び起こす、という時代がありました。近代に入っても
まだ憲法もなければ国会もなく、自治も市民的自由もなかった。
1870-1880年代がそういう時代でした。
 当時の町田市域は、神奈川県の行政区にあって、南多摩郡に属しており、
自由や権利への実現への願いが、もっとも強く満ち満ちていました。この
地域は、武蔵国の辺境でありながら、相模国と接し、武相自由民権運動の
中心的な地域となる可能性と、エネルギーを内包していたのです。ちなみに
三多摩が東京府に移管されたのは1893年のことでした。
 神奈川県内の自由民権運動を指導した石阪昌孝(野津田)をはじめとして、
村野常右衛門(野津田)、青木正太郎(相原)、細野喜代四郎(小川)、
若林高之亮(下小山田)など魅力あふれる民権家を生み全国でも有数の
豪農民権運動を展開しました。後発の若林美之助(下小山田)や
石阪公歴(野津田)ら青年たちも、民権の理想に燃えて活動をくりひろげました。
この活気に満ちた時代の創造力と、情熱にあふれた青年たちの奮闘と努力を
あらためて現代に呼びさまし、そして未来に伝えるために、
ここに自由民権の像を建立します。 

 市制40周年を記念して 1998年2月1日 町田市長」

自由民権の鐘
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2012年10月17日 (水)

自由民権資料館

今まで行きたいと思いながら中々実現できなかった町田自由民権資料館
行ってきた。ここは明治7年(1874年),板垣退助らの「民撰議院設立建白」に
端を発した自由民権運動が全国で展開され、この運動の多摩や神奈川に
関する史料資料を収集して展示している。

常設展示は「多摩の民権/町田の民権」のテーマで行われ,他企画展も開催。
今月は企画展として「あるく郷土史家、天野佐一郎」を展示している(11/25まで)。
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老人には些か急過ぎる階段を上ると右手が入口。受付で人数、市内外や
交通機関など簡単な内容のアンケートにマークしてから入館だが、靴を脱ぐスタイル。
急な階段とは別に車椅子でも上がれる緩やかなスロープも用意されているので
次回はのんびりと上がっていく事にしたい。
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現在の町田市域をはじめとする多摩地区で自由民権運動が盛んだったのは
なぜなのかいつも引っかかっていたので何か解決してくれる資料があるかどうか
楽しみに出掛けた。

個人的には多摩地区は江戸に近く、豪農が多く居てその子弟は
教育を受けていて、外国のこと社会情勢の変化への対応するための
様々な情報を得ることができたからではないかと思っている。

よく目にして知っているのは石阪昌孝であるが、多摩郡野津田村(現町田市野津田町)に
生まれ。明治初年、戸籍区戸長、区長などを経験し、初代神奈川県会議長も。
早くから地域の教育運動を組織し、自由民権運動では常に地域のリーダー。
町田をはじめ神奈川県下自由民権運動の最高指導者の一人です。
1890(明治23)年の国会開設にあたって衆議院議員となり、4期務めた。
長女の美那子と北村透谷との恋愛もよく知られているエピソードだ。
実家跡には出会いの碑も資料館の南ボタン園に残されている。

村野常右衛門もよく知られている。野津田村戸長時代に自治運動に取り組み、
中堅的な民権運動家として活躍し、文武道場「凌霜館」を建てて若手民権家の
育成に取り組んだそうだ。その後、衆議院議員となり、1914年には立憲政友会
の幹事長を務めた。この資料館は「凌霜館」跡地に建設されている。

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疑問を明確に解決してくれる資料にはお目にかかれなかったが、
当初神奈川県に属していた多摩地区が東京府に移管された経緯が
多摩地区での活動が盛んだったのが神奈川から切り離された理由だったことは
明確にされた。東京にとっては飲料水の水質管理の観点からだったとのことだ。
神奈川県には多摩地区の豪農豪商が多くて税収上は痛かったことだろう。

入館料無料は有難い。また疑問点の確認に資料閲覧しにくることだろう。
企画展の天野佐一郎については全く知らなかった。今回の展示を見て
どういう人物だったかわかったので、史跡の揮毫もされているので
改めて確認しておこうと思う。

敷地内にあった繭を乾燥させる小屋
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午後から天気が下り坂とのことで、早めに帰路へ。
途中鶴見川遊歩道を散策しシラサギやら草花を観察して
リュックサックから「もみじ饅頭」を取り出し頂いた。

ミゾソバ コンクリート護岸化されていない用水路など水が豊かで栄養価が高めの場所に
群生していることが多い植物。「ウシノヒタイ」との別名もあり面白い。
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秋明菊 シュウメイギク
キンポウゲ科、中国からの帰化植物。秋牡丹、加賀菊、越前菊、貴船菊など多様な別名あり。キク科ではないのに菊と付けられている。この時季好きな花である。白もいい。
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